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入学おめでとうございます

3月は別れの季節でしたが、4月は出会いの、始まりの季節ですね。

咲き誇る桜や、暖かい春の日差しに、

高揚感を覚えつつ、一抹の不安も抱えつつ、

というような人も多いのではないでしょうか。


4月と言えば入学式が一大イベントですが、

東大でも入学式が行われ、上野千鶴子さんの祝辞が話題になっていますね。

「賛否がある内容だ」なんて言われていますが、

読んだ人が思わず何か言いたくなる、思わず考えてしまうような文章というのは、中々書けるもんじゃないです。

何の波風も立たない文なんて無いと同じですからね。

そういう意味じゃ、とても価値のある祝辞なのではないかと個人的には思います。


内容はひとまず置いておき、僕が上野千鶴子さんの祝辞についてのニュースを見て、まず最初に思ったのは、

「僕の世代は、入学式は無かったなぁ」

ということでした。

祝辞、と言える内容かはわかりませんが、今回は僕の大学入学にまつわる話を書こうと思います。

なんてことは無い、僕の心の中だけの話ですが、僕にとってはとても大事なことです。

もしかしたら、他の人にとっても大事なことかもしれないと思うので、

だれも見てないかもしれないけど、みんなが見てるかもしれない、

このネットの世界に、書き残してみようと思います。



僕が東大に入学したのは2011年のことでした。

合格発表の日は2011年3月10日。

浪人生で名古屋に住んでいた僕は、合格発表の掲示板を見に東京まで行きました。

現役の時はノコノコと不合格の掲示板を見に行ったわけですが、

二度目の掲示板には僕の受験番号がちゃんと並んでいました。

今となっては過去のことですが、当時の僕にとっては人生最高の瞬間でした。

両親に連絡し、友人に連絡し、坪田先生にも連絡し、沢山の祝福を貰いました。

これまでの全てが報われたような、そんな気持ちでした。

その日は東京の友人宅に泊めてもらい、翌日は母親に上京してもらい、一緒に家を探すことにしました。

日付変わって2011年3月11日。

大学生協主催の物件紹介サービスを利用して、朝から駒場キャンパス周辺の物件を見て回っていました。

そして下北沢のエイブルで物件の情報をパソコンの画面で眺めている時、

大きな揺れが襲ってきました。

慌てて店の外に出ると、同じように建物の外に出た人で道がいっぱいになっていました。

色んな情報が飛び交う中、新幹線が使えないということが分かり、その日は急遽東京に泊まることになりました。

どのホテルもいっぱいで、唯一確保できたのはビジネスホテルのシングルルームでした。

ホテルについて、テレビを見て、ようやく正確な状況が掴めました。

延々と続く衝撃的な映像に、合格の喜びなどはもう消え失せていました。

言葉もなく画面を見つめていましたが、「もう見るのはやめよう」、とテレビを消し、

シングルベッドに母と二人並んでその日は眠りにつきました。

名古屋の家に戻ってからも、頭の中は津波と地震と原発のことでいっぱいでした。

そんな中で、ふと頭の中によぎったのは、

「犠牲者の中に、東大の合格者はいなかったのだろうか」ということでした。

僕と同じように、浪人して、一生懸命勉強して、念願叶って、家族や友人に祝福され、新生活を夢見て、期待と不安で胸がいっぱいになっていた少年がいたんじゃないのかな。

そんな少年があの中にいたんじゃないのかな。

もしかしたら、僕はその少年と大学で知り合って、友達になっていたかもしれなかったんじゃないのかな。

そんなことが頭の中をぐるぐる回っていました。

実際のことはわかりません。

そんな発表はされていませんし、僕の思い過ごしかもしれません。

ただ、それ以来、時折その少年の視線を感じるのです。(ホラー的なことじゃないですからね!)

「お前、そこに行きたくても行けなかった奴もいるんだぜ」

「お前、そんな風に過ごすくらいなら、俺と代わってくれよ」

「お前、そこに行って良かったって思えるか?」

「お前、そんな人生でいいのかよ」

そんな風に、問いかけてくるわけです。

大学生活だけを振り返ってみると、正直、この問いかけに胸を張って答えらえる自信はないです。

自分でも「勿体ないことをしたな」と思うことだらけです。

でも今は、

「誰が見ても最高の人生というわけではないかもしれないけど、少なくとも毎日楽しく、一生懸命に生きてるよ」

って答えられるように、日々を過ごすことができていると思います。


ノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)という言葉があります。

欧米の道徳観の1つですが、

「高い身分があるものは、その身分にあった振る舞いをする義務がある」

という考え方ですね。

もう少し、分かりやすく説明すると、

「貴族に生まれた以上、偉そうに庶民を見下して、毎日贅沢をして過ごすのではなく、庶民では得られないような知識や体験、財力を使って、社会をより良くしていく義務がある」

ということです。

マッチョで力持ちな人は、人を痛めつけるのではなく、力の弱い人を助ける役割があるでしょうし、

思考力に強みがある人は、それが苦手な人を利用したり、見下すのではなく、そうした人たちを支える役割があるでしょうし、

チャンスに恵まれた人は、自分の幸運に感謝するだけではなく、チャンスすらない人に手を差し伸べる役割があるでしょう。

「誰もがこのような考えに基づいて行動すべきだ!」、とは思いませんが、

僕の人生はそういう人たちのおかげで成り立ってきたと思うので、

自分も同じようにしてあげたいとは思っています。


結局出会うことは無かった「彼」の目から見れば、

僕らは「未来」と「可能性」という、無限の価値を持っている存在です。

「無限の価値」を持つ人の役割の大きさも、「無限」ですよね。

「1年生」になった皆さん、「自分には何もない」と思っている人も多いと思います。

「金持ちじゃない」「イケメンじゃない」「高学歴じゃない」「コミュ力がない」とか、

「持っていないもの」を挙げていけば無数にあると思います。

でも、皆さんは「彼」がどんなに願っても持つことが出来なかった、

「未来」と「可能性」を持っています。

僕も持っています。

まず僕が決して無駄にしないように、「彼」に恥ずかしくないように、一生懸命やっていきますんで、

皆さんも、一緒に頑張っていきましょう。

色々あって投げやりになることもあるとは思いますが、そんな時は支え合ってやっていければ良いですね。

ここまで読んでくださってありがとうございます。

入学、入社、本当におめでとうございます!

色々あると思いますが、判断に迷ったら健康第一で行きましょう!

生きてりゃなんとかなりますんでね。


新生活シーズンで悩んでいる人が周りにいる方はこちらの記事も是非読んでみてください!

それでは!

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