見出し画像

別の視点からの挫折の話

桜川さんが挫折経験を書いてるけど、これには同じ時間軸に全く別の視点のストーリーが存在する。

面白いから書いておこうと思う。

これはある意味、僕達の左ききのエレンのようなストーリーだ。


才能があると思ってた勘違い野郎

僕も、このR25に同じ瞬間にいた。

桜川さんとは、別の理由で。

僕は元々リクルートに新卒で入社し、入社3年間はマーケティング局という所で仕事をしていた。

市販されている情報誌のマーケティングの仕事だった。


別に飛び抜けた何かがあると思ってなかったけど、仕事は面白かった。

純粋に人から期待される事も初めてだったし、それに応えていくともっと大きな期待をしてもらえるのが、たまらなく気持ちよかった。


そして、僕はNew-Ringという社内の新規事業コンテストで準グランプリをもらって、4年目に新規事業部門へ異動した。


新規事業は甘くない

僕は、自分で仕事がデキるやつだと思ってた。

でも、仕事がデキても結果が出るとは限らない

参考:2006年リクルート事業開発室について調べるお

セクシー投資家の堤さん

今は Googleにいらっしゃる宮本さん

じげんの平尾丈さん

nanapiのけんすうさん

Genieeの工藤さん

Fringe81の尾原さん・・・

結局の所、僕は、めちゃくちゃ優秀な人達と仕事してたのに、何の結果を残すことも出来ずに、R25へ引き取られる

当時の役員に、自分のプロジェクトの相談をしに行くと、

「うーん、これは一正に預けよう」

と当時のR25のトップだった渡邉一正さんに預けられる事になった。

こうして、僕はわずか1年でキラ星スター集団からドナドナの子牛のように売られて行く事になった。


行った先も違う地獄だった

行った先が、まさにR25だった。

そして、ここもまた異なる天才の集団だった。

メディア業界とR25マフィアについてというこのノートに詳しく書いてありますけど、どこを見てもまた違う才能がぶつかってひしめき合う仕事場だった。


才能は発揮できて はじめて報われる

この時僕は間違いなく挫折を感じていた。

自分には、才能があると思い込んでいたから。

いや多分才能はあったんだと思う。

ただ残酷な事実として全く発揮できていなかった

全く結果が残せないのは、自分の才能を思ったように発揮できない、あるいはチームにフィットさせる事ができない、どちらにせよ効果的に持っている力を使えていなかった。

自分でもなんて情けない奴だと思っていた。

なるべく飄々と淡々と仕事しようと思っていた。

実際に、仕事はすぐに終わってしまうから、ずっと遊んでいた。

この時が一番夜遊びしてたかもしれない。

その後、自分のプロジェクトは早々に見切りをつけられ、R25のWebサイトのリニューアルに突入し、全く会社を動かせず、スケジュールだけは遅れまいと必死にプロジェクトのメンバーと戦うも当初からは、コストもスケジュールも遅れてR25のウェブサイトはリニューアルを迎えた。

僕は、自分と自分の仕事に失望していた


上半期の評価面談を

「過去最高にダメだったし、自分に心から失望してる」

と上司に告げた。

そこで社内コンテストを迎える事になる。


社内コンテストで才能の使い方を知る

当時、本誌チームの他に、モバイル、PC、広告制作、営業と100名を超えるチームに成長していたR25。各チームの連携を強め、次なる展開を模索するため、各チームをバラバラにしてチームを組み、社内での企画コンテストが行われたことがありました。1ヶ月ほどのワークショップの上、企画を提案。上層部のジャッジで最優秀の企画を決めるというものです。1位のチームには、当時発売されたばかりのiPod touchが全員にプレゼントされるという副賞付きで、みんなやる気に満ちていたことを覚えています。

僕は、この時ヤケクソだった。

ただ、ノリとして盛り上がろうと思っていた。

新規事業という正解のない大海をさまようような日々、もがいてももがいても抜け出せない苦しさ、周りを見れば眩しいくらいの才能ある人達。

この時、僕は事業開発に来て1年半以上も何も結果を出せていない自分にホトホト疲れていた

そして放り込まれたチームは、営業や企画のエースがチームにいた。桜川さんは、挫折を感じていたというけど、僕はこの時初めて広告の営業や企画や編集の人達と関わった。

それまで、ずっとウェブサイトの設計、事業企画、開発ばっかやってたから、仕事で関わる事がそもそも少なかったのだ。


ブレストが大嫌い

ちなみに、その時僕は周りの人達とうまくコミュニケーションが取れていなかった。お作法が全くわからなかったのだ。

本当に左ききのエレンを読んで、主人公である朝倉光一が最初の頃、ミーティングで空気が読めない発言をしているのを読んで胸が痛くなった。

まさにあれが僕だった。

何を言っているのかわからないし、わかっても自分の考えをうまく伝える事ができなくてもどかしかった。

ただすぐに、何が正解で、何が間違っているか?だけは頭の中でいつもわかっていた。

企画でも、戦略でも解に近い方向を見つけるのだけは得意だった。

何を努力してこうなったのか覚えていないから、センスなんだと思う。

1人だけ答えはわかっているのに、上手く伝えられない。皆が間違った方に行くのを見る度に辛かった。それでもプレゼンに勝ったりするわけだから凄いんだけど。

もっとも苦しかったのは、ブレスト(ブレインストーミング)だった。

実際に、広告の業界ではブレストをやる事が多い。

企画なんかが一番多いけど、やたらめったらブレストに呼ばれる。

で、僕は基本的にブレストが嫌いだ。

上手くできないというのもあるけど、それ以上にセンスのある1人が超真剣に考えたアイデアには、大人数で軽い気持ちでやってるブレストなんて勝てない事を知ってたからだ。

だから企画のブレストはいつも出ないようにしていた。

サボっていた。

で、自分一人で深く短い時間で集中して企画を考える。

この社内コンテストの時も、僕は自分一人で真剣に考えた案とイメージを持って行った。

これをベースに膨らませようという事になった。

正直そこから先はプロの仕事をただ呆然と眺めてるだけ。

気持ちの良い痛快な無力感だった。

仕上がったアウトプットは、これで負けたらビックリするわ!と思ってた。

結果は、優勝だった。

僕には、ザラザラした感想が残り、結果として仕事の仕方を大きく変えていく事になった。


ここから先は

1,333字 / 1画像
この記事のみ ¥ 100

頂いたサポートは、災害地域やいくつかの支援を必要としてる社会的なプロジェクトに寄付させて頂いております。