頼むから返事をしてくれ

 我々は1891年について、好き勝ってに語ることができる。露仏同盟が調印されたとか、シベリア鉄道の開発が始まったとか。
 私にとっての1891年は、断固としてセティル・ウィーラーが米国特許US-465588-Aを出願した年だ。その米国特許は、人類史上初めて完全な形で示されたトイレットペーパーに関する特許で、タイトルは「Toilet-paper roll」
 1891年6月8日に出願、同じ年の12月22日に公開されている。毎朝、私はその特許で尻を拭く。

 土曜日、目覚めると雨だった。尻を拭き、顔を洗って、テレビをつけた。女性キャスターが、週末はずっと雨だと予言した。信じられないぐらい巨大な胸をしていた。予言の最後に、読書にうってつけの週末だと付け加えたが、この女は間違いなく本なんて読まない。
 私は本を読む。雨が降らなくても週末は本を読むタイプの人間だ。ところが、今週は折り悪く手元に本が無かった。晴れていればブラックバスを釣りに行く予定だったからだ。ブラックバスは必ず釣れるのが良い。すぐに見栄を張りたがる人間のための魚だ。
 そこは、満月の夜になると行きたくなる釣り堀で、入り口に立派なブラックバスの銅像がある。台座には東西南北それぞれに、4つのメッセージが刻まれている。「ようこそ」「ようこそ」「ようこそ」「ようこそ」
 女性キャスターが、巨大な胸を連れて引っ込んでしまうと、私はシリアルを食べながらAmazonを物色した。本無しでは、週末の読書はできない。

◇◆

 『すべての若い女』 ーメグミ・メリウェザー著ー

 どういう理屈か分からないが、Amazonは私に日系英国人の著作をオススメした。そして、それは私の興味を引くタイトルだった。Amazonは常に正しい。世界には正しいものが4つある。神、Amazon、Google、それから若い女。
 286ページ。雨の降る休日に取り組むには手頃な分量だ。私はさっそくカートにいれた。配達まで1時間以内と表示される。非常識な速さだが、Amazonが家に届けてくれるというよりは、私がAmazonの敷地内に住んでいると考えれば、そう不思議なことでもない。

 著者メグミ・メリウェザーの名前をGoogleすると、大学時代の恋人の写真がヒットした。随分と変わっていたが面影はあった。彼女とは2002年から2004年にかけて、16ヶ月のあいだ恋愛関係にあった。まずまずの長さだ。当時、彼女の苗字はメリウェザーではなく山根だった。胸はそれほど大きく無かった。写真で見る限り、今もそれほど大きくない。
 山根メグミとの関係が上手くいかなくなった理由は色々ある。私は女というのは基本的には良いものだと思っているが、なんでも度が過ぎると酷い気分になるものだ。二日酔いの朝、もう二度と酒はごめんだという気分になる。山根メグミも似たようなもので、もう二度と女はごめんだという気分になった。もちろん、そんな後悔はすぐに忘れて、私は性懲りも無く次の胸を追いかけたのだが…

 今日のような雨の降る休日だったと思うが、私は冷静に女というものを振り返ったことがある。手始めに私は数えることにした。中学2年で、公園にスポーツ新聞を広げた初体験から始めて、もれなくダブり無く、肉体関係をもった女を数えた。
 深い関係、一晩だけの関係、商売女、何もかもいれて39人。私の年齢と同じだった。14歳から始めた、女への献身的な奉仕の甲斐もあって、年に1人よりは多い計算になった。78の胸、悪くない成績だ。調子が良い時もあれば、悪い時もあった。ここのところは調子が悪い。もう6年も…
 女たちとのセックスはあまり覚えていなかった。そもそも私の記憶力はポンコツで全く当てにならない。2つ3つは記憶に残る行為もあったが、それは例外だった。
 思い出されるのは、行為そのものよりは、行為にいたるまでの時間的、金銭的、精神的な忍耐の日々と、相手の女に興味を失った後の時間的、金銭的、精神的な後悔の日々だった。特に金銭的な後悔には悩まされた。
 
 メグミ・メリウェザーの経歴を調べるのは容易だった。検索すれば大抵のことは分かるし、検索して分からなければ、検索しても分からない人物だということが分かる。
 山根メグミは21歳で日本の大学を中退し、単身アイルランドへ渡った。時期的には私と別れた直後だ。
 サミュエル・ベケットも通ったダブリンのトリニティ・カレッジで文学修士を修めたのち、ロンドンの小さな出版者に就職した。
 就職して間も無く、13歳年上のイギリス人紳士ーナイトの称号を持っていたーと結婚し、ファミリーネームがメリウェザーへ変わった。
 結婚と同時に出版社を退職し、執筆活動を始めた。27歳の時に書き上げた『すべての若い女』は、彼女の処女作にして出世作になる。その作品は、過去の様々な恋愛を赤裸々に語った、自伝的内容ということだった。私は赤裸々に書かれているだろう自分とメグミの青臭い日々を思った。気恥ずかしくなった。

◇◆

メグミの処女作が届くと、私は期待込めて冒頭の一文に目を走らせた。

 『恋の熱が冷めちゃうと、胸を舐め回す男なんて、トリュフを探しまわる気色悪い豚にしか見えない』(『すべての若い女』 メグミ・メリウェザー)

 悪い予感がした。作中で私のことだと思われる人物は「5人目の恋人」として描写されていた。付き合っていた当時、メグミは処女で無いことを詫びながら、私が2番目の恋人だと言った。しかし、とにかく作中の私は5人目だった。しかも本命の男は別にいた。
 私が登場する部分を、全て集めても2ページに満たない分量だったが、その大半が私への不満だった。たとえば、私は次のように批判された。
 
 『セックスの前には爪を切ってと、何度もお願いしたけど、彼は決して爪を切ってくれなかった』(「すべての若い女」 メグミ・メリウェザー)

確かに私は爪を切らなかった。だが、私にも言い分はある。事実はこうだ。

 私はメグミの部屋にいて、二人共ほろ酔いだった。ネッキングしながら酒を口移しで飲み合い、気分も高まっていた。そのまま、押し倒しても良かったが、そうはしなかった。付き合い始めて10ヶ月、もう何度も性交していてがっつく必要がなかったのだ。だから、私は極めて紳士的にメグミに確認した。
 「爪切ってもいいかな?」
 「伸びてるの?」
 「随分」
 「切ってよ」
 「爪切りを貸してくれよ」
 「ダメよ」
 「どうして?」
 「可愛くないのよ」
 「どういうことだ?」
 「爪切りが可愛くないの。コンビニで買った爪切りなの」
 「切れ味は悪くないんだろ?」
 「嫌よ。可愛くないんだもん」
 30分ばかり押し問答したが、メグミは爪切りを私に貸さなかった。そういうわけで、私は爪を切らずにことに及んだ。
 もちろん、私にだって原因はあった。そもそも、爪を切ってないのが良くなかった。さらに良くないことに、私はメグミの爪切りに興味が出てしまった。爪を伸ばして彼女の家へ行くのが常態化した。
 結局、メグミは私と別れるまで、ただの一度も可愛くない爪切りを貸してくれなかった。可愛い爪切りを購入することもなかった。ひょっとしたら、あの女の家には爪切りが無かったのかもしれない。

◇◆

 メグミ・メリウェザーはFacebookですぐに見つかった。彼女がタグ付けされた写真を一通り眺め、毎年確実に老いていく様子を観察してから友達申請した。私の苗字は学生時代と変わらない。私の名前と写真だけで分かるだろうが、念のためメッセージも添えた。午前1時13分。

 「久しぶり。覚えてるかい?小説家になったんだね!驚いたよ。でも、僕達のことを勝手に書くなんてひどいな(笑)」
 すぐに返事が来た。

 「あなたのことを存じ上げません。失礼ですが、人違いかと思います」
 友達申請は拒否された。
 私は改めてメッセージを送った。

 「随分昔のことなので忘れていても仕方ないですね。今や有名人ですし。大学3年〜4年の時に付き合ってたけど忘れちゃった? 君ほどではないけど、僕も文章で生計を立ててます。作家はお互いに夢だったよね。お互い夢が叶うとは!ところで、本に書いてあった爪を切らない男の話だけど、あれは君が爪切りを貸してくれなかったからですよ。僕は最初に爪を切りたいと言った記憶があります」
 返事は無かった。

 「突然長文すいませんでした。覚えてるわけないですよね。爪切りのことは忘れてください。気を取り直して、友達申請お願いします」
 私は再び友達申請ボタンを押した。
 返事は無かった。友達申請は無視された。

 「僕のこと覚えてますよね?返信お願いします。さっきTwitterに投稿してましたよね?ずっとオンラインなのは分かっています」
 返事は無かった。

 「何かひとこと返して欲しいです」
 返事は無かった。

 「変な感じになってしまい申し訳ありません。昔の恋人がベストセラー作家になったのが嬉しいだけです。私にはなんの関係も無いことだと理解はしていますが、それでも少し誇らしい気分なのです。文章で食べていると言いましたが、ただの三文ライターです。犬のトイレとか、新型の電子レンジとか、使ったことも無いのに、適当なレビュー記事を書いてます」
  返事は無かった。

 「勝手に僕との恋愛を本に書くのはフェアじゃないと思う」
 返事は無かった。

 「この際言うけど、退屈な内容でした。150ページでゴミ箱にいれました。相手の許可なしにプライベートな内容を書くなんて、恥知らずな暴露本と同じですよ。あなたが寝た他の男達には許諾をとったのですか?」
 返事は無かった。

 「何人分の男との話しが書かれてるんだ?」
 返事は無かった。

 「僕が2人目の相手だって言ってたけど、あれは嘘だろ?本当は何人目だ?」
 ブロックされた。午前4時21分。

END

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人生の大半をラブホテルで過ごした女の話し
僕らはこうしてパスタに襲われる
ミランダは真上に住んでいる

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スドウナア 短編小説まとめ

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コメント14件

なんか、海外のsf作家さんの短編を読んでいる感じです。上手で羨ましいです。
tom様

コメント有り難うございます。海外の翻訳文学を好んで読むのもあって、ちょっと海外風な雰囲気のテキストを書くの好きです。お読み頂き有り難うございました。
亀野あゆみ様
コメント有り難うございます。Twitterで紹介頂くのは大歓迎です。嬉しいです。なるべく沢山の人に読んでもらえたら嬉しいと思って書いています。
村上春樹さん風に見えるみたいですね。実はこのお話は違う作家さんをイメージしてるのですけれど。翻訳調っぽいからでしょうか。海外翻訳文学が好きなので、その影響かなあと思います。楽しんで頂けて良かったです。お読み頂き有り難うございました!
亀野あゆみ様
丁寧に有り難うございます。嬉しいです!
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