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未来の私のために、苦手なエッセイを書く

エッセイを書くことに、ものすごく苦手意識がある。
子どものころは作文が大好きだったし、学生時代はGREEやmixiでごりごりに日記を書き散らしてきた。けれど、文章を書く仕事をしているいまは、抵抗しかない。

なぜかというと、理由はおそらく3つ。

■向田邦子さんが好き

好きな作家を聞かれると、迷うけれど、最終的には向田邦子さんだと答えている。
向田さんのエッセイは、本当にすばらしい。日常のこまごまとしたことを鮮やかに書き取りながら、予想もしない思考の広がりを見せ、それが情景としゅるしゅる結びつき、ふんわり美しく着地する。
先ごろ、訃報が日本中を揺らしたさくらももこさんも、そう。

つまりエッセイは、文章力と観察力と思考力の総合芸術だ

そんないかつい作品を何度も何度も読んできたせいで、エッセイというものに対するハードルが、限りなく上がっている。
そりゃあ、自分が書くなんておこがましくて、筆がとれない。

■「役に立つ文章を書かなきゃ」という強迫観念

ライターになってしばらくは、ITやビジネスの実用的なコンテンツをつくっていた。
基本は、読者が得する情報や、読者の悩みを解決する知識を、わかりやすく届けること。その名のとおり“実際に用いる”コンテンツ。

エッセイや小説は実際に用いるタイプのコンテンツではないけれど、総合芸術まで達している作品は、なぜか役にも立つ。自分の気持ちや思考を支えたり、深めたりしてくれる。
でも、私ごときのエッセイは、実際に用いることができない(気がする)。

「お金をもらうからには、役に立つ文章を書かなくちゃ」という思い込みがあって、なかなか筆がとれない。

■平凡な私の物語なんて、誰も興味がない

駆け出しのころ、作家生活何十年のベテランから、しばしばこんなことを言われた。
「恋愛や子育てみたいに、多くの人が経験していることは多くの人が書けるテーマだから、普通の物語は需要がないし、そのなかで突出するのは大変だよ」

なるほど、そう思う。
めちゃくちゃリア充でも、めちゃくちゃこじらせてもいない。ほとばしる筆力もない。ふつうの私の物語に、だれの需要があるだろう。
ふだん、人とは違う経験をしてきた方々や、なにかに突出した方々の取材をすることが多いから、余計にそう感じる。

誰も興味がないものを書いて、なんの意味があるのか!
だったら、ひとりでも多くのすばらしい人に取材をして、意義ある記事をすこしでも多く書くことに、自分のリソースを注いだほうがいいに決まっている。

■それでもエッセイを書く理由

それでも、これからは定期的にエッセイを書いていきたい。
これまでは、誰かのために書こうなんて考えていたから、書けなかったのだ。そんなのおこがましい。
だから、自分のために書こうと思う。

当たり前だけど、生きているからいつもいろんなことを感じたり考えたりしているのに、最近めっきり覚えていられない。瞬く間に毎日は過ぎて、ぜんぶ忘れてしまう。
こないだものすごく憤ったことがあって、わーっとiPhoneのメモに気持ちを書き殴っていたのに、数週間経って読み返すと、心はもう凪いでいた。なんだか、すごくもったいない。

熱いときにしっかり考えて書ききっていたら、もしかして、わたしをすこし変えたかもしれない感情。
が、インプットのしどきを失うことで、取るに足らない日々として埋もれていく。

高校生のときに書いていた言葉たちを読み返せば、筆をとったときの感情がありありとよみがえるのに。
いまの気持ちをちゃんと書き残しておくのは、未来の私に対する礼儀、とすら思えてきた。

私は、誰かの書くものを読んで救われたことがない。
自分を救う言葉は、強さは、いつだって自分のなかからしか生まれないと思っている。
だから、いつか自分を救うかもしれないものを、自分で書いておきたいと感じているのかもしれない。
それに、「考えて書く習慣」はきっと、私を「考えて書ける人」にしてくれる気がする。

■じつは、すでにエッセイの連載もしています

1年ほど前から、Webメディア「DRESS」で妊娠・出産・育児についてのエッセイ「母でも妻でも、私」を連載している。

お金をいただいて書くなら役に立つ記事をつくらなきゃ、と言ったそばから、なんのノウハウでもない、私の個人的な妊娠・育児観をつらつら書く連載の話で恐縮です。
が、ちゃんと役に立つはずのノウハウ記事より、箸にも棒にもかからないこのエッセイのほうが、まわりから愛されたりする。

この連載を1年続けてようやく、誰かひとりにでも読んでもらえて、誰かひとりにでも刺さるなら、私の考えていることを書く意味もあるのかもなぁと思えた。(もちろん仕事として書いている以上、多くの人に届けるつもりで書いてはいるけれど)

誰かを勇気づけたり、気持ちをふっと楽にしたり、ちょっと明るい気分にさせたり。
それで充分むくわれる。総合芸術の域まで達していなくたっていい。
まずは自分の思考をたどるために、あわよくば誰かの感情にふれるために、書きはじめたいと思っています。

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