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すぐやる。ちょっとでもやる。

打ち合わせが終わり、お酒もまわり、夜も深まった山手線のなか。これから帰って、久しぶりに泊まりに来る友人と( きっとずいぶんと夜更かしをして )つもる話をする予定。さらにそのあと、noteエッセイの原稿も待ち構えている。

そんなとき、古賀史健さんのnote記事を読んだ。「写経はいいですよ」と、そう書かれている記事と解釈した。( ちなみに写経とは、誰かの文章をそっくりそのまま書き写すことをいう )それを読んで、こんなふうにつぶやいた。

ここに書いているように、ぼくは昔からときどき写経というものをしていた。本田健さんの本や糸井重里さんの「今日のダーリン」、村上春樹さんのエッセイ集などなど。いまでもぼくのパソコンのなかには、これまで書き写してきた文章たちが保管されている。

しかし、どれもエッセイのものばっかり。小説の写経をやったことがないのに気がついた。たぶん無意識のうちに、「小説=長編」の方程式が刷り込まれていて、手を出さなかったのだろうと思った。( だって、『ねじまき鳥クロニクル』やら『カラマーゾフの兄弟』を写経しはじめたら、気が遠くなるほどの時間がかかりそうじゃないですか… )

しかし、古賀さんの記事のなかで、こんなふうに書かれていた。

好きな短編をひとつだけでもこの眼で読み、解き、写していけば、そこから先の文章はずいぶん変わるはずだと思う。

山手線の満員電車のなかで、ちっちゃな稲妻がピリピリと走った感覚にとらわれた。「あぁ、そうじゃん。それならできるな」と。家に帰ってからやることを心に決めた。

が、冒頭に書いたように、友人と深夜2時近くまで話をして、そこから1時間以上note原稿を書いて、パソコンの右上に表示される時間をチラッとみると深夜3時の5分前だった。

最後の力を振り絞って本棚の前に立ち、好きな短編が収められた小説を探す。人差し指を使って本を斜めに傾け、その人差し指と親指で軽くつまんで抜き取る。机に戻り、そこらへんにあるものを重しにしてページを開いて、

 僕は大沢さんに向かって、これまでに喧嘩をして誰かを殴ったことはありますか、と訊ねてみた。

と、キーボードを打ちはじめた。ぱたぱたぱたぱた…。友人が隣の部屋で眠り、奥さんが隣で眠っている。シンと静まり返って部屋で、ぱたぱたぱたぱた…。いい感じで集中していたが、5分が経過すると潔くパソコンを閉じた。

そこから数日。バタバタと忙しい毎日を過ごしている。しかし、一日のうちほんの5分だけでも、1ページだけでも、小説の写経をチクチクと進めている。短編とはいえ、道のりは遠いようだ。でも、、、

すぐやる。ちょっとでもやる。

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すぐやる習慣、ちょっとでもやる習慣は、見た目よりもずいぶんと強い奴。派手ではないけれど、地味に心強い。味方につけておきたいものですね。

エッセイを書きたい、有料化していきたい、でもあまり自信がないという人へ贈る、エッセイの書き方の有料記事です。

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・有料にする3つのヒント
- その1. 最初に「うまくやらない」と決める
- その2. お金をもらえなくたってやるか問う
- その3. 「あんまり売れない」のなら、なにか工夫する
・ おまけ:エッセイスト、コラムニスト必読の三大古典作品


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