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今のままでは生き残れないことと、多様性を保つことのアウフヘーベンについて、考えています。


ヨガや東洋哲学に携わっていると、様々な場面でバランスを重視する考え方が出てきます。


例えば①:交感神経と副交感神経の話。

体と心が健康でいるためには、興奮を司る交感神経と、沈静を司る副交感神経がバランスよく働くことが重要と言われます。

1回のヨガクラスの中でも一定のバランスが求められますし、もっと長いスパンで生活リズムを考えたときも、両者のバランスは重要です。

興奮が上、沈静が下、というイメージで捉えると、上がりすぎても下がりすぎても健康的ではないですし、上がりっぱなしも下がりっぱなしもよくありません。

それじゃあずっと真ん中で静止していればいいかと言うと、そうやって何も活動しないのも違います。

適度に上がって、そうしたら適度に下りて、波のように揺れながら「真ん中」に調整しようとする。これがバランスです。


例えば②:チャクラの考え方。

ヨガやアーユルヴェーダでは、人間の体の中心縦軸に7つのエネルギーポイントがあると考え、それらをチャクラと呼ぶアプローチがあります。(正確には6つが体内で残り1つは頭上)(正確には6つが体内で残り1つは頭上)

(チャクラを初めて聞く方は、そういう捉え方をすると物事を理解しやすくなる、という一つの考え方の知恵みたいなものと思ってください)

7つのチャクラのうち、下のチャクラほど身体的・物質的なイメージ、上に行くほど感覚的なイメージを司ると考えます。

ご参考までに、詳しい意味合いは下から順番に下記の通り。

1 生存、肉体的欲求 嗅覚
2 情緒 味覚
3 個人の力、意志 視覚
4 愛、人間関係 触覚
5 自己表現、コミュニケーション 聴覚
6 直観、知恵 第六感
7 霊性 自己の超越

おもしろいのは、ここでも7つをバランスで考えることです。(正確には7番目だけちょっと違うのですが)


何番目が強いかは人によって異なり、それはいい悪いではなく特徴として考えます。

そして、苦手な場所を開発することを勧めます。

さらに、開発する順番には、様々なアプローチがあります。身体的な感覚を使って下から積み上げることもあれば、真ん中あたりから開発することもあります。


どこかが強くなりすぎることがないように、バランスよく鍛えるのがよく生きるためのコツ、と私は解釈しています。


例えば③:「中庸」という言葉。

仏教用語の「中庸」には様々な解釈がありますが、

・極端になりすぎない
・相反するものをどちらも包含する

の2点がエッセンスだと私は理解しています。


決して「どっちつかず」とか「間を取る」という意味ではなく、どっちも知った上でアウフヘーベンする、という感じ。

または、冒頭の交感神経と副交感神経のバランスの波のようなもの(つまり、真ん中で静止しているわけではない)と言うこともできるかもしれません。



なぜここまでバランスの話をいろいろ書いたかと言うと、人や組織が創造的になったり次のステージに進化するための多様性について、考えているからです。

上記のような考えに触れると、進化のためには多様性を保ちバランスを取れる状態にしておくことが重要、という気持ちになります。

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余談ですが、野村克也氏の著書「負けかたの極意」では、弱みを減らすことの重要性が説かれています。強みを思う存分発揮するためにも、弱みを徹底的に潰すべきだと。

私はとにかく強みを磨くのが好きなタイプだったのですが、この本を読んで結構考え方が変わりました。
ここで言われているのも、バランスの話と解釈することもできるんですよねー
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創造的であるとはどういうことか?

例えばですが、

直感と論理
右脳と左脳
感覚と言語
アートとロジック

のような対比の中で、前者を重視するのが流行っていますが、それはこの半世紀くらいの世の中が後者に寄っていたから前者を取り戻そうと言っているだけ。

左脳的なもの・論理が重要でないなんて、誰も言っていません。(少なくとも古典や「ちゃんと書かれた文章」においては)

なので、例えば視覚ばかりに訴えて中身の論理が伝わってこない本などは、私は特にクリエイティブじゃないと思うのですが、みなさんはどうですか??


相反しそうに見えそうな物事をアウフヘーベンするのが、人の心に迫るクリエイティビティではないでしょうか。

(任天堂の宮本さんは「アイデアというのは複数の問題をいっぺんに解決することだ」と仰っていますね)


一方で、新しい何かを立ち上げるときは、ある程度凝縮されたエネルギーも必要です。

強烈なエネルギーを持った人々が、時には狂気も伴いながら走る必要がある。

そういうときは、色々な人がばらばらといるよりも、同じ思想、しかもかなり鋭く凝縮した思想を共有する少人数で固まった方がいい場面もあります。


つまり、生き残るために生まれ変わることと、創造性のために多様性を担保することは、(全面的にではないけれど)ある地点で相反するものだと思います。


新しく生まれ変わるときの多様性

新しいことをやるときに、私が外してはいけないと思うのは、自分たちの外の世界をみることです。

それは、顧客であり、市場であり、世の中であり、未来であり、宇宙です

それらを見通すのは「ひとりの天才」である場合が多いのかもしれない。

一方で、天才ではない私たちがそうしようとするならば、外の世界をみる「眼」は、少ないよりも多い方がベターだとも思ったりします。


つまり、一定の多様性が、凡人である私たちが新しいことをやるときには助けになってくれるのではないか、とも思うのです。

(ここは私の中でもまだ答えが出ていないのです・・・)


「北極星」と「リスペクト」

仮に多様性を保とうとした場合、単にバラバラな人間を集めても物事は進みません。まして、発揮する能力が違うならなおさらです。 また、多様性だからと言って、誰でもいいわけでもありません。

そんなとき、多様な人々を一定のチームとして繫ぎとめる2つのキーワードが、「北極星」と「リスペクト」だと思います。


「北極星」とは、チームや組織が目指すゴールのこと。外の世界を見通した結果と、自分たちのありたい姿・実現したいことをミックスして、掲げたものです。

これを心の底から共感できていることが、多様な人々を繋ぐ条件の一つ目だと思います。


もう一つが、チーム・組織のメンバーに対するお互いの「リスペクト」。

つまり、「北極星」に向かうとき、メンバー同士が「ひとりの力では足りないから手伝ってほしい」という関係であること。


「北極星」と「リスペクト」が備わったチーム・組織であれば、それらがツナギとなって、生まれ変わるための新しいことも、多様性を保ち続けることも、両立できるんだと思います。

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