【小説 密林越えて】 

 その年の夏のある日の未明のことだった。いきなりアパートに現れた三人組に車に乗せられ、札幌から十勝の山奥の建築現場に連れて行かれた。

 原因に覚えもあることなので、おとなしく命じられるままに二十人ほどの仲間たちと穴堀りに従事すること一日九時間、朝八時から昼メシ休憩挟んで夕方六時まで搾りに搾られて、夜はジャガイモ洗ったようなナマ温い液体のフロに入り、飯場で夕メシ、ゴードー焼酎飲んでバタンキューの日々。夜が明ければ六時に起床、朝メシの後、八時からまた穴堀り、瀧のように流れる汗と泥にまみれて掘り続け、一輪車で土砂を運ぶ毎日の繰り返し、自ずと「春の昼犬が押してるネコ車」という一句が出来てしまったのだった。

 二十日近くたったある日、前夜に取っておいたご飯と朝メシとで秘かに握りメシを作り、ペットボトルに水をつめてバックにつっこみ、もう一人とタコ部屋を脱出、汗だくになって、むっとする草いきれの中、笹や蕗やイタドリやゼンマイワラビや、カラマツ、トドマツ、エゾマツ、ナラ、カンバ、その他名前の分からぬ樹木や草のぼうぼう生えている山道を歩いて下ること数時間、さあ、一服するべかと、腰を落として休んでいたところ、何か変な生臭い匂いがするな、と感ずる間もなく、視界の端に黒い大きなモノが動くのに気づき、「わあー、熊だー」と荷物投げ出し走り出した。仲間がどうなったかも知ったものでなく、方角も何もあったものでなく、手足の切り傷も我慢して、ただ無我夢中で昼夜走りに走り、いつか夕暮れの帯広の街に入っていると分かった時には実にほっとし、体中の力が抜けて路上にぶっ倒れるかと思われた。

 JR駅近く、かねて知り合いの古書店S堂さんにようよう辿り着き、埃と泥と汗と塩と血糊とでごわごわになったボロ服から発する匂いも省みず、迷惑もおかまいなしにレジ横の椅子に座らせてもらい、ご店主の厚意に甘えて、出された水にアイスコーヒーがぶがぶ飲んでいると、話の合間に入口の方を見やったS堂さんの顔が蒼ざめ、凍りついたまま。見ると黒い巨大なモノが入口塞いで立っているではないか。「うぎゃー」ヒグマが咆哮するのと同時に自分たちは叫んだ。本棚二本に挟まれた中央の通路を牙を剥き出しにした熊が近づいてくる、迫ってくる。自分は立ち上がるや咄嗟に左側の通路を入口へと駆けた。背後に獣の咆哮と人の悲鳴が聞こえたが振り向くことはなく、外へ出ると猛然と走り出した。まもなくサイレン鳴らしながら走る数台のパトカー、次いで救急車とすれ違った。S堂さんは大丈夫だろうか。思えば自分が熊を連れてきたようなものだ。

 走り疲れて立ち止まった夜の歩道、ふと周りを見ると、豚丼という文字が大きく派手派手しく輝く黄色くバカでかい行灯の前に立っていた。店の外壁の換気扇から香ばしいウマそうな匂いが吐き出されてくる。そういえば腹が減っていた。まったくの空腹であった。丸二日ほど何も固形物を腹に入れていないのだから躰も頭もふらふらしていた。ポケットの財布には千円札が二枚入っている筈だ。とりあえず何か食おう、食って、それから今後を考えよう……数少ない、だがすでに愛想を尽かされている友人にSOSの電話を入れてみるか……それとも思い切ってお巡りさんに相談してみようかしらん……でもその前にメシだ、それには帯広名物豚丼だよね。元気が出そうだよね、と店の引き戸に手をかけようとした時、ズンと肩が重くなった。熊に追いつかれたのか、と一瞬呼吸も止まったほどであったが、強く肩を掴んでいたのは人の手だった。いつのまにか顔見知りのあの三人の男が自分を取り囲んでいた。イヤもオウもなかった。豚(トン)で火にいる夏の虫とは俺のことであったか、と、くだらぬシャレがすっかり気抜けした頭に浮かんだ。

 ワゴン車に乗せられ自分はまた密林を越えて工事現場に戻されることになった。密林の間を通る夜の山道を月が照らしていた。あまたの星が今にも降ってきそうに近くまたたいていた。二日分の利子がつくから冬になるまでいてもらうことになったから、と一人が説く。これからどうなるのだろう。生きて札幌に帰れるのだろうか。だが、まずは飯場に戻ったら何か食わしてもらって、思い切り寝よう、というのが、その時の切なる望みだった。

 自分は三十歳になったばかりだった。もっといろいろやりたいこともあった。きっと人生をやり直せると思っていた。とにかくまだ生きていたかった。



(了)


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