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ニューロマン都会編*作品解説

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5章 おわりに|ニューロマン都会編

5章 おわりに|ニューロマン都会編

修了作品の「ニューロマン」は、2章から4章で述べた都会の生活の中で感じてきた現代の問題点について自身のライフスタイルを用いて提案していく表現方法である。

「都会編」では営業時代に現代社会に疲れ、高度経済成長期に憧れるようになった私が、過去が良かった時代だとするならば今日より明日がもっと悪くなるばかりだということに気づき、高度経済成長期のまぼろしを売る屋台を作って街中に飛び出して仲間を見つける。誕

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4-3*世代を超えて歌でコミュニケーションするために| 4章 都会の生活で感じた現代の問題点ーなぜ現代ではスナックのカラオケでコミュニケーションができないのか|ニューロマン都会編

4-3*世代を超えて歌でコミュニケーションするために| 4章 都会の生活で感じた現代の問題点ーなぜ現代ではスナックのカラオケでコミュニケーションができないのか|ニューロマン都会編

世代を超えて歌でコミュニケーションをするために、私は作品を通して三つのアプローチを行なっている。

一つめは、スナックという入りにくい場所をオープンにする試みだ。

2013年に制作した「まぼろし屋台」は、移動式スナックである。しかし飲食物を販売している訳では無い。売っているのは高度経済成長期のまぼろしだ。もちろん、お代もまぼろしで構わない。ポータブルレコードプレイヤーで歌謡曲を流し、そこに集まっ

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4-2*日本の歌の原点| 4章 都会の生活で感じた現代の問題点ーなぜ現代ではスナックのカラオケでコミュニケーションができないのか|ニューロマン都会編

4-2*日本の歌の原点| 4章 都会の生活で感じた現代の問題点ーなぜ現代ではスナックのカラオケでコミュニケーションができないのか|ニューロマン都会編

そもそも「知らない人の前で歌うなんて恥ずかしいし、スナックなんて行かない。歌でコミュニケーションなんてしたくない。」という人も大勢いるだろう。

しかし、いつの時代も歌は私たちのすぐ側にある。

流しがスナックのカラオケになり、カラオケボックスになり、一人カラオケが流行して歌の個室化がより進んでも、人はどこかで歌いたいのである。

なぜだろうか。

今でこそ、歌でコミュニケーションをすることは珍し

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4-1*流行の加速と日本語の崩壊|  4章 都会の生活で感じた現代の問題点ーなぜ現代ではスナックのカラオケでコミュニケーションができないのか|ニューロマン都会編

4-1*流行の加速と日本語の崩壊|  4章 都会の生活で感じた現代の問題点ーなぜ現代ではスナックのカラオケでコミュニケーションができないのか|ニューロマン都会編

スナックでのアルバイトを通じて、見ず知らずの人と歌でコミュニケーションできる歌謡曲の素晴らしさを知った。しかし、そのコミュニケーションに参加できるのは概ね年配層に限られている。

なぜ、若者はスナックのカラオケでコミュニケーションすることができないのか。

その理由は大きく分けて二つあると考えている。

一つめは、流行の加速化により、世代を超えて共有できる歌が少なくなっていることだ。
大ヒットや大

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3-3*移住計画|  3章 都会の生活で感じた現代の問題点ー食と住居|ニューロマン都会編

3-3*移住計画| 3章 都会の生活で感じた現代の問題点ー食と住居|ニューロマン都会編

私はこの問題に対しての提案を行なうために、父が継がなかった長野の空家に移住する事を目指している。

高度経済成長期に若者たちは仕事を求めて都市へ流出した。
しかし好景気が終わった今、仕事のために都市に住み続け、高い家賃や住宅ローンを払い続ける生活に本当の豊かさはあるのだろうか。

現代ではインターネットの普及により高度の情報社会が実現されつつある。また、交通機関の発達により行動圏が大幅に拡大し、時

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3-2*工業の発展による都市への人口流出、農業の衰退|  3章 都会の生活で感じた現代の問題点ー食と住居|ニューロマン都会編

3-2*工業の発展による都市への人口流出、農業の衰退| 3章 都会の生活で感じた現代の問題点ー食と住居|ニューロマン都会編

なぜ、私たちの生活は食物の生産現場から遠くなってしまったのか。

私の実家はトヨタ自動車の社員が中心に住んでいるニュータウン(新興住宅街)にある。農業を営んでいる人は皆無だ。

だが、祖父母は父方・母方ともに農家だった。
私の父は、トヨタ自動車に就職するために長野県の実家を出て愛知県へ流出した。

高度経済成長期に工業が発達し、農業が衰退した。
1950年には就業人口の約45%が農業に従事していた

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3-1*年中行事と行事食|  3章 都会の生活で感じた現代の問題点ー食と住居|ニューロマン都会編

3-1*年中行事と行事食| 3章 都会の生活で感じた現代の問題点ー食と住居|ニューロマン都会編

私は営業時代、朝食と昼食はコンビニで購入し、会社のデスクで仕事をしながら食べていた。

夕食は何を食べていたのか記憶にない。
それ程、食に対する意識が薄かったと思う。

転職して時間の余裕ができてからは、スーパーで食材を買って自炊をするようになった。
旬の食材は安価に購入できるので、旬を意識した料理をするようになった。
すると、季節ごとに食べたい料理や食べるシチュエーションをイメージするようになっ

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2-3*現代に提案する豊かな装い|  2章 都会の生活で感じた現代の問題点ーなぜ現代の服装は無彩色のコーディネートが多いのか|ニューロマン都会編

2-3*現代に提案する豊かな装い|  2章 都会の生活で感じた現代の問題点ーなぜ現代の服装は無彩色のコーディネートが多いのか|ニューロマン都会編

季節ごとに身につけたい色について考えるようになってから、四季のある日本で暮らす生活の幸福感が増した。

そもそも日本に洋服が入ってきたのは明治時代であり、たった150年前のことだ。女性にいたっては庶民が洋服を着出したのは戦後なので、わずか70年の歴史。

それ以前の約1400年もの間、日本人は和服を着ていた。
着物には襲の色目(かさねのいろめ)という重ね着をする衣裳の配色の仕方を年齢、季節、行事な

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2-2*モノトーンの流行|  2章 都会の生活で感じた現代の問題点ーなぜ現代の服装は無彩色のコーディネートが多いのか|ニューロマン都会編

2-2*モノトーンの流行|  2章 都会の生活で感じた現代の問題点ーなぜ現代の服装は無彩色のコーディネートが多いのか|ニューロマン都会編

それではなぜ、現代では黒やグレーなどの無彩色を組み合わせたファッションが多いのか。

黒は、1980年代に従来の服飾美学を否定したファッション革命として大流行した。

80年代に流行したモノトーンが現在まで流行している理由として、無彩色の組み合わせは楽である事と90年代以降の不況が影響すると考える。前述の通り、有彩色同士の組み合わせには様々な配色の法則が存在する。そのため安易に着回す事ができないが

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2-1*営業時代から現在までのファッション|  2章 都会の生活で感じた現代の問題点ーなぜ現代の服装は無彩色のコーディネートが多いのか|ニューロマン都会編

2-1*営業時代から現在までのファッション|  2章 都会の生活で感じた現代の問題点ーなぜ現代の服装は無彩色のコーディネートが多いのか|ニューロマン都会編

 私は営業職時代、黒やグレーなどの無彩色を組み合わせたスーツの着こなしに何の疑問も感じていなかった。休日にカラフルな色のワンピースを着る時もタイツや靴や鞄は黒で統一することが基本であり、お洒落だと思っていた。

しかし、高度経済成長期の文化全般に興味を持つようになると、当時のファッションに比べて現代では黒やグレーといった無彩色のコーディネートが多い事に気付いた。

当時のファッションで黒が頻繁に登

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1-5*作品制作の動機|1章 はじめに|ニューロマン都会編

1-5*作品制作の動機|1章 はじめに|ニューロマン都会編

私を救ってくれた昭和らしいコミュニケーション。
そして高度経済成長期に作られた素晴らしいデザインや音楽たち。
それらはすべて現代における過剰な大量生産・大量消費によって失われていったものだった。

今日より明日がもっと良くなると誰もが信じていたという高度経済成長期に憧れている。しかし、過去が良かったとするのならば、私たちが生きる未来は今日より明日がもっと悪くなるばかりだということになるだろう。

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1-4*転職|1章 はじめに|ニューロマン都会編

1-4*転職|1章 はじめに|ニューロマン都会編

広告代理店に3年勤めた後、母校の名古屋芸術大学デザイン学部の助手に転職した。

助手の仕事は週3日でだったので、副業としてスナックでホステスのアルバイトを始めた。アルバイト先は名古屋で一番の歓楽街・錦三丁目にある老舗スナック「ゆめじ」だ。

「ゆめじ」の客層は50代~60代が多く、しばしばカラオケで昭和の名曲達が唄われていた。私はもともと昭和歌謡が好きな方ではあったが詳しくなく、現代のミュージシャ

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1-3*転居|1章 はじめに|ニューロマン都会編

1-3*転居|1章 はじめに|ニューロマン都会編

入社して3年目の夏。
名古屋で一番古い商店街、円頓寺商店街に引越した。

転居先は、一階に「まつば」という純喫茶が入っているアパートの二階。
築30年以上の古い物件だが、窓から見える商店街の風景や高度経済成長期の面影を残した建物のデザインが気に入った。

アパートの大家さんは、「まつば」を営業している老夫婦だった。「まつば」は近隣のお年寄り達が毎日定刻にコーヒーを飲みに来る憩いの場になっていた。私

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1-2*高度経済成長期との出会い|1章 はじめに|ニューロマン都会編

1-2*高度経済成長期との出会い|1章 はじめに|ニューロマン都会編

入社3年目にはいよいよ精神状態が悪くなり、出社したとたんに涙が止まらなくなる日が何度かあった。だいぶ前から自分は鬱病ではないかと思っていたが、病気だと診断されることが会社から逃げた甘えだと思われる事が怖くて病院に行く勇気がなかった。

そのような暮らし向きの悪い生活をおくるなか、ゴトウイズミさんの「昭和喫茶にて」というアルバムに出会った。
ゴトウイズミさんはアコーディオンの弾き語りアーティストで、

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