無題 #1117

 高層ビルの上方にある三面ガラス張りの部屋。女は黒い下着姿で薄曇りの街を眺めている。程よく肉のついた肢体と金髪がうっすら窓に反射し、女の眼は地上の車列と自身の下腹部のうちのどちらを捉えているやら判然としない。不意に、首だけで振り返り、視線の先にベッドがある、乱れたシーツとターコイズの毛布の間に青年が一人。
「寝てくの?」
 女が問うと青年は唸り、鼻先まで毛布をたぐる。
「いいや、起きるよ」
「裏腹ね。これから仕事?」
「そう。でも遅番」
「何してるんだっけ」
「俺? ケーサツ」
「私は何でしょう」
「……編集長?」
「あら覚えてたの」
「一応ね」
 観念したように毛布を剥ぐと、彼は起き上がり目を開く。女のそれより鮮やかな青がまばゆさを厭いすぐに細まる。半身は裸だ。残りの半身は、毛布に包まれ確認できない。首が左右に振れる。シャツを探している。
「それじゃ私の名前は?」
「アメリア」
「聞いてたの? 呼んでくれたらよかったのに」
「姉と同じなんだ」
「お姉さんがいるの?」
「俺の名前は?」
「カーティス」
「正解。君だって呼ばなかっただろ」
「叔父さんと同じなんだもの」
「そう。どこにでもいるんだな、俺は」
 床の紺色と同化していたそれを見つけて拾い上げる。鷲掴んだ指の隙間からブランドタグが覗く、Burberry。シャツを羽織ると青年は瞼をくしくしと擦って、女もまた、ソファの背にかけてあったブラウスを手に取り近づいてくる。下着と同じ色をしたシフォンのブラウス。羽織りつつ彼女は言う。
「ほんとはウソ。叔父さんはデイヴ、けど職場の同僚にはカーティスっていたかもしれない」
「ふうん。そっちのカーティスと俺とどっちが巧い?」
「何が?」
「セックス」
 くすくすと笑う。青年はあくまで空惚けた顔をしている。楽しげに笑んだまま彼女はベッドへ転がりこむ。
「知らないわ。あっちのカートとは寝てないの」
「じゃあ寝てみてよ。それで結果教えて」
「どんな風に?」
「俺の勝ちって」
「負けだったら?」
「じゃあ人事部風に。厳正なる審査の結果、残念ながら不採用と——」
 言い切る前に女は青年へ飛びかかり、彼も逆らわず倒れる。ひとつふたつ口づけを交わし、ふと見つめ合う、褪めた蒼と群青。ブラウスの裾が彼の脇腹を撫ぜ、彼の手が女の背骨をなぞるように滑る。指先は、驚くほど冷たい。
「そんな誰彼構わず、寝ないわ」
「俺とは寝たのに?」
「構うから寝たのよ」
 彼の喉がくぐもった音を鳴らす、
「ねえ。ボタン留めて」
 女はさらに笑う。馬乗りになって、乞われた通りにする素振りで両の襟を掴むとそのまま、中を覗き込むようにして彼の身体へキスを落とす、鍛えられた筋をたどって真っ直ぐに臍まで。彼はくすぐったげに身をよじり、一方で彼女の髪に手を置く。女が面を上げる瞬間彼もまたその手を逃した。
「留めてってば」
「子供みたい。あなた歳はいくつ?」
「今年22」
「やだそんな若いの?」
「なに、老けて見えた?」
「そうじゃないけど随分と大人っぽいのね。遊び人でしょう」
「数は多くない、巧い人と寝たんだ」
「私いくつに見える?」
「いくつでも美人」
「うまく逃げたわね」
「そんなんじゃないって」
 生成りとレモンの縞模様のランプシェードがひとつ、傍らにイヤリングが一対。白い石にマンダリンオレンジのタッセルが飾られたデザイン、彼女が着ていた細身のドレスに、それは合う。左側のサイドテーブルへ彼は右の腕を伸ばす。金具の部分を摘んで、揺らす。
「ピアスじゃないんだ」
「穴開けるのヤで。あなた付けてみる?」
「え、なんで」
「いいからちょっと、付けてみなさいよ」
 青年はしばらく女を無心に(そこからはいかなる嫌悪も侮蔑も窺うことはできなかったが好意的な表情が突如として無へ帰ったので傍目にぞっとしないものがないでもなかった)眺めたあと、そっと姿勢を正し壁へ軽く凭れて、イヤリングを嵌める。もう片方は女の左の耳朶へ飾った。彼女の耳にあるときは大ぶりに見えた長い房も彼の体躯と比べると華奢で、派手なオレンジは彼の素肌の血色の悪さを際立たせ、しかしそうした不調和が何か得体の知れない妖しさとなって女の胸を突いたらしかった。口走る、といった具合に、彼女は呟く。きれいな人。
「そうかな」
「ウソ。言われ慣れてるはずよ」
「そうでもないよ」
「バレバレだわ」
「君だってよく言われるだろ?」
「女は世辞でも言われるもの。男はそうはいかないでしょ」
 それ、あげる。 囁いて、女は身を引く。「あなた似合うわ」
「帰るの?」
「ええ。会議始まっちゃう」
「そっか。あのさ、」
「なあに」
「さっき、22だって言ったろ、歳」
「言ったわね」
「あれはウソ。俺本当は24なんだ」
 ドレスのホックを留めていた彼女は一度手を止め、振り向く。
「なぜ? 22も24も、さほど変わらないじゃない」
「……だよね。なんでウソついたんだろ」
「知るわけないわ。変なひと」
「バイバイ、ミリー」
「ねえカート、どっちが巧いの? セックス」
「は?」
「私と、あなたのお姉さん。……冗談」
 さよなら、カート。 ドアの閉まる快い音が部屋に響き、そして消えてからも、青年は瞳を丸くしていた、だが表情はじき元に戻る。毛布を除けばボトムスを履いたままの両脚が現れ、彼はその長い脚を振り回し気味に床へ降ろすと間断なく立ち上がる、カフスを留めつつ窓辺へと歩いていく、北側の窓へ、やがて今にも触れそうな位置で足を止めた。地上を見下ろす横顔がガラスに映る。伏せた瞼の隙間で、はっとするほど青い目の中を何かの影が通っていく、あるいは光が、それは過り続け、また過る影や光のどれひとつとして彼は注視していないようだった。柔く閉じられた唇と弓なりの睫毛。いくつか、間をおいてまばたきをして、それから彼は窓辺を離れた。シャツの前を閉めながらバスルームへ向かう。姿が消える。

 ややあって、水が流れ出す。その音はずっと聞こえ続ける。実に、長く、あまりに長く、ほんの少しだけ、長すぎるくらいに。

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2016/11/17:Tumblrにて発表/カーティスと見知らぬ女性

カーティスには実の姉から性的虐待を受けていた過去があります。

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