マガジンのカバー画像

火曜日のあくび

23
文章(詩・散文)置き場
運営しているクリエイター

記事一覧

うたかた

眠りながら聞いていた歌声が
誰のものかを思い出せない
ラムネ瓶から取り出したビー玉にはヒビが入っていて
騒がしく光っている

雨の匂いがしないことがさびしい

また眠くなってビー玉を落とす
深くなったヒビから
とぷん と水音がしたが
もう何も見えなかった

「臨時休館なんです、魚たちが逃げだしてしまって」
申し訳なさそうな声に天井をあおげば
鮮やかなヒレから透ける色
空になっている水槽を見て
図書

もっとみる

読めない手紙

「わたしはあなたを知っていますか」

静かな目と声で尋ねられれば
からだの中心を針が抜けていく気がする
それは季節のわりにあたたかな午後
道の脇を歩いている猫と
梢の先にとまっている鳥
いくつかの視線が彷徨って
ぷつりと重なってはほぐれていく

映るものの正しさに
さした価値などないと言ったのは
古びた聖書を抱えた靴磨き
ひとさじの幸福を数えるものさ
と鼻唄をまじらせたのは
片腕を失った銀細工師

もっとみる

勿忘人

祈るためのかたち
かさついたてのひらに
いくつかの棘が立つのを
かなしく眺めた

つくられた水色の飴玉の
ざりざりとした甘さ
酸素の足りない頭で味わいながら
繰り返すまばたき

映しだした子と
同じ風景を望んで
やわらかく髪を撫でる
う、
あ、

漏れる小さな声
ねむりの淵があがってくるまで
歌い続けた

今日、あなたから便りがなければ
語るべき物語は失われる

取り出した日記帳に
てんてんと打

もっとみる

レインツリー

揺らされた水面の
くりかえし
くりかえす
波紋から届くうたごえ

雨の降る午後
今日は明るいと
ほそめた目に
ティーカップからたちのぼる

少しずつ染みが広がるように
喉がこまかくふるえる
伏せた視線が
深部をさぐって
いつか聞いた
遠い国の雨の音をよびおこす
(この雨には)
(名前があって)
ささやいてみれば
ずいぶんとなつかしい

その名を教えてくれた
真白な背中のひとは
花をたくさん抱えた

もっとみる

春を待つ

囁かれるばかりの
誰かの泣いている声を
そっとてのひらでつつみ
雪の下に埋めた
戸惑いを隠すように
深く

目を覚ました部屋で
ゆるくまるみを帯びた肩に
ひんやりとした名残
夢を見ていた

渇いた喉に種がある
さりさり
削れてしまう前に
手紙にしなくてはならない
掠れたインクであることに
少しだけ安堵しながら
名も知らぬ背中に声をかける

芽吹いた頃のひと呼吸が
いつか雪を溶かして
花になるのを期

もっとみる

沈んだ鯨

寝室の床につけた爪先から
花々が開いてゆく心地がする
まだ世界が眠っていることを呼吸して
瞬きをいくどか繰り返した

分厚いカーテンの隙間に
手をさしいれて
引っ張りだした夜は水溶性だった
濡れた頬がいたむのは
鯨の歌を思い出したから

(死ぬときには)
(群れをはなれるのだって)

誰から聞いたかは忘れたまま
歌う真似をする
孤独のかたまりが深く
沈んでいき
耳の底で透明に響く

カーテンの向こ

もっとみる

パイを焼く

陽のたまった場所に林檎を転がす
こがね色を浴びて
ふくふく香る

いいにおいがするから
目を細くして歌いたくなる

細かくきらめきながら
翅を休めにきた
置いていきかけの蝶は
ゆっくりと呼吸しながら
蜜を求めているみたい
皮には刺さらないのだろうに

いっそ食んでしまおうか、と
ふれようとした手の
爪の端が欠けていたせいで
ためらってしまった

そのうち に
ぱさり と 落ちて
それきり 動かな

もっとみる

雨中観測

雨のにおい。

透明な尾ひれをした熱帯魚が
左目から宙へと泳ぎだす
心地が良いから歌おうと思った
ゆらめくうちに
雨音とまじりあう
まぶたの裏がくすぐったい

すれ違った少女の背からは
透明な翼が生えていた
水溜まりを砕いてばかりいる
透明になれない僕の爪先
酸素不足の視線で
いつかの夢を思い出す

たたん、たん、とリズムを取り、踊りだしたあの日の双子の、片方が澄んだ青い瞳をしていて。絵が上

もっとみる

雨のこどもたち

「なんにも、知らないのでしょう。」
と、小指だけで鍵盤を叩いている
たどたどしい音色にあわせ
たどたどしく歌うのは
きっと 雨のこどもたち

交わされることのない視線に
波紋が作られる
どうしたって
曲名を知ることはないのに
心ばかりはあふれるようで
思わず目を細める
花びらがほどけていくのと似た微笑み方が
一瞬 窓硝子に映った
雨のこどもたちが歌っているから
すぐにかき消されて
まばたきひとつ

もっとみる

ジェリーフィッシュの果実

ほつり、ぷつり、と
糸を紡いでは引き千切る。
夢をも夢とは見られないような
喉元に白く恋をするだけの
そんな刹那に心を預けて
泡沫を吐きだす。
「ただ美しく在るなら容易い」と
見つめるのはまるで
模造品のような背中だった。

現実は熟れすぎていたから
やわらかく目を伏せる
輪郭のみを残して
転がっていく言葉
「そのきらめきは」
「あのまたたきは」
産まれた日のように
ただ、泣くことを許されたかった

もっとみる

焦がれる剥製

こどもたちの笑う声を
取り落としてばかりいる
振り返れば昔のおもちゃ箱に
しまいこんでいた人形が
「思い出せないかい、」と
首を傾げている
ああそうだねと
ソーダ味の飴玉を噛んだ
やけに痛い。
ほこりっぽいテディベアが
草臥れたリボンを巻いて
「思い出せないかい、」と
首を傾げている
どこか遠くで
オルゴールが鳴っているのを
答え合わせのように聞いていた

「思い出せないのに、」と
首を傾げながら

もっとみる

夏葬

こぼれ落ちたならば
拾わねばならないと
そう、思っていた
いくつか前の夏の
あつい暑い 午後のこと

「いつも忘れるくせに、」

刺さる視線は扇風機の風に隠せば
気がつかないふりにちょうどいい
焼きついて
斃れてゆくのは鉢植えの向日葵
根本には蝉が転がっている

「早く冷やしておかないと。」

同じように転がりながら
掠れていくばかりの指先の感覚に
焦燥を募らせた

だってもう、ずいぶんとだ。

もっとみる

きっと今夜は夢を見ない

あくびをしている
滲んだ涙が ほとり と落ちて
うすら 染みを作る

首を傾げた、

次々と溢れだしはじめたのに
理由は思い当たらないのだ
わけもわからず
とりあえず手を叩いてみる
弾けるのが心の一部だとしたら
何色に光るだろうか
すっかりぼやけた視界が
もう眠ったほうがいい、と
囁いている気がする

昨夜は月を食べた夢を見たから
夕飯がパンケーキになった
そういえば
今日の胃袋はまだ空っぽだった

もっとみる

つきこい

「月が、眠れなくなって、ぼろり、欠けていく。」

夜が散らかされて、たくさんの迷子がうまれた。けたりけたり、笑うのは誰。黒々とした影が足元をすくってしまうから、心許ない歩みでも止められない。
少年少女がまばたくたびに、ぱちりふわりとしゃぼん玉のよう、弾けるのは溶かされた夢。まつげを彩る淡い虹色、だんだん重くなっては視界をやわく閉ざしてしまう、もうすぐにこわいものがやってくるのに。
目印になるはずの

もっとみる