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【超訳】中島みゆき『銀の龍の背に乗って』

なぜだか小さい頃から、バラードが好きだった。中学、高校、大学と、みんなとカラオケに行ったときには、恥ずかしくないようにロックやらなんやらノリノリな曲を歌う。でも、ひとりでいるときには、けっこうな割合でバラードを聴いていた記憶ばっかりだ。大きく分類したら、活発な学生チームに所属すると思うが、静かで暗めな音楽が友だちだった。

さて、バラードといえば、誰のどんな曲を思い出すだろうか? ぼくの頭のなかの方程式には、こう書かれている。「バラード=中島みゆき」と。近年、結婚式でもよく歌われる『糸』、大人気番組プロジェクトXのエンディングテーマ曲『ヘッドライト・テールライト』まぁ、個人的には、『地上の星』や『時代』もバラードという箱のなかに分類されている。

そんな中島みゆきさんの曲のなかに、『銀の龍の背に乗って』がある。ご存知だろうか? 人気テレビドラマ「Dr.コトー診療所」の主題歌としても有名だ。中島みゆきさんの曲にランキングをつけるなら、かなりの激戦区だが3本の指に入るだろう曲。久しぶりに、自宅から目黒駅まで歩く途中に聞いていたら、涙がにじんできた。あらためて、こんなにいい歌詞だったんだ、と。

その瞬間、「大好きなこの歌詞を超訳してみたい」という野望の火が心に灯ったのである。ということで、不遜で、意味もないことはわかっているんだけど、敬意を確認しつつやってみたい。(まずは、歌を聞いてみてほしい)


(残念ながら中島みゆきさん本人のものがなく、槇原敬之さんver)

『銀の龍の背に乗って』

あの青ざめた海の彼方で、
今まさに誰かが傷んでいる。

まだ飛べないヒナたちみたいに、
ぼくはこの非力を嘆いている。

急げ悲しみ翼に変われ、
急げ傷痕羅針盤になれ。

まだ飛べないヒナたちみたいに、
ぼくはこの非力を嘆いている。

夢が迎えに来てくれるまで、
震えて待っているだけだった昨日。

明日ぼくは龍の足もとへ、
崖を登り、呼ぶよ。

「さぁ行こうぜ」

銀の龍の背に乗って、
届けに行こう命の砂漠へ。

銀の龍の背に乗って、
運んで行こう雨雲の渦を。

さぁ、超訳していこう。

あの青ざめた海の彼方で、
今まさに誰かが傷んでいる。

どんな人も、なにかしら、どこかしら傷んでいる。家族の不和、社会の閉塞感、未来へのゆるやかな絶望、人間関係のトラブル、お金の問題、漠とまとわりつく不安感や虚無感、挙げだしたら止まらなくなってしまいそうだ。

まだ飛べないヒナたちみたいに、
ぼくはこの非力を嘆いている。

暗い海の底へと沈んでいきそうな気分になると同時に、心のなかを探すと、こんな気持ちも見つかる。「もしかしたらじぶんにも、誰かを救えるかもしれない」。そして、誰かを助けに行こうと玄関に向かう途中に、鏡に映ったじぶんの姿が目に入る。その彼は、とっても非力だった。才能も能力も足りないことを思い出し、「わたしになんて、やっぱり無理」と、部屋に引き返してしまう。

急げ悲しみ、翼に変われ。
急げ傷痕、羅針盤になれ。

なにより、「誰かのために」と頑張ろうとしているじぶん自身が傷ついているじゃないか。しかし、時間は待ってくれない。あなたが救えたかもしれないどこかの誰かは、もうあきらめて絶望してしまうかもしれない。心を閉ざしてしまうかもしれない。だから、お願い。「わたしの悲しみや痛みが、彼らのもとへと飛んでいける勇気になりますように」

でも、もうひとつ困ったことがある。傷んでいる人がどこにいるのかわからないんだ。だってみんな、「傷ついてなんていませんよ」と、大丈夫なフリをして暮らしているんだから。どうしたらいいんだ? ・・・そうだ。箱の中に詰めて(鍵をかけて)、押入れの奥に押し込んでしまった、苦しくて、情けないじぶんの弱さをひっぱり出してみよう。もう触れたくもない傷痕が、答えを教えてくれるかもしれない。もしかしたら。

まだ飛べないヒナたちみたいに、
ぼくはこの非力を嘆いている。

夢が迎えに来てくれるまで、
震えて待っているだけだった昨日。

神様だか誰だかが、「素晴らしいじぶんやら未来」を届けに来てくれますように、と待っていた。「いまのじぶんはダメなんだ。だから、上手くいきっこない」誰にもわからないほど小刻みに震えながら。

だけど、それも、もうやめた。

明日ぼくは龍の足もとへ、
崖を登り、呼ぶよ。

「さぁ行こうぜ」

手を滑らせて落ちて大怪我するかもしれない。登ってみたはいいものの、龍なんていないかもしれない。でも、わたしは登る。そして、呼ぼう。「何をかって?」

「本当のほんとうは、おおきなじぶん」という光り輝く龍を。

銀の龍の背に乗って、
届けに行こう命の砂漠へ。

銀の龍の背に乗って
運んで行こう雨雲の渦を。

いっぱい傷ついて、震えいて泣いているわたしがいてもいいじゃないか。だって、それも偽りないじぶんの姿なんだから。でも、そんなちっぽけなわたしも抱きしめながら、素晴らしいじぶんという銀の龍の背中に乗って、魂のうるおいが干からびてしまおうとしている荒涼とした世界へ向かって行こう。

稲妻がとどろき、乱気流が荒れ狂うような、わたしだけにしか降らせられない「何か」が渦巻く雨雲を運んで、心の底からの「たのしみ」やら「よろこび」といった命の恵みの雨を降らせよう。どこかで傷み震えている、あの人の心と身体に沁みこむように。

ここまでで、超訳は終えることとする。
今回の超訳の作業こそ、この歌詞通りのことを実践しようとした試みだと信じている。なぜなら、書けば書くほど、その深さを説明するなんて無理だとあきらめたくなった。というかまず、このことになんの意味があるのかわからない。だって、そのままで完璧だと思うから。そしていまでも、この記事を出したくない気持ちもたぶんにある。でも、ぼくはまだ飛べないヒナだけど、崖を登り、呼んだんだ。

「さぁ、行こうぜ」と。

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