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わたしとデュエルマスターズ

小学生の頃の私は、毎日毎日デュエマばかりしていた。

月曜から日曜まで、ダンス、剣道、スイミングなど多種多様の習い事をこなし、なんなら今より多忙な日々を送っていたはずなのに、ひたすらにデュエルをしていた。なんだったんだあれは。すごい情熱だ。

雨の日も風の日もデュエルばかり。学校から帰ると、真っ先にマンションの集合ポストに向かった。雨風の凌げるその場所には、いつもたくさんのデュエリストが集まっていたから。あそこは風でカードが飛んでいかない便利な場所だった。私たちにとってそこは「ポスト」ではなく「フィールド」だったように思う。

デュエリスト達はそこで鎬を削り、お互いを高め合った。

恐らくデュエマの強さが弱肉強食の小学生社会のカーストに大きく影響していることを知っていたからだろう。

小学生のカーストを決める主な要因は三つ。

学年・運動能力・デュエマスキル


言うまでもなく、学年は小学生の上下関係を決定する重要なファクターだ。1年での身体的及び精神的成長がえぐい時期なので、問答無用で年功序列のシステムが導入される。

そしてまた無視できないのが運動能力。小学生の遊びの大半を占めるのはフィジカルプレイ。鬼ごっこで有利にゲームを進めるための必須スキルである脚力、サッカーで活躍するためのシンプルなサッカースキルなど、運動能力はそのコミュニティでの存在感に大きく関わってくる。

しかし私はそもそも女子故に産まれながらに運動能力に欠けていた上、50メートル走は女子の中でも若干遅い9秒という記録を持ち、マーチングバンド部所属という深刻なハンディキャップを背負っていた。小1から小3まで習っていた付け焼き刃のサッカースキルもそこそこにしか役に立たない。このままでは上級生はもちろん、下級生にもなめられかねない。同級生のだいちゃんはサッカー部だったし。

そこで残された選択肢であるデュエマスキルに、私は勝負をかけた。

私の当時の居住区ニシカモグンではデュエマは小学生の教養。デュエマの弱い者は無教養とされ、強い者は皆に尊敬され揺るぎない地位を約束された。

小4でニシカモグンに引っ越して来た私にとって、そこでの地位の確立は死活問題。だから私は死に物狂いでデュエマスキルの研鑽に務めた。

毎月のおこづかいのほとんどはパックを買うのに費やした。女友達とイオンに行き、ゲームセンターでプリクラを撮ってゴテゴテにデコる活動も最小限に抑えて。誕生日プレゼントはハードオフで選び抜いた自身のデッキに最適なレアカードだったし、兄と弟との家庭内訓練も怠らなかった。

その血の滲むような努力の甲斐あり私はニシカモグンで、ある程度の立場を得ることができた。だいちゃんはデュエマも強かったから相変わらず敵わなかったけど。

こうしてデュエルに明け暮れた毎日は紛れもなく、私にとってかけがえのない思い出である。

鬼ごっこをして、虫を採って、デュエルをしていたあの日々を思い返すと、郷愁感で胸がいっぱいになる。

あの頃の情熱をもう一度味わいたい。デュエルがしたい。シールド展開したい、ドローしたい、マナをためたい、アタックしたい、ブロックしたい、ドヤ顔でシールドトリガー発動したい!!!

だから私は、デュエマ飲みがしたいんです。

あの頃のカードを血眼で探してオークションで落札し、懐かしのデュエルをするのでもいいし。今発売してるデッキを買って、カードの変化に時の流れを感じながら忘却のデュエルをするのでもいいです。

全国のデュエリストの皆さん、ご応募お待ちしています。

以上、私のデュエルマスターズへの想いでした。ターンエンド!