繋ぐ -caged in-

同人誌『蝶の翅はなぜ青いか』収録作品。

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 昔観た映画に、自殺志願者の、若い女が出てくるのがあって、その女の部屋には空が見えないからと空の写真が至る所に貼ってあった、上手く言えないが、彼女はそれをすごくいいと感じて自分の部屋の天井と壁にも同じように空を作った。天井にはプロジェクターで画像を、壁には何枚か絵を飾り、それから部屋中に大小さまざまのモニターをいくつもいくつも置いて空の映像を流しておいた。人が呼べない部屋になったと思ったので、鳥を飼った。しばらくはその子と暮らしていた。

 宇野みどりが彼を見つけたのは、ジョンが死んで二ヶ月ほど経ったある日のことだった。ジョンというのはその鳥の名前。
「犬につける名前みたいで妙ちきりんだと思うでしょうけどだって私今まで犬しか飼ったことがなかったんだもの、鳥につけるのにいい名前なんて分からないし思いつかない、ジョンっていうのは実家で飼ってたゴールデン・レトリバーの名前で私けっこうかわいがってたし、ちょっと色が似てたからそのまま使った」
 名付けてみるといかにも『ジョン』という感じのする鳥だった。落ち着きなく動き回るためろくな写真が撮れなかったそうだ。元気で丈夫で、明るい子だった。実家の犬によく似ていた。
「そう、彼ね。青い瞳の彼」
 彼女はそのとき爪にマニキュアを塗っていた。風呂から上がったばかりで顔が湿っていたからヘアバンドをしていた。職場は染髪には煩かったが、社員の爪が赤かろうが黒かろうが頓着しなかった。季節も冬から春へと変わり、なにか爽やかな色を乗せるのがいいだろうと思い立った。去年買った青いラメ入りのネイル。何度か重ねて塗ってみると光が様々な顔を見せ、あたかも爪の先に宇宙が宿ったように思えた。彼女は途中、時たま顔をあげ、指先にしげしげと見入った。
 あとは左手の小指だけ、というときにインターホンが鳴った。どの指もまだ乾ききっておらず、また彼女は物事を中断するのが大層嫌いな性分だった。眉根が寄るのがよく分かったが応答しないわけにもいかぬ。瓶の蓋を指の腹でつまみ注意深く締めてから、爪がどこにも触れないようにと気を配った不自由な手つきで、インターホンの受話器を持った。
 宅配便です、と相手は名乗った。今開けます、と伝え、出向く。
 そしたら彼がいた。黒髪のきれいな。
 彼は制服を着て段ボールを抱え、宅配業者であるとの弁にそぐわぬ点はなかったが、しかしどうにも彼女はそうと思えなかった。あまりきれいで。お人形じみた澄んだ顔立ち、どのパーツも端整で、とても静かに調っていて、——
「でもだから人の記憶には残らない顔だったわね。ただ青い目だけ鮮烈だった、私の爪の先よりもずっと強い、深い青だった」
 次に彼女がとった行動は彼女自身にも理解不能だった。気付いたら彼女は包丁を握り彼を脅してしまっていたのだ。彼女の家のキッチンは玄関とリビングを繋ぐ廊下の中間地点にあり、扉付近の彼女でも手が届く位置に刃物があった。それがまずかった。もし一旦、リビングまで戻らなければ刃物が取れない造りだったなら、彼女が思いつきをそのまま実現させることもなかっただろう。
「入って」と彼女は言った。「荷物を置いて、入って。ドアを閉めて」
 彼は言われた通りにした。怯えている様子はなかった。まるで、きっとこうなると初めから分かっていたかのように。
「靴を脱いで、上がって」刃物を突きつけ彼に尋ねる。「名前は?」
「俊です」と彼は答えた。「ミアオ、シュン。三つの青に、俊足の俊で」
「足、速いの?」
「まあ、どちらかというと」
「あ。シュンソクって、馬のほう? 人のほう?」
「え、……あ、人のほうです」
「俊ね。私、みどり。ひらがなでみどり」
「みどりさん」
「どうぞよろしくね」
 どうぞよろしく、なんて随分呑気な挨拶をしたものだ。彼は彼女とすれ違い、リビングへと足を進めた。彼女も包丁を構えたままであとに続いた。部屋中に散らばる空に、彼は驚いた風だった。
「綺麗ですね」
「そう? 引かれると思った」
「僕は好きですよ」
「映画のマネしたの」
「映画?」
「そう。自殺志願者の、女の子と吸血鬼の話」
 彼はなにも口にしなかったが思い当たる作品はあったようだ。彼女にはそう見えた。事実彼は映画好きで、しかも彼女が述べた作品の監督を割合気に入っていた。彼は彼女の握る包丁を人差し指でつん、と突いてから、小さく首を傾げてみせる。
「それじゃ。貴女も、死にたいんですか?」

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