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雑誌「走るひと」を、はじめて外側から見て考えたこと

いっとき毎日遊んでいた幼なじみとひさしぶりに会ったら、髪を切って、見たことのない服を着て、全然知らない表情をしている。私が「走るひと5」をはじめて読んだときの感情は、たぶんそんなかんじだった。

私が「走るひと」の副編集長になるまで

「走るひと」は、ランニングカルチャーの雑誌だ。速く走るためのノウハウとか、マラソン大会の情報などは載っていない。「僕らを走らせるひと」をテーマに、アスリートでもないのに走る、魅力的なひとたちとその感情に焦点を当てている。

編集長の唯人さんに「ムックつくるから手伝って」とメッセージをもらったのが、2014年の創刊時。
そのときはインタビューを何本かやり、そのほかの企画ページにいくつかアイディアを出した。いま思えば、当たり前のコンテンツしかつくってこなかった私の企画は死ぬほどしょうもなくて、もちろんなにも採用されなかった。でも、私のインタビュー原稿は、媒体ととても相性がよかったと思う。

それから半年くらい経って「走るひと2」の制作スケジュールが見えてきたころ。
今回もまた何本かインタビューやりたいな、と思っていたら、唯人さんから「さくら、副編やる?」と言われた。創刊号で取材したBIGMAMAのクリスマスライブが終わって、どっかのコンビニに寄り、あったかい飲み物をイートインスペースで飲んでいたときだったと思う。
あれだけの雑誌をつくるビジョンが自分にないのはわかっていたけれど、反対に、唯人さんにないものを私が持っている気もしたから「じゃあ、やります」と引き受けた。

以降、だいたい1年ごとに発行される「走るひと」で、単独インタビューのすべてを担当してきた。2~4号は全体のコンセプトや企画づくりにも、かなりエネルギーを費やした。

最新刊「走るひと5」は、他人みたいな顔をしている

でも、2018年5月に出たばかりの新刊「走るひと5」は、巻頭と企画ページのインタビューを2本やっただけで、あとはノータッチ。本当に初期のコンセプトだけ話をしたけれど、私はほかの仕事が忙しかったこともあって、気づけば校了していた。

だから、今回はじめて、なんだか他人のような気持ちで「走るひと」を読んだ。めくってもめくっても、はじめて見るページ。ほとんど他人のはずなのに、そこから透けて見える血の色とか、温度をよく知っているから、妙にむずがゆい。

5号の軸は「ファッション」。
それまでも「走るファッション」と題して、毎号ファッションを絡めた企画はつくっていたけれど、大々的にその特集をふくらませている。

発売記念のトークショーには、そんな難しい特集を手がけた編集者の長畑くん、スタイリストの梶さん、4号までファッション企画をやってくれていたスタイリストの恵利沙、そして唯人さんが登壇した。

ファッションのなかにある「走るひと」らしさから、5号のファッション特集がどのようにつくられたかまで、いろんな話をする4人。
それを聞いて、私がこれまで濃密にかかわってきた「走るひと」のインタビューについて、整理してみたくなった。

前置きが長くなりましたが、それがこのnoteの本題です。

「走るひと」のインタビューがしていること

「走るひと」のメインコンテンツは「僕らを走らせるひとたち」。
その表現として、インタビューが担う役割はとても大きいと思っている。

(ちなみに、驚くほどよすぎるインタビュー写真は、おもに久富健太郎さんという天才カメラマンの仕業。そのあたりのネタバレ的なお話は「走るひと4」で、俳優の大東駿介くんと久富さんが対談しています)

アスリートでもないのに走っていて、魅力的で、自分の言葉を持っている人にオファーする。3号くらいからは「このひと素敵やな~、走ってるかな?」と調べたら、本当に走っていることも増えてきた。
走っているひとのなかからかっこいいひとを探す、というよりも、かっこいいひとが走っている、という感覚。

撮影は、本当に走りながら撮る。出演者の普段のスピードに、唯人さんと久富さんが並走しながらシャッターを切るのが、基本のスタイル。まじで速いひとも多いので、取材場所に戻ってくると、みんなハァハァ言ってたりする(私はいつも待機組)。それがいわゆる、ものすごいアイスブレイクになる。
で、カフェだったらラン後の飲み物なんかを注文してから、インタビューを開始。1時間、ときには2時間以上もじっくり、相手の言葉にふれていく。

どんなふうに、どれくらい、どうして、走っているか。共通して尋ねるのはその3つくらいで、あとは相手が普段考えていることや、していること、見ているものについて聞く。一問一答のようなかたちでは、なかなか相手のなかまで届かない。とにかく対話をして、深くまで潜っていく。

ランの話は、うっかりするとただのノウハウやファッションになってしまうから、話すトーンがすごく大事。「どうして走りはじめたんですか?」という質問で聞きたいのは、スペックじゃなくて、その一歩を踏み出す前の経緯だったりパッションだったりする。

ライターとしていろんな仕事をしてきたけれど、話を聞いているうちにじんわりと頬が熱くなり、のぼせた頭を冷ますために歩いて帰りたくなるインタビューは、「走るひと」がはじめてだった。原稿を書いているうちに心臓がばくばくしてきたのも、そう。
はじめの原稿は自由演技だったから、思いっきりエモに振り切ったリードを書いた。出演者へのラブレターのつもり。そして、いまはそれが「走るひと」のスタンダードになっている。

走ることを書くための引き出しが枯渇してきたのを感じて、深夜に走り出したこともある。走ることは大っ嫌いだったけど、そのときは自分の感覚とランが妙にフィットして、1年ぐらい習慣が続いた。
脚を運ぶ感覚、ウェアの衣擦れ、坂を走り降りるときの風の音、心拍数。流れていく景色のなかに、いくつか言葉を見つけた。

誰かを突き動かすのはいつも「物語」

走ることは、健康にいい。汗をかいて気分がいいし、腰痛がなくなるし、やせるかもしれない。そんなふうに論理的なランのメリットは、もう世の中に出尽くしている。でも、それはどちらかというと、アスリートや美ジョガーのもの。スポーツとしてもう出来上がっていて、私みたいに走らない人間には、ちょっと遠い。

だからこそカルチャーとして、魅力的なひとたちの物語が必要だった。

そのひとたちだけのストーリーではなくて、もっとナラティブなもの。誰かが走る姿を生々しく見せるインタビューが、次は僕らを走らせる。どこからどう見ても隙がないような、かっこいいファンタジーをつくるのは簡単だけど、そんなマネキンに意味はない。インタビュー以外の企画でも、根底は同じだと思う。

もしかしたらこの1、2年で、ランはもう新しいカルチャーではなくなったかもしれない。だけどナラティブな雑誌で在りつづけるなら、「走るひと」には意味がある。

いつだったか「まだないものに名前をつけるのが“編集”だ」と、唯人さんが言っていた。定義はされていないけれど、そこに在るもの。名前をつけることができなくても、その輪郭を言葉でふちどっていくのが、私の仕事だと思っている。

書いたものが熱を帯びるのは、愛と責任が込められているときで、書いたものに命が吹き込まれるのは、それを読んだ誰かの何かが動くとき。
走らなくたっていいけれど、走れると感じることは、すごくいい。

「走るひと5」絶賛発売中です。
バックナンバーも含めて、ぜひお手に取ってみてください。

Twitter @sakura011626
Webサイト http://www.sugawara-sakura.com/

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