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ペットボトルを分解して環境問題を解決する「夢の酵素」は本当にすごかったのか?

Photo by Ishan @seefromthesky on Unsplash

環境中にプラスチックを撒き散らすのは確かによくないことですけど、最近はドリンクのストローですら紙製になっていて若干オイオイな感じになってますよね。僕は、あれ、すぐにフニャフニャになってあんまり好きじゃないです。

ところで、2016年に京都工繊大のグループがペットボトルを分解できる微生物を発見して、環境問題を解決できるかも、というニュースが世界を駆け巡りました。


「ペットボトル分解酵素」の本当の能力を比べてみた

2016年の研究成果は世界的に評価の高い学術雑誌"Science"に掲載されたもので、一級品の成果だと私も(今でも)思います。しかし、今年になって「バイオサイエンスとインダストリー」という雑誌に衝撃的な内容の日本語総説が(ひっそりと)掲載されていました。

「ポリエチレンテレフタレート(PET)分解酵素の特性とプラスチックリサイクルへの展望」河合富佐子・織田昌幸 バイオサイエンスとインダストリー(B&I)77巻5号360-(2019)


実は以前から強力なペットボトル分解酵素は発見されていた?

上記の日本語総説によれば2016年のScienceのPET分解酵素(PETase)の分解率は、結晶性が低い(分解されやすい)PETフィルムを使っても0.3%以下なのに対し、2014年に報告されていたクチナーゼ(Cut190)という酵素の、実際に商品パッケージに使われているPETフィルムに対する分解率は70%以上だとか。つまり、2年も前に発見されていた「クチナーゼ」という酵素の方が、「PET分解酵素」よりも実際のPETを分解する能力は高い、という主張です。ちなみに2014年の論文が載ったAMBという雑誌は、良質ではありますがScienceほど有名ではない専門学術雑誌です。みんなが好きなインパクトファクター*(注1)はScienceが41なのに対しAMBは3.67です(2018年のデータ)。この数字だけみれば10倍以上の圧倒的戦力差ですね。

「ペットボトル分解酵素の発見」のニュースから始まった世界的な研究競争は何だったのか

面白い研究対象が報告されたらすぐに世界中の研究者が殺到するのは世の常です。この場合も、2016年にScienceの論文が出たとたんに、アジア欧米各国から堰を切ったようにPETaseの立体構造解析が行われ、Nature CommunicationsやPNASなど有名な学術雑誌に論文が載りまくりました(うらやましい)。つまり、この酵素を巡って、世界中で苛烈な解析競争が勃発したわけです。この競争に参加した米国の研究者(以前からの友人です)が来日したときにはその時の裏話(悲喜こもごも)など色々聞かされました*(注2)。私は酵素(タンパク質)の立体構造解析を主に研究しており、PETaseを含む「エステラーゼ」という一群の酵素も専門分野のひとつです。なので、Scienceの論文が出てすぐに、親しい研究者から「伏信さんPETaseやらないんですか?」と言われたこともありましたが、今では、参戦しなくてよかったと思います。これが本物のPET分解酵素なのか、ということよりも、専門の近い研究者として、クチナーゼがPETも分解することくらいは知っていましたし、それまで知られているクチナーゼなどのエステラーゼとどこが違うのか、という疑問を少し抱いていたからです。

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Photo by Hasan Almasi on Unsplash

名前って大事だよね

ところでなんでこんなことが起こってしまったのでしょう。私はその原因のひとつとして「クチナーゼ」という酵素の名前があると思っています。

クチナーゼという名前は植物の葉のクチクラ層にある「クチン」という物質を分解することからつけられました。クチナーゼの研究は植物病原菌から始まり2005年にもクチナーゼによく似たポリエステラーゼがPET分解酵素であると報告されています。冒頭の総説によれば現在問題なくPET分解酵素であると認定できるクチナーゼは少なくとも4種類はあるそうです。でも、皮肉なことを言いますが、ここまでPET分解能力が高くても名前が「クチナーゼ」のままでは今後も社会的に有名になるのは難しいでしょう。だってクチナーゼって名前よりもPETase(PETを分解する酵素)の方がそれらしいに決まってるじゃん!

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Photo by Annie Spratt on Unsplash

ちょっと専門的なこと

もしかしたら専門家の方も見ているかもしれないので補足しておくと、微生物(細菌)としてのPET分解能力と、その微生物が持つ酵素そのもの(微生物の中からキレイにその酵素だけ取ってきたもの)の分解能力は必ずしも一致しません。Scienceの論文で報告されたIdeonella sakaiensisという細菌は、実際のPET分解能力は高いものです。それは、この細菌が、PETaseだけでなく、それが作用してバラバラにしたPETの「かけら」をさらに分解していくための専用のユニークな酵素を持っているからだと私は考えています。*(追記)


ペットボトルを分解する酵素はどこから生まれたのか?

これも魅力的な問いです。PETのような物質は人類が作り出す前は地球上に存在しませんでした。このような物質を「ゼノバイオティクス」と呼び、その多くが生物に分解されにくいために環境中に残ってしまう「難分解性物質」です。私の推測は、人類が環境中にPETを放出しまくったために、PETを「食べる」微生物やPETを効率的に分解する酵素が地球上に現れつつあるのでは、というもの。もともと、植物の病原菌が持っていたクチナーゼという酵素の遺伝子が他の微生物に移ったり(水平伝播といいます)、さらに微生物の中で遺伝子の配列が変化していって(分子進化といいます。環境中で微生物の遺伝子の変化は頻繁に起こっています)、PET分解酵素になったのではないでしょうか。おそらくこの分野の多くの研究者も同様の考えを持っているはずです。環境中に存在するクチナーゼに似たPET分解酵素の遺伝子を網羅的に調べる技術はすでにありますので、今後はこのような仮説も検証していくことが可能です。

今後の検証が大事

この総説で書かれていたことは、この分野の研究者(環境微生物学者や酵素学の研究者)にとって大きな教訓となるものでした。私はこの総説の著者たちと、Scienceの著者たちの、いずれとも研究上のつながりはありません(どちらのグループも全員日本人なのが色んな意味で少しややこしい)。自分がPETaseやクチナーゼの研究をしているわけでもないです。冒頭の総説の内容も今後検証されていくべきだと思っています。

まとめ

いかがでしたか?
今後はクチナーゼ/PETaseの研究が進んでいろんなことがわかるといいですね。

このエントリーが僕にとって初めてのnote投稿なので、照れ隠しのつもりで「いかがでしたかブログ」風にまとめてしまいました。

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*注1 インパクトファクターとは:その雑誌の論文がどれだけ引用されているかを示す指標のひとつ。インパクトファクターが雑誌の「格」を表す、と本気で思っている人は研究者でも多いです。これについて言いたいことは山ほどありますが別の機会に。

*注2 東大近くの根津の「車屋」という居酒屋の2階でさんざん飲んで大声で裏話を語り合いました。世界中の同業者と(下手な英語でも)分かり合って交流できるのが研究者人生の醍醐味ですね。このときはここでは話せないようなこともいっぱい話しました。彼の研究内容に関する他グループの情報(彼にとってネガティブな状況)をこっそり教えてあげたら、アメリカ人が本気で悔しがって「F***!」と叫ぶのを初めてみました。。(冗談めいた言い方ではありましたが)

*追記 この記事を読んでいる人の大部分が抱いているであろう疑問に答えていないことに気づいたので追記します。じゃぁこの微生物を使えば、そこらへんに転がっているペットボトルもガンガン分解できるの? 結論から言うと、すぐにペットボトルが消えるほどの能力を実際の環境中で発揮するほどすごいわけではなさそうです。ていうかそんな菌がそこらじゅうにいたら逆に困っちゃいますよね。この点に関して詳しいわけではないので、読んでる人が興味あるようだったら、専門家に聞いて、気が向いたら(すみません)、簡単な記事を書いてみようかと思っています。どうやったらそんな微生物を作り出すことができるのか、とか(僕はけっこうマジで近い将来に可能になると思っています)。

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