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売るために美味しいと感じられる商品とは


宇宙一外食産業が好きな須田です。

時々、「なんか、美味しいもの食べに行きたいねぇ」という気分になる時、有りませんか?

私は、仕事柄普段から美味しいものに囲まれている生活を送っていますので、今はそれほどありませんが、若いころは急にフっと思ったものです。

さて、この美味しいものって、どんなものでしょう。
焼肉に、お寿司に、しゃぶしゃぶに、イタリアンに、フレンチに、割烹に、和食にと、数え上げたら切りがありませんが、この「美味しい」の定義ってあやふやだと思いませんか?


私は商品開発を頻繁に行っておりますが、以前こんなことがありました。

博多で蕎麦居酒屋と、八戸でうどん居酒屋を、全く同時期に開発サポートを行っていました。
業態を企画して、商品を開発し、設計デザインを行い、業態を構築していきましたが、面白いことにその時のクライアントは西と東の企業でしたが、「このエリアには無いもので差別化を図りたい、手作り感を前面に打ち出した業態にしたい」と、全く同じリクエストを頂きました。

ですから、うどん文化の博多にそばを、蕎麦文化の八戸にうどんを打ち出したいとなりました。

そこで、博多で開発が進んで行き、蕎麦の麺を試食する段階になりました。
その時は、東京のあるメーカーからの業務依頼だったので、その業務パートナーの方と麺を試食しました。


試食段階で面白いことが起きました。

美味しい麺の評価が完全に2分しました。
東京から行った業務パートナーは関東風の腰のある麺が美味しい、これにしましょうと言い、私とクライアントは腰の無いソフトな蕎麦にしようとなりました。
お互いに論拠を主張し議論を繰り返しましたが、結局腰の無いソフトな蕎麦に決定しました。

麺が決定したその日、帰りの飛行機の中で業務パートナーの方は怪訝そうに、

「須田さん率直に聞きますが、なぜ、あんなに腰の無い一番ダメな麺を選んだんですか?正直、一番ひどかったですよね!」

「そうだね、関東に住んでいる我々の印象ではね! ところで、博多に来てうどんと蕎麦と、どこかに食べに行った? 中州でもどこでもいいからうどん屋でそばを食べに行った?」

と、聞きました。


すると彼らは、時間がないので街に出て試食をした経験は無いと言いました。

大事なポイントはそこなんです。

東京にいる若い彼らは腰のある蕎麦を美味しいと感じており全く異論を受け付けなく、博多の方々は、うどんは腰の無い柔らかい麺が好みで、その延長線上にある蕎麦も、食べなれた食感の物を美味しいと感じた訳です。

私は、開発日よりも1日早く前乗りして、街に繰り出すことを頻繁に行います。
これをしないとリサーチが出来ないので絶対に駄目で、ダンケネディ曰く、「客に聞け」をするわけですが、リサーチすると、やはり地元の方は柔らかい麺を好まれている、楽しんでいるのがわかりました。

うどんは中国大陸から伝来したものですが最初に伝来した地が博多のようです。
中国のうどんをはじめとする麺は主食であり、腰は元々ありません。

博多ラーメンは独自の進化をしていき、バリカタ・針金・粉落としと、ドンドン硬い麺が好まれるようになっていきましたが、うどんは柔らかいままの進化を遂げていきました。

このリサーチを通して、その地域の商品の趣向性を確かめるわけです。

開業後、そのお店は月商1,350を売り上げ繁盛店になりましたが、若い彼らはあの麺がウケるとは信じられないと言っておりました。


食は文化です。
食は記憶の産物です。
食は日々の物です。


「美味しい」の定義は、食べなれた味、慣れ親しんだ味を美味しいと感じます。


母親の手料理を美味しいと感じることも、郷土の名物料理を美味しいと感じることも、全ては慣れしたしんだ、記憶に刻まれた毎日食べていた物を基準に成立しております。


同時進行していた八戸では、うどんのつゆで揉めました。
同様に関東から行った営業担当者は、地元のクライアントが一押しのつゆはしょっぱい、これでは麺の味も何も台無しだと主張し、私とクライアントは、もう少しパンチを効かせましょうとなり、博多と同様なことが起こりましたが、たまたま八戸では日帰りではなく1泊での作業予定だったので、その日の夜に地元の人気店に招待されました。
若い彼らはその店の料理の塩味の強さに最初は眉をしかめていましたが、30分もすると慣れてきて、もしくは麻痺してきて、特別な反応は無くなっていきましたが、その店で目にした光景が、一発で彼らを説得しました。

地元の方々は、若い彼らがしょっぱいと感じている料理に醤油をドバドバとかけて食べていました。青森の友人に聞いたことがありますが、塩気が強い時は醤油で洗うという習慣があるようで、まさしく彼らはそれを目にしたわけです。

次の日からは、味の方向性に異論を唱えることなく順調に開発業務も進み、そこも月商900万超えの繁盛店になりました、確か賃料は27万だったと記憶しています。

青森のように厳しい冬を生き抜くには、塩分が大事になることは容易に想像できます。

普段商品開発を行っている方はこの「美味しい」の概念と闘っていると思います。

毎日の営業でお客様の反応を確認し、アンケート結果を見て、書き込みを検証して、日々行っていると思います。

時々、「あの店は味が変わった」「前よりもマズくなった」などと書き込みがあろうものなら、経営者に呼び出されたりして、「どうなっているんだ!」となったりします。

これは、味そのものが変化したわけではなく、久々に来店したお客様が遠~い昔のあいまいな記憶と比較して、評価をしている場合がほとんどです。
勿論、味変えは行わないといけないことですから、味そのものが変化している場合もあります。


ところで、商品開発での一番のハードルは何かご存知ですか?

それは何かというと、社長プレゼンです。

味の決定権は通常社長が握っております。
社長が試食してOKが出なければ、その商品はお客様に届くことはあり得ません。

これまで、この社長プレゼンを何度も何度も行ってきましたが、ここに大きな問題が隠されています。

社長の味のセンスが良い場合はよろしいのですが、逆の場合は厳しい状態となります。
ですから、私は出来るだけ社長と食事を共にするようにします。

普段何気なくオーダーしている商品を、社長がわからないように味見してみます。
普段食べている物から社長の味の好みを探る作業を行います。

その情報をもとに、最初で最後のハードルである社長プレゼンで社長も納得し、そのエリアのお客様にも受け入れてくれる「美味しさ」を開発するようにします。


ここからちょっと厳しいお話しをします。


語弊を恐れずにいますが、私は常々クライアントにお伝えしている概念がありますが、それは、

「飲食店には美味しい料理は要らない、飲食店で必要なのは売れる商品だ」

ということです。

売れる商品の概念の中に「美味しい」は含まれますが、「美味しい」の概念の先に売れるは必ずしもリンクしません。
ミシュランの星持ちレストランでも、経営が厳しい状況の店は沢山あります。

「美味しい」の幻想に取りつかれると迷宮に入っていく危険性があります。
飲食店では、安定供給とスピード提供、高い再現性と容易な鮮度管理、コストコントロールなどを毎日の営業でスムーズに運営出来ることが最も大事です。


我々が行っているのは、フードビジネスです。


スタッフの力を信じ、成長の場を提供し、地域の方々に受け入れていただき、企業の成長で地元に貢献し、雇用を創出し豊かさを還元していきます。

あくまでもビジネスです。

あなたも絶対にご経験していると思いますが、全国展開しているあのファーストフードのお店は年商数千億企業ですが、そこの商品を食べて「美味しいなぁ~」と感激したことはありますか?
絶対にないと思います!
でも、日本一の年商を何度もたたき出しております。

ビジネスは、再現性の確保が一番大事です。
大いなるマンネリが最も素晴らしいことです。
日々同じクオリティで再現され続けることが、最も重要なことです。

この「美味しい料理」と、「売れる商品」の違いを生む違いがありますが、それは次の機会にお話しをします。


「飲食店には美味しい料理は要らない、飲食店で必要なのは売れる商品だ」

この概念を取り入れると、一気に業績は向上していきます。

懐疑的に感じることも容易に理解できますし、心理的なハードルが高いことも理解できますが、頑なに社長が「これが美味しいんだ!」と言い張っても、売れなければ、消費者に受け入れられなければ、その商品は無用の長物です。


開発に時間と労力と経費と情熱を注いだ分、無用の長物以上の全くのマイナスの資産です。


一刻も早く損切りしましょう!


「売るために美味しいと感じられる商品」を開発することに、真剣に向き合ってみませんか!


違う景色が見えるかもしれません。

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