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ときには、井戸の、奥底で。

ここ最近、小学生のときのような気分を味わっていた。最新作の『ドラゴンクエスト』の発売日を心待ちにしていたウキウキな気分を。なにを待っていたのかというと、『みみずくは黄昏に飛びたつ』だ。このタイトルで、だれの、なんの本かわかったら、なかなかのツワモノであると認め、ハルキストの称号を与えよう。(いまだに、なんのことを言っているのかわからない人もいるだろうか…)

この本である。

小説家である村上春樹さんの、おもに「創作」に関するインタビュー本である。テーマはもちろんのこと、芥川賞作家の川上未映子さんが訊き手とのことで、いやでも期待感が高まってしまう。作品が発表されてから発売日までの期間をゆび折り数え、どうにもこうにも我慢がならなくて、発売日前の5月26日に出てるんじゃないかと、わざわざ書店を覗きに行くと、あった。

(ランチのお店が4軒満席で行けなかったが、そのイライラが一瞬で吹き飛んだ)

心を童心に返してくれる村上春樹さんの作品の魅力はどこにあるのだろうか? 最新刊に書かれた(川上未映子さんの)まえがきのことばが、その秘密の答えの呼び水になってくれている。

ようこそ、村上さんの井戸へ。

村上春樹さんの小説には(比喩的な意味ではなく、実際的な)井戸が頻繁に登場する。村上さんといえば、井戸を連想する人もいるほど。ではなぜ、井戸という存在が鍵になっているのか、村上春樹さん本人のことばをお借りして説明していくことにしよう。まずは、これ。(『村上さんのところ』より)

続けて、こちら。

本当に暗いところ、本当に自分の悪の部分まで行かないと、そういう共感んは生まれないと僕は思うんです。もし暗闇の中に入れたとしても、いい加減なところで、少し行ったところで適当に切り上げて帰ってきたとしたら、なかなか人は共感してくれない。
『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』 村上春樹

どうだろうか? 云わんとしていることが、伝わったらうれしい。

村上春樹さんの小説の主人公が井戸の底に降りていったように、じぶんの人生という物語においても、井戸の底にいた時期が少なからずあった。お金や仕事のこと、両親やパートナーとのこと、井戸の種類はさまざまだ。ただぼくの場合は、『ねじまき鳥クロニクル』の主人公岡田了のように「行った」というよりも、「落ちた」というほうが正確かもしれず、さらには、じっと座っているというよりも、井戸の底でバタバタとあがいていた記憶のほうが強い。そんなんで大丈夫なのだろうか、という不安もなくはないが、まぁ良しとしたい。

この深みに達することができれば、みんなと共通の基層に触れ、読者と交流することができるんですから。つながりが生まれるんです。もし十分遠くまで行かないとしたら、何も起こらないでしょうね。
『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』 村上春樹

人と人は、ことばだけで、頭だけでつながっているものではない。もっと深いところで、きっとつながっている。専門的なことばを使えば、集合的無意識とでも言うのだろうか。でも、そんなむつかしいことばを引っぱり出してこなくたっていい。ことばや思考よりもっと以前の「感覚」として、わかってしまうのだ。(人間って不思議なものだけど)

おっと最後に、深くて暗い井戸から這い上がれなくなってしまい、閉じ込められそうになったときの脱出方法もお伝えしておかねばなるまい。(けっこう本気で、危ないときがあるから注意したい)

今回もコンテンツ会議を読んでくださって、ありがとうございました。
エッセイなんだけど、井戸に降りるイメージで書いています。(けっして、降りれているとは言えないが)と、なかなか時間がかかるもので、まだ慣れないものです。今回もぐったり、でも書く前よりもすっきり。

ツイッターも熱心に楽しんでます。
→ https://twitter.com/hiroomisueyoshi

あと、平日はだいたい毎日エッセイを書いています。
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◉ ボーナストラック(村上春樹のひと言ライブラリー)
ここからは、村上春樹さんの非公式ツイッター(書いてる内容は本物)のつぶやきのなかから、末吉が独断と偏見でチョイスした選りすぐりのことばをまとめてみました。


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