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普賢菩薩

全文引用したいくらい素晴らしい発言だが、それはダメだろうから
一部抜粋

私の講演を聞いた学生の感想アンケートで、こんな感想をもらいました。 「風俗嬢が差別されたくないというなら、もっと勉強して学生から尊敬されるような話ができるようになりなさい。もっと努力して下さい」。

その後、別の大学で講演したときにもらった、学生の感想アンケートでは、 「難しい話をしていて、風俗嬢っぽくない。あなたは普通の風俗嬢とは違う」と言われました。

私がある大学でセックスワーカーの人権について講演することになったとき、ある先生は「オーソリティを与えるから」という理由で私が大学で講演することに反対しました。

ここでは、私は、企画者から「現場の問題や実態の発表をお願いしたい」と、話す種類と範囲について何度も強く念を押されました。政策や法律については学者が発表するという役割分業がありました。 (ちなみに、このように、セックスワーカーに、経験と問題の説明をしてくれる人だけを求め、法律や政策の問題や提案については意見を集めないというのは、政治における政策立案過程にもよく見られる現象です。)

現実をみても、セックスワークにおいては、恵まれた環境と恵まれた能力を持つ人々が、恵まれない人々を助けようとして、これまでろくなことがなかったという確信があるからです。 大事なのは、頭の良い人が、その知性で素晴らしい解決方法を考えようとすることではなく、困っている人がどうしてほしいと思っているか、どうすればいいと考えるのか、ちゃんと話を聞くことだと思います。当事者を抜きにして、よりよいプログラムは開発できません。

問題は、では、いつになったら当事者自身が、誰かからの(時として暴力的な)質問や関心に答える立場ではなく、自分がそのとき話したいこと・関心を持ってもらいたいことを安心して話せるのでしょうか。いつになったら、セックスワーカーが話を聞かせたい相手に、自分たちの話を聞かせる場所や機会を作れるのでしょうか。

普賢菩薩の伝承が日本にはある
仏による救済の話と考える方も居るが
翁は
ただそこに居る
それが肝要だと思っている
善男善女の上から目線
実はそれが一番つらかろう
サンダカン八番娼館
が名作なのは寝食を共にしたからだと思っている

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