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これからどう働く? 糸井重里さんが語る「フリー」論。と、そこからの考察など。

たしか、先週の土曜日からだったと思う。この考えが、ぼくの頭から離れてくれない。真ん中にドスンと居座って、ものすごい存在感を示している。

それが、ここからご紹介する糸井重里さんが深夜にツイッターでつぶやいた「フリー」論である。まだまだ咀嚼しきれていないけれど、じぶんにとっても、どこかの誰かにとってもホントに大切なことが詰まっていると思うので、考察を加えさせていただきたいと思ったのだ。

「フリー」ということばの意味にふさわしく、まさに自由に、細分化されたいろんな働き方をえらべる。ぼく自身も、ぼくのまわりの人たちを見回しても、いい目をみたり、痛い目をみたりしながら、みんなで実験中だ。

・先ず、地力やら技術やら強さを身につけることから始めよ。
・先ず、本当にいい商品やサービスをつくることから始めよ。
・先ず、少人数とでも信じ合える関係を築くことから始めよ。

そうしないと、出がらし(=煎じ出したり、煮出したりして、味が薄くなったもの)になるとは、さすがのことばのチョイスに舌を巻いてしまう。が、ほんとうにその通りだと思う。

収入の不安定さ、未来の不透明さに対する恐れやら不安みたいなものが、フリーにはとり憑きやすい。知らず知らずのうちに、稼ぎ優先のひとりブラック企業化してしまうのもよくわかる。このあたりの感情との付き合い方は、じつはフリーにとって大切なものだったりすると思う。

あとは、健康に対する意識の高め方かぁ。うーん。食う、寝る、遊ぶ、ときどき体のチェック。かなぁ、いまのところ思うことは。制度的なものをどうするか、ちょっとなんとも言えない。

現に、ぼくが関わる会社にもフリーの人がプロジェクトチームのメンバーとして入って多国籍軍みたいになっていたり、フリーがチームを組んで会社っぽい動きをしていたりする。まさに、フリーランサーによって担われた仕事が、そこかしこにある社会になりつつある。決まった答えもなく、先も見えず、探り探りのまさに冒険的なチャレンジがいっぱい。(だからこそ、おもしろみもあるんだけれども)

金銭的に、時間的に、人間関係的に、健康的に「つらい」、「つらくない」の差は広がるだろうな、いや広がっているよね。もうすでに。

キングコングの西野亮廣さんが、たしか「株式会社西野亮廣」を設立していたはず。そして、「株式会社〇〇(本名)事務所」なる会社は、過去にもたくさんあった。そんなふうに、個人なんだけれど会社にしてしまうというのもアリだなぁと思う。社会との付き合い方や制度的なものに対する意識が切り替わる可能性があるから。

必要以上にじぶんを大きく見せない。かといって、小さくもならない。これってまぁ〜、むつかしい問題。じぶんで仕事をつくらないといけないフリーであれば、なおさらのこと。まずはザックリと、「無理めな拡大」と「じぶんの安売り」のどっちにいるかをチェックして、その反対のほうに体重をかけて活動することで「ちょうどいい」ところが見えてくるかな。

フリーの人たちを、ちょうどよき具合にマネジメントしてあげる仕事には需要がありそう。かゆいところに手がとどく、必要最低限のマネジメントやクリエイティブ、マーケティングを手の届く価格でやるイメージで。

「ちやほやされる」と「なめられる」を、幾度となく行ったり来たりしながら活動する。そんななかでも、基本ポジションは「ちょっとなめられる」的なところにいるみたいな感じがよいのだろう。

たとえば、いまのぼくは、「ちょっとなめられる」、じぶんの心のなかでは「うーむ、、イケてないぞ」くらいのところにいると思う。そうするとなぜだか、古典に立ち返ったり、未来のことを地に足つけて考えてみたり、本当のほんとうにやるべきことに出会えて、着実に積み重ねてたりしている気がする。

追伸、、、
長生きできるフリーの人は、しっかりとした信頼関係のあるお客さんや支えてくれる人、ちょっと強めに言うなら、ファンがいます。

それはフォロワーをたくさん増やすとかではなく、強固なつながりのある人をまず100人作れるかが鍵です。

有料ですが、心にピンときたら、こちらの記事を参考にしてみてくださいね😌


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