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ATM手数料のかかる夕刻

花粉のニュースがちらりと顔を出すようになりました。
まだまだ寒い日は続きますが、今年も春が訪れるようです。気のせいだけれど、何となく今日はいつもよりも日暮れが遅い。地元の商店街を歩く。思っていたよりも、若者が多い。シャッターは少ない。生きている珈琲喫茶がいくつもある。抜け出したかった地元で、生きている自分を想像した。

実家に帰ると、改めて親の存在を「ひとりの人」として認識できます。一人暮らしをしている間も親と連絡を取り合うことはありますが、「親としての側面」しか目に映らなかったということです。
実家に帰って、私がいない時の話を聞いて初めて、この人たちにも「何を食べた」とか「どこに行った」とか「何時に起きた」などの生活がちゃんと存在していて、今日まで続いてきたのだと実感したのです。

ATM手数料のかかる夕刻。夜にさしかかる香り。
遊びに行く人と帰る人の交差。
賑わい、温かみ、寄りかかり。

一月末日



二月三月になると何かが変わる予感がします。
それは、自分の人生が何か変わるという淡い期待が5%、年度の変わり目という社会の雰囲気に惑わされてというのが95%です。その95%の中には、自分も変わらないとという焦りや不安があります。だから、何かが変わる予感といっても楽しい気持ちばかりではありません。

夕刻、カーテンの隙間からはほんの少し、春色の光。
数日前まで、凍てる冷気を漏らし私を眠れなくしていたカーテンの隙間。
今はそんな様子もない。

街を歩けば春の足音が聞こえる。気持ちのいい音楽のおかげで、あの5%が膨らみそうになる。歩幅が伸びてゆく。
少し荒れた右頬をマフラーで隠して歩いていく。
それでも、物陰で去年の私が独り泣いていないか目を凝らしておく。




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