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ゲームとリアルは紙一重

私たちが子供だった頃、ゲームに没頭していると母から

 「あんた、またゲームばっかりして!」

とよく叱られました。弟と取り合いになって、父に3回くらいゲーム機を叩き割られました。まぁそんな世代の人間です。

もちろん、当時のゲーム機にどんな効能が隠れていようとも、私自身は宿題そっちのけで「楽しむ」ためだけにゲームをしてたわけで、それが何かほかのことに役立つなんて考えもしませんでしたから、叱られるのも仕方ありません。

けれども、大人になって、ITの業界に足を踏み入れてからは徐々に考え方が改まるようになりました。ゲームを楽しむのは今も昔も変わりませんが、当時の親が言うような「ゲームは学力を落とすだけの無用の長物」「ただの遊び道具」的な位置づけではないことに気づきました。

もちろん、そのことを理解したうえでゲームを楽しまないと、ただ楽しいだけになってしまうかもしれませんが、改めてゲームが生まれた背景や、そこで使われている技術、アーキテクチャを知るうちに、考え方を改めるようになりました。


ゲームはリアルにあることをモデリングする

ゲーム機の話をする前に、まずは一般的に浸透している「遊び」について考えてみましょう。意外と、ゲームや遊びはすべてリアルをモデル化していることがわかります。

たとえば『じゃんけん』

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じゃんけんのルールはローカルルールを除けば、概ね次のようになります。

1. パー(紙)は、グー(石)を包み込む柔軟な強さを持っているが、
 チョキ(はさみ)に切られてしまう。
2. グー(石)は、チョキ(鋏)では切れない頑強な強さを持っているが、
 パー(紙)に包まれると身動きできなくなってしまう。
3. チョキ(はさみ)は、パー(紙)を切る鋭利な強さを持っているが、
 グー(石)を切ろうとすると刃が欠けてしまう。

細かいルールもだいたい同じで、「「じゃーんけーん」で準備し、「ぽん」で手を出し、上記のルールに従い勝ち負けを決める」「あいこの場合は、もういっかい」「負け抜けで最後の一人が決まったら終了」などがあります。

パーやグーやチョキにはそれぞれ、理屈と意味があって、だからこそ子供も、時には大人たちも納得して遊びに取り入れられています。他の遊びも、全国的に市民権を得ているものは何かしら、リアルの説明でも納得できるだけの意味があります。

けれども、リアルにあるものをわざわざ用意して遊ぶのも子供にとっては大変だし、逆にリアルすぎるとゲームや遊びとして成り立たなくなってしまいます。だから、デフォルメしたりモデリングしたりと工夫して、模して遊ぶのです。


ゲーム機だって本質は同じ

ゲーム機でも同じことが言えます。

当然、空想やファンタジーなどの要素を取り入れられてはいても、明らかにリアルと乖離していると妙な違和感を持ってしまいます。そう、ツッコミを入れたくなってしまうのです。

たとえば、ドラゴンクエスト(通称、ドラクエ)などの冒険RPGでは、レベルアップの仕組みとは別に、武器や防具を装備して強くなっていきます。リアルでも、鍛錬とは別に、装備を整えることで局所的に強くなりますよね。

ところが、「ひのきのぼう」を胴に装備したらツッコミをいれたくなりませんか?リアルじゃそんなことありえねー!って。

昨今では、ゲーム機の性能が良すぎて、大抵は3D化しています。フライングシミュレートゲームなどはどうでしょう。そもそも臨場感やリアリティを追及しているのですから当然と言えば当然ですが、本物の飛行機と同じように動いてくれます。

でも、本物の飛行機ではない。
これはポリゴンや画像加工の技術を駆使してそれらしくイメージさせているにすぎませんが、リアルを追求したうえで、あくまでゲームとして成立させてくれています。

マリオ1つとってもそうです。

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古き良きファミコン時代。ただの8bit画像ですが、このドット絵だけで人と解釈できるし、それがあたかもジャンプしているように動くものだから、ジャンプをしていると認識できる。当然、この状態のまま動いている挙動もなくジャンプされても興醒めしてしまいます。

走るときは走るアクション、ジャンプにはジャンプの動作があるから、見た目的にも移入出来て、ゲームとしても盛り上がるわけです。普段気にすることではないかもしれませんが、それぞれの行動に見合った絵の動きをしてくれなければ、恐らく私たちは「クソゲー」と言って冷めているのではないでしょうか。

このように、遊びであっても、ゲーム機であっても、基本的にはリアルを模したものが多く、しかも万人共通の認識で解釈されているものが非常に多いと思います。

だからこそ、ゲームの理屈や理論は、改めて私たちのあり方や考え方を見直すきっかけになってくれたりもするわけです。


非難されがちな結果主義

そんな流れから、1つ例を挙げると「結果主義」などがあります。

よく巷では

 経営側の視点では常に結果主義が大前提でなくてはならない。
 しかし、従業員の目線で見ると常に過程や努力を評価してもらいたい。

と言うジレンマが聞こえてきます。気持ちや人情としては理解できるのですが、やはり世の中…特に市場や社会と言ったものは結果こそがすべてでなくてはならないし、私たち自身も一般消費者側の立場に立てば、結果や成果に対してしかお金を払っていません。努力や過程によって買う/買わないを決めることはほとんどないと思います。

我々の身近でもそうした事例はたくさんあるのではないでしょうか。
以下のそれぞれの箇条書きの冒頭に「どんなに努力をしても」をつけて読んでみてください。

・レシピを無視して作る料理はマズくなる可能性が付きまとう
・成功まで継続しなければ、失敗でしかない

どうでしょう。

世知辛い話ですが、ぐうの音も出ません。にもかかわらず、自分の努力だけは誰かに認めてもらいたい、と人は常に考えてしまいます。努力すればするほど認めてもらいたい。

もちろん、上長や経営者も「努力」そのものは見ているし、認めてもいると思います。…思いたいです。しかし、評価基準にはくわえられないケースが多いと思います。

見返りとして評価を期待するのは、やはり努力や過程ではなく、結果でなくてはならないからです。もちろん、結果が良いと言っても、運まかせのギャンブルな過程では評価も低くなるべきで、正しい過程を踏まえた結果はやはり評価されなくてはなりませんが、結果自体が悪ければ努力を認めつつも評価できない…と言うのが上司のつらいところでしょう。


ゲームにあてはめてみよう

世にも有名な「ドラクエ」は、モンスターを倒して一定の経験値を得ながら、課題(クエスト)を解決する勇者になりきってキャラクターを操作する物語形式のロールプレイングゲームです。

これはドラクエだけに限った話ではありませんが、日本の作るロールプレイングゲームは非常にリアルと同調する部分が多く存在します。そもそもロール(役割)プレイング(演じる)ゲーム(遊び)と言うのですから、今風で言うとコスプレでキャラクターになりきる(ロールプレイする)のと大差はありません。

当然、リアルにありそうなものが豊富に採用されています。

その1つに

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「テテテテ・テッテッテー」と言うおなじみの効果音と共に発生するレベルアップがあります。同時に能力が上昇し、なぜかスタミナが回復してしまうイベントです。

 「なぜレベルが上がるとHPが回復するのか?」

と言うテーマはとりあえず置いといて、ポイントはこのレベルアップする仕組みです。これをリアルの言葉に当てはめると

人生の成功も、能力の向上も、才能の開花も
どれだけ努力したかではない。
そのために必要なだけの努力をしたかである。

ということになります。

まぁ、どこかの偉人の言葉っぽくしてはみましたが、別に誰の言葉でもありません。けれども、こうして見てみると確かにそうだと納得できないでしょうか。

レベルアップと言うゴールに必要な努力をしたから、レベルアップが認められるのであって、すごい努力をしたからと言っても、目標値に達していなければ絶対にレベルアップしてくれない仕組みというわけです。経験値が目標値に1でも足りなかったら、絶対にレベルアップしてくれません。

リアルでも同じです。

成功と言うゴールに必要な分だけの努力をしたから、成功するのであって、成功しないのは「経験値があと 〇〇 でレベルアップします」の数字が足りていないと言うことです。

そして、ゲームでも職業によって必要経験値の量が違うように、リアルでも個人差があったります。これはおそらく、それまでの人生経験の差…による個性や環境、慣れなどの差によるものではないでしょうか。

 「アイツはできるようになったのに、自分はできない」

なんて個人差があるのはそのせいかもしれません。



このように、ゲームからリアルを読み解くと、改めて学ばされることが多いような気がします。なかには、大人になってからでも、

 「たしかに!」

と思うことも多いのではないでしょうか。

もし、そのことに気づきし、そして苦しさも楽しさも、ゲームとリアルに共通点が多いことを理解したうえでゲームをさせてみると、子供の知育にも役立つのではないかなー?と思ったりしています。

私が子供の頃は、親の認識として一方的に「ゲームは勉強の邪魔」「ゲームは悪」と言うイメージが強かったように思います。ただ遊んでるだけなので、まぁ…学力には結び付きませんでしたし、そう思われるのは仕方ありませんが。

けれども、(なんでもそうですが)発想の転換次第で、薬にも毒にもなるのかと思えば、色々なものを薬として活用する術が学べてしまうのではないでしょうか。

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