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縛られずに、ただ自由に書きたい。

noteの雰囲気をつくる特徴
ランキングがない
広告がない
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note公式サイトより

noteの「ランキングがない」という点は、たまらない魅力だ。
少し前に、某所でブログを書いていた。ネットワーク強化型で、知人を増やすには適していたものの、やたら「ランキング」を提示してくるところが馴染めず、2年近く利用して更新を止めた。

あと、そのブログでは気に入ったブログに「☆をつける」という仕組みがあった。他のブログでも「拍手」や「ハート」をつけるシステムはある。
この☆の厄介な点は「読者が好きな数を何度でもつけられる」「特別なときに、特別なカラーの☆をいくつでもつけられる」ということだった。少なくとも、私には難点に思えた。

同じ読者が、昨日の記事に☆を5つつけ、今日の記事に☆を1つつける。これがどうも査定されているようで気が滅入る。本人は、無意識にやっているのだろうし、悪気がないこともわかる。そもそも、そのブログルールに則って行っているだけのことだ。
ただ「昨日は面白い」「今日はまあまあ」という評価の匂いを嗅ぎ取るのは、私にとっては愉快ではなかった。

もちろん、その体制を好まず「自分はどんな記事に対しても☆の数は変えない」と決めている人たちも多かった。そういう人たちの方が付き合いやすかったな、と思う。

面倒なので、記事に☆をつけないように設定していたが、よそ様のコメント欄に書いたものに☆がつくことは避けられなかった。ーーコメントにさえ☆の数を変動してつける人が何人かいたのである。これもどうなんだろう、と思う。
リアルで「はい、今日の話は1点な」「今のまあまあや、3点」など、採点する人はいない。お笑い芸人同士で特訓しているならともかく、リアルでこんなことをやったら嫌がられると思うのだが。それが推奨される環境であると、何の疑問ももたずに従容とふるまってしまう。
だんだん、記事を書くのも、コメントをつけるのも厭わしくなってきた。

査定やランキングを頭から否定する気はない。それにより、向上していく面もあるだろう。しかし…陸上競技のように「最初にゴールした走者が1位」という明確な基準の中で戦うならともかく、ただのんびり書いているだけ、楽しんで書きたいだけなのに、こうした査定に巻き込まれるのは疲弊以外の何物でもない。

旧ブログでは、最近「グループ内でのあなたの順位を決めるランキング」を始めたらしい。これに血道を上げる人たちが、読者登録をしまくり、☆をつけまくり…で集客に励むのだろう。

そもそもブログ読者は、そのブロググループ内だけにとどまるものではない。ここで書いていると、どんどん視野が狭くなり、楽しめない気がした。
よって、そのブログは卒業することにした。

合わなければ、そこを離れればいいだけのことだ。
例えば、喫煙可能の喫茶店に入り「すみません、子どもがいるので煙草を吸わないでもらえますか」というのは筋が違う。吸いたい人の権利を侵してはならない。全席禁煙の場所にいけばいいのである。私は嫌煙家だが、そう思う。

それと同様で「居心地が悪い、ここは息苦しい、自分には合わない」と思ったら、黙して去ればいいのだ。あのブログで査定を続けている人たちも、悪気があるわけではない。そこの仕組みに、従順であるだけなのだ。

私はあの場所を卒業した。そして今はこの場所で、穏やかに好きなことを書こうと思っている。

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