町会という見えない空気

【町会って、誰なんでしょうね。】

私の住む地区では、地区内の各町会がチームを作って参加する球技大会があるのですが、我が町会で参加する人達はこんな雰囲気なんです。

「だんだん参加者が少なくなっている中、町会から言われて、苦労して集めて、”参加してやってんだよ”」

だから、
競技中の飲み物とか、慰労会の準備とか、おもてなしは当たり前だと。

そして、
そのおもてなしが例年より不十分だと
「何だあれは!前代未聞だ。しっかりやらせろよ!(怒)」

となるわけです。

町会って誰のことを言うんでしょうかね。

町会に所属する町民ひとりひとりが町会だと思うのですが、違いますかね。

彼らが言う町会が、
”町会長含め、町会役員”のこと。

もっと言えば、
”体育部長である私”を指すんだとしたら、私はこう言います。

「出なくて良いよ。」と。

スポーツや運動って、義務で出ても楽しくないし、意味ないですよね。

もちろん、
「大会に参加したい。」

って声があれば、町会役員としてサポートしますが、お願いして参加してもらうことじゃないですよね。

昔は、もしかしたら、
運動する機会とか少なかったのかもしれませんが、
今は、好きな人は自分でサークルに入ったり、スポーツクラブで汗を流しています。

ただ例年通りを踏襲するためだけに、町会がお願いして出てもらうこと

”やめませんか”

そもそも、
町会の役員は強制的に輪番で回ってくるわけです。

強制的に回ってくる仕事に対して、しかも仕事内容とやり方の決定権は担当者にないわけです。

言われたこと、前年と同じ事をすることを求められる。
(暗黙の了解、時には声に出して言われる)

本来、
町会は任意団体で加入するしないは世帯ごとに選べます。
しかし、
慣習的に、ほぼ入る以外の選択肢はありません。

もっと言えば、
生きているだけで強制的に入ることになっていて、強制的に仕事が回ってきて、仕事内容は強制的に決まっている。

こんな組織、ありますか?

会社だったら、辞めたらいい。

学校も似た感じかもしれませんね。

小学校も中学校も、選べない。

行ったら行ったで、やることは本人の意志と関係なく、決められている。

自分の意志が無視される状況って、
耐えられますか?

生きている限り逃れられないのです。

不登校が増えている理由も、こういったこともあるのかもしれませんね。

また、

この組織形態や雰囲気の危険性って、
分かりますでしょうか。

雰囲気や、もしかしたら(暗黙の)上の組織である行政、国と言ったものから、ある時

「間違ったA国の考え方を正しいものに変えなければ、我々の子どもたちの命が脅かされる。」
「だから、町内から健康な男子を5人出しなさい。」

って言われた時、

誰もが嫌と思いながらも、クジ引きか何かで5人を選出して出す可能性があるわけです。

「いくら何でも、出兵には反対するでしょー。」

って思うかもしれませんが、
大事なのは、今の組織の雰囲気では、
内容は関係なく、
本人の意志も関係なく、

「言われたことに従うしかない」状態だということです。

世間の価値観なんて、何かあれば一瞬で変わりますから。
しかも、善意や正義の名においてのことなら尚更。

その危険をはらんでいることに気付かないといけません。

また、
町会などのボランティア(自主)組織は自主参加が基本であり、
強制や義務は、実は最もやってはいけない運営方法です。

(残念なことに、
大半はそういう方法を取っている現状ですが。)

人それぞれの個性があり、生き方があり、過ごし方がある中で、
それぞれの地域への貢献の仕方があるのですが、

強制や義務は、
公平という名の下にそれを破壊するやり方です。

日本は、
震災時にも窃盗や犯罪が少なく、治安の良い国と言われています。

しかし、ある本によると、
それは社会の仕組みとして安心が作られているだけで、実は人が人を信頼しているかというとそうでもないそうです。

アメリカと日本とで、
まったく知らない人を信頼する割合を調べた実験があり、幾つかの実験では、実はアメリカの人達の方が人を信頼している割合が多いそうです。

つまり、
同質な経験、価値観を持っているから安心できる社会が作られているだけで、
異なる経験や価値観を持っている人がそこに入ると、排除するか、同質化を求めることで安心社会を維持しているそうです。

社会全体として、
同質化した社会の脆弱性は幾つかのところで指摘されている通りで、
不確実な世界を生きるためには、多様性のある社会を作っていく必要があります。

日本の社会の課題として、
安心社会から信頼社会への転換。
そして、多様性のある社会への構築があるのではないかと思います。

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組織の内部から変えていくのは至難の業で、
自分の意志や個性が認められない組織にいること自体、私は耐えられないので、
町会を辞める方向で検討していますが、

それは置いといて、

どんな組織なら良いか。
を書いていきます。


みなさん、調べたことも考えたこともない方が大半だと思いますが、町会はただの任意団体であり、法的に何の強制力も持っていません。
入る、入らないは世帯の自由意志に任されています。

また、
町会の仕事としてゴミステーションの管理とかがあるから入らないわけにいかないと思っている方もいますが、
本来、
ゴミ処理については市町村レベルの業務であり、それを市町村は町会という任意団体に委託している形を取っています。

だから、
町会に入っていなくても市民であれば、町会管理のゴミステーションを利用することができます。

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私は、
組織を元に役割や事業が割り振られるのではなく、

プロジェクトを基にして、
そのプロジェクトに賛同した人が自主的にやれる範囲で活動する

「プロジェクトベースドChouNaiKai」

略して、
PBCKです。

これであれば、
役割単位ではなく、行動単位で参加することができます。

役割単位で担当すると、
「町会長だから。」
といった理由で、いろんな行動、役回りを求められてしまいます。

部分的には、賛同するものがあっても、
賛同できないことも付随してやることになってしまいます。

もちろん、
「まとめる」とか「窓口」「代表」
といった行動もあるので、そういう意味であれば良いでしょう。

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基本的に、
人が自分の行動を自分で決めて行動できることは原則です。

その上で、
公共的なことは、一人一人が自分の個性を活かして、自分のできる範囲で、自分のできることで貢献するのが原則です。

「やらなきゃいけないけど、誰もやらない場合はどうするの?」

”諦めます。”

人は手に入れたものを手放すことは苦手です。

人口が増えている時代、出来ることが増えていた時代に手に入れた環境。

今は、
人口が減少している時代、高齢化が進んでいる時代。生き方の多様化が進んでいる時代。

一旦手に入れたものを手放す勇気。

これが必要な時代だと思います。

そもそも、
町会は何故存在しているのでしょうか。

「不幸になるためでしょうか」
「人生を辛くするためでしょうか」

違いますよね。

「町民、ひとりひとりが笑って生きていくためではないでしょうか。」

一見、
そのことをした方が良い、あった方が良いと思われること。

でも、
実際にそれをすることで誰かが犠牲になる。

やるときと、やらないときを比べると、どちらが笑っている人が多いのか。

正義や善意の名の下に、不幸な人を増やす物事は断じてやってはいけないことです。

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