見出し画像

非現実の王国で(寝起き)

額から、茹でた素麺のような白い糸が放射状に広がって伸びている。
その糸はわたしが通っていた小学校の教室の黒板を貫通して、4つの教室を渡るほど長い。
曇天か雨の日のときのような、暗さと静けさとつめたさで充満する教室。
でも嫌な感じはせず、清らかな空気で、わたしが記憶している教室よりもずっと静謐な場所だった。

ずっと前から知ってるような気がする。
ずっと前から当たり前にあるような感覚。
だから動じない。
眼前に見える何も書かれていない黒板。
それを貫通するわたしの揖保乃糸に似た神経。
どうしてこんなことになっているのか、仕舞い方もわからない。
動けないから困ってはいるものの、焦ったりはしていない。

本当は人は額から素麺のように細い感覚器官の糸を出せるのではなかったか。
その束は見えてても見えてなくてもかまわない代物じゃなかったか。
だから見えなくなって、出せなくなって、次第にそのことを忘れていったんじゃないのか。



***
いまでもたまに面白い夢を見る。
10歳頃までに見ていた夢は、ファンタジックでたいそう面白かった。その頃に見た、実家のバルコニーの支柱に立っていたトランシルヴァニアスタイルの吸血鬼は実在していて、30年に一度は日本の我が家に立ち寄ってくれるといまでも信じているし、
床置きされた、瓶覗色かめのぞきいろの絵画を踏めば、それは現実の湖に繋がっていて絵画の表面は水面に変わって波紋を広げる。
そんな仕様の絵画を踏んだから、わたしは空中を散歩できるようになったのか、空中を散歩してるうちに踏んでしまっていたのか判然としないけれど、とにかく森を鳥瞰しながら遊泳した。
ロープウェイで見るような景色を覚えている。
あの森は必ずあるような気がしてならない。


*
目覚めたあとに来る、解熱したとき特有の浮遊感が抜けない状態のときは、大きな多幸感に包まれる。
子どもの頃はとくにそうだった。

***
「トトロ、観る?」
夢うつつの中、母の声をきっかけに目が覚めた。
金曜ロードショーを録画した『となりのトトロ』のビデオのことを言っている。

前夜まで続いていた高熱が引いて、浮遊感と多幸感に満ち満ちた身体にはロマンチックな余韻が残る(この状態がどういう言葉に当てはまるのかわからない。いわゆる「飛んでる」状態に近いのかな)。
わたしの空っぽな子どもの身体に、トトロの世界観から溢れる清廉さは染みに染みた。

そんな状態で観たものや食べたものはその感覚を想起させる媒体に変わる。
思い出せる限りのわたしにとってのそれは、『となりのトトロ』とスピルバーグの『フック』とホットケーキである。


その状態のときに摂取した映像はより非現実の王国に在るものとして記憶されるし、食べたものは王国に続く扉の鍵になる。


***
高熱が出ると、極太と極細の感覚が交互に、あるいは同時にやってくるあの現象には「針とタイヤ」という俗称がついている。「不思議の国のアリス症候群」と呼ばれるものの一種である。
これに一晩中苛まれて、疲れ切ったところまでいくと解熱は近い。
解熱したときに必ずくる浮遊感と多幸感は好きな感覚のひとつである。
身体を持っていることの醍醐味といっても過言ではない。


***
特に発熱はしていないけどホットケーキを食べた今夜のわたしはさっきまで、わたしは何か特別に光る赤い石を体内に備えたゲストだったはずなのに。
明け方の尿意に起こされ、用を足して布団に戻った時には、わたしが何の、誰のゲストであったのかもう忘れている。
手で2つに割った、黄色い蒸しパンみたいなものの裂け目の中に見え隠れする、ルビーの輝き。
でもその輝きは鉄の柵に繋がれている。

現実のわたしにはそれが内蔵されていないようだから、このていたらくなのであるな。許せよ。


となぞの納得をして二度寝した。



この記事が参加している募集

一度は行きたいあの場所

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?