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果たして資本主義と民主主義は両立するのか問題

一応、それなりに忙しい日々を送っている。

仕事だけじゃない。

今、事情があってワーパパとして家事に育児にフル稼働している。


でも、こういう事は大事にしていきたい。

大好きな桜川さんのために、僕の、僕による、桜川さんのためのコンテンツを書いてみる事にする。

こんな書き出し、徒然草以来じゃないかと思う。ヤバイな。


結論から言います

昔から挨拶とスカートの丈は短い方がいいと言いますが、結論から言うと両立するし、すでにしてると思うんです。

日本だって、アメリカだって

て言うか、ほぼ多くの国がこれじゃん!


以上

と言う訳にも行かないので、最近読んだ面白い本の感想を踏まえながら、考えていきたいと思います。


最近読んで面白かった本から学ぶ資本主義と民主主義

最近読んだ本で面白かった本はこちら

この本について、読んだ事のある人も読んだ事のない人も篠田さんのこのサマリーを読むととても役に立ちます。


インターンの学生に書いてもらった記事にも書いてあるんですけど、このヤニス・バルファキスさんの本は、個人的にすごく面白かったです。

で、何が面白かったか?と言う事を書いて、タイトルの果たして資本主義と民主主義は両立するのか問題について僕なりの今の結論をご説明していきます。


「父が娘に語る…経済の話」の面白さ

これはもうですね、僕の中では圧倒的に第2章が面白い訳です。

篠田さんのnoteから引用させて頂きます。

価値には「体験価値」と「交換価値」がある。*例えば私が友人の子どもを預かってうちの子と一緒に遊び、夕飯を作って一緒に食べたら、それは友人の役に立ててうれしいし、楽しいひとときとして思い出にも残る。これが「体験価値」。一方、もし友人が私に「子供を預かって欲しい。時給2500円でどう?」と頼んだら、同じ行為が「交換価値」を持つ商品(サービス)となる*。「体験価値」は、家族の絆、友情、誇り、ケア、といった感情と不可分だ。
では、「体験価値」と「交換価値」を軸に歴史を見てみよう。ここで著者は、産業革命前は「市場がある社会」産業革命以降は「市場社会」だと言う。「市場がある社会」では、社会の中で限られたものにしか「交換価値」がなかった。「市場社会」になると、あらゆるものが「交換価値」を持つようになる。中でも、何を生産するにも生産要素となる3つ、生産手段(資本財)、土地、そして労働力が、産業革命において、初めて「交換価値」を持つようになった。これが「市場がある社会」から「市場社会」に転換する重要なポイント。

この価値から資本主義を考えていくとこが、興奮する訳です。w

もう脳内ドーパミンがドバっと出ると言うか、変ですかね?

まあ、変ですよねw

実際にこの「体験価値」と言うのは、合理的な「交換価値」に交換しづらい訳です。

だからこそ、その体験価値を高い交換レートで交換している商売が存在していると僕は考えています。


「体験価値」は(多分)圧倒的に儲かる

このnoteにも書いたんで、詳細は有料でお金を払って読んで頂きたいとこですけども、それはあんまりなんで

例えば、インスタ映えと言うのは一つの体験価値なんだと思うんです。

で、これまでもこれからも、人間は非合理的な存在です。

なので、好きと言う感情は合理を超えちゃう訳なんです。

なぜか資本主義と言うのは、あくなきスケールの追求と成長する事がお約束となってますので、規模の拡大をしていこうとすると合理的なビジネスだけが注目されてしまうんですけど、僕はこれから好意度を追求するビジネスも相当に面白いと思っています。

ちなみに、僕はこちらのビジネスの方が利益率が高くなると見ています。

だって、合理的な価格設定しなくていいんですもん。


なぜ体験価値が高いビジネスが拡がると思っているか?

これはひとえに、デジタルの力です。

技術革新によって、情報伝達のスピードが変わったからです。

今やTikTokやsnapやInstagramやTwitterで誰もが一夜にしてアイドルになります。

それと同じで、情報流通のプラットフォームが日進月歩で次々に登場しては、コンテンツの力を増幅させています


BASEがなぜ伸びるのか?

コンテンツって何も、こう言う文章や音楽や動画だけじゃない訳です。

商品もサービスだってコンテンツな訳です。

なぜ、BASEが伸びているのか?はnoteが伸びてる理由と一緒だと思うんですね。

Amazonや楽天やヤフーショッピングなどのプラットフォームには死んでも出したくない人やモノがあると言うことじゃないか?と思うんです。

なんでも売ってるプラットフォームでは、差別化はしづらい訳です。

だからこそ、合理性を追求するものはいいと思うんです。

でも好意度を追求するのに最適な形ではない訳です。

だから、BASEが流行り、noteが成長し、D2Cがもてはやされるんだと思います。

要するにオルタナティブなんです。


全部チェーン店になった後にシャッター街となった商店街はどうなったか?

これらの事を考えていく時にいい事例はシャッター街となった商店街です。

ある一定のところまで、廃れていくと家賃が下がります。

その下がった価格により廃れた所から、勝手にクリエイターが集まって多様性を生み出して人が戻ると言う現象は世界中の至る所で確認できます。

まるで自然界のようにバクテリアが死体を分解していくように、こう言う現象は起きています。

何が言いたいか?と言うと、「交換価値」と「体験価値」はそれぞれ行きすぎた資本主義を揺り戻してくれる役割を果たしていると思うんです。

で、その「体験価値」を増幅させる技術革新が今はあるので、好きを追求するビジネスも、資本主義の中で結構な規模のビジネスにまで実現できる可能性があると僕は見ています。

オンラインサロンなんかもそう言う「体験価値」を「交換価値」に変えている場所の一つじゃないかなと思っています。


資本主義の中の「独裁」と「民主主義」

一方で資本主義の中では、民主主義的な所と独裁的な所の両面が、過去も今もせめぎ合っている訳です。

特に株式市場に関してです。

実際に、少数株主の権利をどう守るか?と言う観点と、ガバナンスと言う事についてこれまでもずっと議論がされてきてます。

で、これに対抗するためにGoogleやFacebookが取っているDual-Class Shareと言う、議決権が異なる株式と言うのは、ある種の一つの独裁の方法な訳です。


で、僕自身はこの議決権が異なる株式と言うのは高度に発展していくと想定しています。

と言うのも、結局のところ何を持ってフェアか?と言う議論に過ぎない訳です。

民主主義は一票の重みが等しいと言う前提にたっています。

でも、実際は選挙区の切り方によって一票の格差は生まれている訳です。

僕は、この民主主義のシステムよりも早く資本主義のシステムの方がアップデートされていくと想定しています。


種類株式に時間の概念が埋め込まれる?

議決権の異なる株式と言うのは、議決権は1/10とか少ない株式だけど、配当は同じように権利があるよと言う、ある意味所有と経営を分離した株式と言うのはあってもいいと思いますし、プライベートのオーナー企業の方がパフォーマンスが良かったりと言うデータは枚挙にいとまがない訳です。

そもそも、これを取引所が認めている以上、発行体である会社の方針で買うか買わないかを決める権利が投資家にはある訳なので、それはある意味フェアと言う事もできます。

一方で、ガバナンスと言う観点で課題が大きいのも事実な訳です。

そこで、数年前からピーターティールやマークアンドリーセンがLTSE(The Long-Term Stock Exchange)と言う市場の設立を提唱していました。

記事を引用します。

LTSEが提唱しているのは以下のような仕組(一部略)
1.長期に株式を保有するほど議決権(voting rights)が増加
2.短期の業績非開示
3.経営幹部のボーナスと長期業績との連動性強化
4.コミュニティ内でのガバナンス 

経営幹部に対しては長期業績と連動する報酬制度、投資家に対しては株式の保有期間に応じた議決権を与えることにより、長期的視点でのインセンティブを与える。Ries氏によると、ここで”長期”とは、10年単位を想定とのこと。
また、株式の長期保有は会社への理解を深め、会社により関心を持つようになる。こうした形でガバナンスをきかせるという意図のようです。
governance in the communityとおっしゃっていたのが思想を感じさせ印象に残りました。

株式に時間の概念を入れると言うのは非常に面白いと思っています。

なによりも面白いのは、そういう取引市場が誕生するという事がとても面白いです。まさにさっきのBASEじゃないですけど、これもオルタナティブです。

それ以外にも、クラウドファンディングの中でもソーシャルレンディングやブロックチェーンなど、様々な金融技術の進歩と共に発明が生まれ社会に少しずつ実装されている訳なんですが、これらは一人一票と言う、これまでは割り切れなかった権利を、様々な軸で分割していく方法なんだと思うんです。

一人の重みは同じでも権利行使に重み付けが可能と言う、民主主義の根幹を揺るがす概念ですが、そもそも行政機能そのものも都道府県と市区町村で一部多重化していたり、これから人口が減っていく中で、これまでのインフラコストをそのまま維持できない日本の中で、この議論は極めて重要な要素を含んでいると思います。

これを政治に持ち込むのは、なかなか難易度が高い訳ですけど、資本主義は飽くなき成長のために、次々にイノベーションを取り込んでいきます。

そのイノベーションによって、資本主義そのものがアップデートされていくと予想しています。それは、今に始まった事ではなく、資本主義が誕生してからずっとアップデートし続けて今があるのと同じです。

で、その資本主義のアップデートを追いかけるように民主主義もアップデートされていくんだと考えています。


民主主義のアップデートにはOSのアップデートが重要

ただ、この民主主義のアップデートをしていくためにはそのオペレーティングシステム( OS)そのものをアップデートしていく事がとても重要だと考えています。

このオペレーティングシステムとは何か?

僕は、社会のOSは教育だと思っています。

民主主義のアップデートに行き着くまでには、社会のコンセンサスが必要です。

ただ、そのコンセンサスは常に教育に引っ張られます。

現在の教育が、上記のような社会システムそのものがアップデートされていく前提には立っていません。不確実性なんてものは存在してはいけないし、過去と未来は連続性の中で語られ、これまでの方法による努力は報われないとかわいそうじゃないか?というアプローチで設計されます。

当然です。

先生が教えられなくなりますから。義務教育はそれでも良いのかもしれません。

でも、高等教育は本来そうじゃいけないはずなんです。

これからの時代を切り拓く知のフロンティアになっていかないといけないはずなんですけど、この部分に関しては環境・枠組・人材どれも残念ながら日本は全く良い状況ではないと僕は少し悲観的に見ています。

過去の経緯や歴史の中を振り返っても、教育、特に公教育のアップデートはものすごく難しいテーマだと思っています。

等しくサービスを提供すると言う場合において、この均一性を担保しながら健全な競争とエコシステムを構築すると言うのは非常に難しいからです。

市場原理が効きづらく、かつその原理だけではいけないと言う部分でとても難しいテーマだなと考えていまして、ここは公助だけではなく、共助(シェアリングエコノミー)の仕組で、どうカバーするか?と言うのが、今おぼろげながら僕自身が考えている所になります。

そのために、ちょこまかと実験的な活動をしながら、何か大きくレバレッジできる事はないかな?と合間を縫っては、教育的な活動に個人的に参加してる次第です。


僕自身の結論

さて、長くなりましたけども、「果たして資本主義と民主主義は両立するのか問題」に対する僕の結論です。

・そもそも今も昔も両立してるし、これからも両立すると思う

・資本主義はそれ自身が生み出すイノベーションによりアップデートされていく

・そのアップデートは、一人一票と言う権利を様々な切り口で分割する仕組みと技術が組み合わさるものになると想定してる

・特に時間の概念が組み込まれると非常に興味深い

・民主主義もアップデートできるはずだけど、それには教育と言う社会のOSのアップデートが必要

・でも、それは今とても難しい

・草の根的に色々やってみてるけど、現実的な解は今の所さっぱり見えていない


他人の出したテーマで書くのは意外と面白かった!

でもマニアックすぎて死ぬほどPV取れないなw  きっと


追伸:せっかくだから全部試し読みできるようにできるかどうかをやってみよう

有料課金しても、この下には何にもないよ!


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