見出し画像

【前編】【後編】上場企業役員経験者が「なぜ」長期インターンを推進するのか!?

※本記事はインターンサイトJEEKが2023年12月にサービス終了したため、過去記事アーカイブとしてnoteに残すものです。

今でも私の関与先では学生インターン募集している企業は多いので、ご希望の方はお気軽に私宛にDMくださいませ!(Xでもインスタでもfacebookでも)

=======

磯辺基之
2016/07/15

〜ミーハーで特に何もしなかった、普通の学生時代。〜

Q:まずは、学生時代のお話と就職活動のときのお話を聞かせていただきますか?学生時代はどんな学生だったのですか?

須田氏:典型的な文系学生だったかと思います。早稲田の商学部に入って、大学にはあまり行かずに、バイトして遊んでばかりでしたね。
 ちょっと前に「LOVE理論」っていう深夜ドラマをたまたま観たんですが、その主人公とほぼ同じでしたね(笑)。茨城県の田舎の高校出身で、東京に憧れて「大学デビュー」する、みたいな。
 「キャンパスライフ」みたいなのに憧れていたので、まずは「テニスサークル」に入ろうと思いました。新歓時期に10個ぐらい回って、一番カワイイ女子が多いところを選びました。田舎育ちで、地味な真面目な女子が好みだったので、そんなにチャラくない「ちょっと真面目そうなテニスサークル」でした。
 でも、入ってみたら物凄くつまらなかった。その当時、カワイイ女子は年上の先輩方で、大体サークル内の先輩と付き合ってました。新歓合宿とか行くと、もうとにかく「誰が好きだ」とか「あの2年のカワイイ先輩は前は4男(4年生男子の意)と付き合ってたけど、今は3男(3年生男子の意)と付き合ってる」みたいな話ばかり。
 これはもうホントどうしようもないセカイだな、と思って辞めました(笑)。何となく先輩や同期とも合わない感じがしてましたし。
 また文化系サークルの「マスコミ研究会」(通称:マス研)ってのにも入りました。子供の頃からテレビを観るのが好きだったので、単なるミーハーです。でも入ってみると、「ジャーナリストになりたい」とか「アイドルオタク」みたいな先輩とかばっかりで、これも合わないなと思って速攻で辞めました。

まるでフリーター!?バイトや合コンで過ごす生活

Q:暗い話からスタートな感じですね(笑)。もはや大学に居場所がなかったような…

須田氏:一応「クラス」ってのがあって、当時語学(英語、フランス語)のクラスってのだけは出席しないと単位とれないという風潮があったので、クラスで仲の良い友達が数人出来ました。大体、田舎出身でサークルに馴染めずドロップアウトしたという同じクラスタな感じの奴らで。(笑)
 あと、同じくマス研に同じく単なるミーハー心で入ったドロップアウト組の同クラスタとも仲良くなりました。夢であった4年間のキャンパスライフは、結局クラスの友達3〜4人とつるむか、元マス研の友達3〜4人とつるむの2択でしたね。(笑)
 クラスには女子が3人ぐらいしかいないし、単なる男子校キャンパスライフでしたね。そうなると女子との出会いを求めないとってことになるので、最初の頃は合コンばかりしていましたね。最初はお互いの冴えない男友達の知り合いのツテでやっていたのですが、すぐにネタがなくなりました。
 しょうがないので、今度は誰かが「東京にはナンパというものがある」みたいな情報を仕入れてきて、いつからか週末は毎週新宿歌舞伎町でナンパに出る、という感じでした。週3〜4はお酒飲んでたかと思います。

Q:随分出費がかさみそうな生活ですね…

須田氏:そうですね、すぐお金がなくなってしまうので、なるべく学校に行く時間を減らしてバイトをしてましたね。時給の高い家庭教師をやってました。茨城の実家から1時間半かけて通ってたので何かと時間がなかったです。
 家庭教師は茨城と千葉で夜にやっていて、日中働けないので、日中は「もしかしたら女性と出会えるかもしれない」ようなバイトとして、通学途中の池袋や北千住でファーストフードのバイトを選びました。あとは冬休みは短期集中で稼ごうということで、スキー場で1ヶ月泊まりこみでバイトをしていました。現地でお金をつかうこともないので、自動的に貯まるんですよね。


〜結果、就職活動への不安と行動〜

Q:何かキャンパスライフとはほど遠い、単なるフリーターのような生活ですね。就職活動は大丈夫だったのでしょうか?

須田氏:大丈夫じゃないですよね(笑)。キャンパスライフという観点では、一応近くの雀荘はよく行ってましたよ。語学の授業のためだけにわざわざ茨城から早稲田に行くのは無駄な感じがしたので。
 就活はヤバイと思いましたね。そもそもこんな学生生活だと自己PRが書けない。電車に乗っている通学時間が長かったので、2年生の頃からその時間を活かして「情報をインプット」することにしました。日経新聞を毎日読むのと、リクルートさんが出していた「就職ジャーナル」という就活雑誌を読み漁っていました。

Q:やっとマトモな話が出てきましたね。就活は情報収集が大事ですよね。

須田氏:日経新聞はとにかく「つまらなかった」。あと就職雑誌も毎月読むと大体いろんな社会人のインタビューとか出ててとても参考になったのですが、ああいうのって今考えると企業側のPRなわけで、ホンネな情報じゃないんですよね。
 社会人の1日とか紹介されてて、「あー、毎日大変そうだな、つまらなそうだな」みたいな。結局のところピンと来るものがなく、もう社会への不安が募るばかりでしたね。
 で、自己分析とかすると、当初「マス研」に入ったりミーハーであったし、昔からテレビが好きだったので、テレビ関係の仕事を希望するようなりました。ただ、人気業種で入社困難ってことで、何かにすがらねばってことで、3年生の時に「コピーライター養成講座」と「マスコミ就職予備校」みたいなところに行きました。合コンやナンパに使っていた予算をこちらに投下しました。30万ぐらいかかった気がするなー。当時の自分としては「投資」でしたね。
大学生活の時間をバイトと遊びに費やしたという須田さん。不安を募らせながら行ったこれらの活動や投資は、就職活動にどう影響を与えたのでしょうか。

気になる後半、就活の結果は次回!

【後編】上場企業役員経験者が「なぜ」長期インターンを推進するのか!?

2016/07/16

小手先のテクニックではなにも解決しなかった

Q:なるほど。で、就活の結果はどうでしたか?

須田氏:まだ結果の話は早いよ、もうちょいしゃべらせろ(笑)。 まあ、講座とか予備校みたいな座学って結局は気休めというか、小手先のテクニックというか。学んだところで就活の自己PRには使えないですよね。「僕は頑張って予備校に行ってました!」みたいなこと言われても「は?」ですよね。
 コピーライター養成講座ってのは、テレビ局よりも広告代理店の方が入りやすそうだと思ったのと、小さい頃から全く本を読まなくて、大学入ってから特に早稲田政経のやつとかから「須田、お前の国語力というかボキャブラの少なさやばくね?」みたいなこと言われてたので、最低限の言葉の勉強をすべきだなと。
 で、毎回コピーライティングの宿題とか出されて、優秀な人が金の鉛筆を貰えるみたいな感じで、合計20回ぐらいの講座だったんですけど、結局ゲット出来ませんでしたね。あと宿題も辛かった。コピーとか100個ぐらい考えてそっから絞れとか言われて苦痛でしかありませんでした。
 このままだと学生時代にアピール出来ることはないですよね。何か「賞」みたいなものをとればアピール出来るかもと思い、「公募ガイド」って雑誌買ってみたり、電通主催のクリエイティブコンテストみたいなのチェックしてみたり。ただ、なかなか堕落した大学生活でアウトプットを出すのって難しいんですよね、今考えると。結局出さずに終わる、みたいなのばかりでした。
 あとリクルートさんが公募していた学生向けフリーペーパー「学生総研」というのがあって、それは面接が無事通って編集メンバーとして15人ぐらいに選ばれたんですが、今考えるとそれはもう少し一生懸命やっても良かったかもなーって思ってます。それも記事を書いてとかの宿題を出されるんですけど、とにかく面倒くさい(笑)。

そして迎える選考での一次敗退と「ベンチャーの面白さ」発見

Q:で、就活の結果は?

須田氏:ダメダメ。就職予備校行ってたので、まあ書類は通るんだけど、やっぱり面接でアピールするものがないよね。テレビ局の就活が一番早かったので、フジテレビ、日テレ、TBSの面接が最初にあったのですが、全て1次敗退(涙)。
 もうそっからは毎日高田馬場のゲームセンターに逃げてましたね。「これから俺はどうするべきか」という悶々とした日々でした。家から自転車で30分ぐらいこいで、なるべく人のいない大自然の川のほとりに座り込み、ボーっとして人生を考えたりもよくしていましたね。
 このまま次の広告代理店を受けてもダメだろうなと思いました。あと何時間考えても何にもならなそうだったので、とにかく他の会社を見てみようということで会社説明会に行くことにしました。
 銀行や商社などの人気業種はもう難しいだろうからそれ以外で。名前の聞いたことのあるベネッセやリクルート。当時の彼女の実家が近かったのでリクシル。ちょっと電通っぽいので電通国際情報サービス。子供が好きだったのでミキハウス。当時まだ小さかったインテリジェンスとか勘定奉行の会社とか。テキトーに見て回ってて、どこもピンと来なかったので就職浪人するつもりでした。けど、1社だけ「ここは面白いかも」って思った会社が出てきました。

Q:それがソフトバンクだったのですね!

須田氏:いやいや。ソフトバンクで孫さんとヤフーBBの立上げやってたっていう、よく若手向けに喋ってる話はその後のことで、実は新卒で入った会社は違うんです。
 「イマジニア」って当時50人ぐらいのベンチャー企業でした。社長が早稲田商→トヨタ自動車→松下政経塾で政治家目指す→起業ってキャリアで、専務が一橋商→博報堂→起業でした。当時お二人も40歳過ぎぐらいだと思ったのですが、今までお会いした大人の中で一番魅力的でした。あと現場で働いている若手社員もイキイキしてて、こりゃいいなと。
ただ、当時早稲田でベンチャーに行くやつとか全然いなくて、大学同期のやつらとかには「聞いたことない会社だな、お前騙されてるんじゃないか?」とか言われてましてね。まあ大学で仲よかった奴らの半分は留年してて、就活のアドバイスも全然参考にならないのですが…。現役で受かった奴らは、日テレ、コマツ、JRAとかで、留年組はその後アクセンチュア、韓国財閥商社(大宇)、熊本県庁とか行きました。


「社会との接点」となる経験をするべし。

Q:ご自身の就活を振り返って、今の学生へのメッセージありますか?または最近「インターン」として学生時代から企業で働く経験を持つことについてどう思われますか?

須田氏:時代背景が異なりすぎて、自分の就活事例を今の学生に当てはめることは難しいと思うんですけど、「インターン」はめっちゃいいと思いますよ。自分の場合、やはり学生時代にもっと社会に近い経験をすべきだったなと思っているので。まあファーストフードのバイトはすぐ辞めて、もっと経験値が得れる環境にいくべきだったかもなと(笑)。
 僕自身も前職のアエリアという会社で上場ベンチャー企業のCFOだったころに、インターン制度を推進していました。2005年でまだインターン自体もそんなになかった頃ですね。
 僕の持論なんですけど、会社って「やったことある奴(上司)がただエバッてる」って構造ありますよね?これがあんまり好きじゃなくて。殆どの仕事が「やれば分かる」って思ったので、若い人には「とっととやらせる」方がどう考えてもいいなと。
 なので「エバる上司」にはなりたくなかったので、「何でもやらせる上司」を目指しました。まあ良く言えば「成長環境を提供」してるんですけど、悪く言えば「丸投げ」ですね(笑)。
 インターン生には「お前、それインターンにやらせてはダメだろ」と言われるような、責任重大かつ難易度の高いものを丸投げするようにしました。まあ、尻を拭くのはどうせ自分だし、若いやつの方が吸収早いですしね。早稲田の子には子会社の上場準備手伝わせましたし、明治の子には連結決算全般とM&Aとかやらせましたね。

Q:その時の明治大学2年生が現クラウドワークスCFOの佐々木くんですね!最後に学生に向けてメッセージをお願いします!

須田氏:あ、最後に学生に向けてですか?
 まあ、人それぞれ、人生それぞれだし、未来はなかなか見えないし、就活も答えのない修行なんですけど、世の中「経験しないと分からないこと」ばかりなので、何事も「とっとと経験する」ことをオススメします! あ、あと「優秀な人」は手堅い安易な道を選ばずに、チャレンジしてください!ニッポンのためにも!
いかがでしたか。何事も「経験」するべきだと語る須田さん。
ビジネスの経験を最短で、かつ沢山できるのが長期インターンシップの魅力です。皆さんも自分にあった長期インターンシップを探して、経験を積んでみませんか?


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?