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西方浄土

西方浄土という言葉を教わった男が
仏の迎えを待つんじゃ無くて
西にあるとわかってるなら行けば良いと
ひたすら西に歩き続け最後に九州から一人船に乗る話が好きだ。
補陀落渡海と一緒で結末は死なんだが
何の功徳も施さず、いや施そうとも思わず
ひたすら他人の喜捨を受け続けて旅をし
己が為だけに浄土を目指す
一念と云えば一念であり、その強さは浄土に値するかもしれないが
東大寺などで勉強し、悲田院や国分寺でひたすらに天然痘患者と向き合った僧
辻説法で絶望に自棄になる人々を導いた僧
土木工事をして全国を廻った僧
次世代に経文を伝えようと命がけで渡海した僧
達が目指せなかった西方を目指して
果たして浄土に入る資格はあるのか?
天国と違って極楽浄土は
神に選ばれた選民の住処でも無いし
浄土宗では善人だけが入る場所でも無い
こんな男が浄土に行ったという
こんな話が書かれる時代の人々の考え方ってのが
現代倫理から離れて思考する楽しさがある。
果たして浄土に住み続ける事が出来るのかは
別の話だと思う
極楽は三尺三寸箸じゃないが試しが多く、なかなかに住み辛い
極楽が嫌になって六道に逃げる人間は案外多いと思うが
この男もそうじゃないかなと拙は夢想する

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