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インターネットでがんばらないで、自分の生活でがんばろうと思った

2020年をひとことで振り返るならどんな言葉だろう?って考えてみたけどなんかよくわかんないわ。

良いこともあれば悪いこともあるなんてのはいつものことだし、今年はアレの影響で色々と我慢をすることがあったのかと聞かれると個人的にはそんなこともないし。

ただ、とにかく外出をしなくなった。

休日の他県へのお出かけもそうだし、日常的にも隣駅まで歩いて知らないスーパーに寄って行くみたいなのもしてない気がする。

ありきたりだけれど、新しいモノに触れることはとても良いことだ。

前に「新商品とか季節限定商品に弱い」みたいなnoteを書いたけど、そういった日常の中にある新しい・知らないモノには魅力があるし、それを知った後の優越感っていうのはなんだかクセになる。

そういった小さな発見を積み上げていくことで、日常の解像度は少しずつ上がっていくんだと思う。

だから写真を撮るのが好きだった。

家の近所でも、ただ目的地に向かうためだけに通り過ぎるのと、写真を撮るために被写体を探そうと思ってその道を歩くのとでは見え方が全然違った。

近所でカメラ片手にふら付いていると変な噂が立ちやすいからあんまりしなかったけど。

だから「私のファインダー越しの世界」っていうのは脳みそにタピオカとフラペチーノが詰め込まれているような臭い人間が使うようなワードではあるけれど、自分自身もその感覚を言葉として体験として知っているからわかりみ深しと思ってる。

大晦日。

1年ぶりくらいにカメラを片手に外に出てみた。

たぶん2020年の撮り初めで、2020年の撮り納め。

もう少し明るい時間に出たかったけど、ご飯を食べたかったから陽がだいぶ傾いた。というかもうおちてる?

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この景色がとても好きだ。

なんてことはない、都内の光景。

これくらいの雰囲気だったら水戸にもそれっぽいのがあるけれど、都内に引っ越してきてすぐ、朝の澄み切らない空気の中で見たこの場所からのこの景色は、自分が知らない土地で生きていくということを実感させられた。

都内に引っ越して、会社員になってもう2年が過ぎた。

過去Twitterでは目立とうと背伸びをしていた時期もあるけれど、今はもう何も思わない。

前の方が良かったと思うことも何も無いし、どちらかと言えば今の方が断然ハッピーマンなんじゃないかな。

つまらないものはつまらないし、好きなものは好きだし、楽しいものは楽しいし、大切なものは大切。

もうこれだけでいい。

インターネットでがんばらないで、自分の生活でがんばろうと思った。

カメラを手にして久々に「あの場所から撮ったら、きっと良いものが撮れそう」という感覚を味わった。

そう思ったら自然と足の動きが早くなる。

それがたまらなく嬉しかった。

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写真はやっぱり好きだなって思った。

でも昔ほどの勢いみたいなものは無くて、今持っているカメラは今の自分には少し重かった。

何にだって相性はある。

ヒトとヒト、ヒトとモノ、ココロとカラダ、にんげんのぜんぶ。

そういえばゼクシィの2017年のキャッチコピー「結婚しなくても幸せになれるこの時代に、私は、あなたと結婚したいのです」これずっと良いキャッチコピーだなって思ってる。

結婚がどうこうはひとまず置いておいて、「〇〇しなくても幸せになれるこの時代に、私は、(あなたと)〇〇したいのです」ってめちゃめちゃ汎用性高い。

高い日用品を買ったり、健康のために運動をしたりしたときに他人や自分で「どこを目指してるのかわからなくなってきた草ァ」みたいなことを言いがちだけど、それってなんか感情の表れとしてとてももったいない気がしてる。

人間は誰にだって幸せになる権利があるし、良いモノ買った、良い行いをした、それは紛れもなく自身の、身の回りの誰かの幸せにつながっていると思う。

なんか幸せっていっぱい言うと宗教染みてきちゃうけど、でもそれくらい「あえて幸せになれる選択しを選んでみた」って誰もが気軽に言えるようになるとハッピージャンボ3億円だなって。

お終い。

1か月間毎日noteを投稿し続けた自分を褒めたい。

それでは良いお年を。

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