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「お兄ちゃんになるんだから」って言われている息子を見ると、モヤモヤする

ただいま、第二子妊娠中です。順調にいけば10月に男の子を産みます。
弟が生まれたら、いま3歳の息子が“お兄ちゃん”になるのは、まぎれもない事実です。

でも、息子が周囲の大人たちに「お兄ちゃんになるんだよ」「お兄ちゃんになるんだから」と言われているのを見ると、どうにもモヤモヤする。100%ポジティブに言ってくださっているのはわかるのだけど、なんとなく。だから私は息子に「赤ちゃんが生まれるよ」とは言っても、「お兄ちゃんになるよ」とは言ってこなかった。

自分でもずっと理由がわからなかったのだけど、こないだ夫と話をしているときに、ふといろんなことがつながった。私は「お兄ちゃんになるんだから」「お兄ちゃんなんだから」という理屈で、息子になにかを背負わせたくないのだ。

■だって私は私のまま、母になったのに

そもそも私自身が「母親になるんだから」「母なんだから」に、すごく反発してきたタイプ。

2年ほど前にこんなnoteも書いたけれど、私は私。これまでの私が、私の延長線上で、子どもを育てるだけ。生物学的・社会的にはまぎれもなく母になったけれど、「母」が「私」に取って代わったわけじゃない。

だから、パブリックイメージの「母」を、いまここに生きている「私」に、押しつけてほしくないと思っている。優しくて偉大で献身的で子どもを最優先する……みたいな母性幻想も、もちろん全然ピンとこない。

だけど、息子はかわいいし、とっても愛おしい。
「母としての責任をまっとうしよう」「母として正しい立ち居振る舞いをしなくては」なんて1ミリも考えていないけれど、私なりにできるかぎり、息子によくしてあげたいとは強く思う。

そんな私が、どうして息子にだけ「兄としての生き方」を背負わせられるだろうか?

■私を背負おうとしてくれた兄もいたけど

私には5歳上の兄がいる。私はけっこうお兄ちゃんが好きだったのだけど、兄は思春期のころ私のことを嫌っていて、ほとんど口もきかなかった。まともに話すようになったのは、兄が家を出て、大学に進んでから。いまはようやく、ふつうに仲が良い。

そんな兄が社会人になったころ、両親に「なにかあったら、さくらの面倒は僕が見るから」と言ったらしい。それを親から聞いた20代なかばの私は、すごくびっくりしたけど、単純にうれしかった。

でもいまは、兄が「妹だから僕がなんとかしなくちゃ」「兄として責任を取らなきゃ」と思っていたとしたら、ちょっと申し訳ないなと感じる。同じ家で先に生まれたというだけで、そこまで私を背負わなくたっていい。
だからとりあえず、これから先もなにかないように生きていこうと思う。

■自然な気持ちに委ねた関係でいい

そんなわけで、息子にも、兄になんてならなくていいと思っている。「お兄ちゃんとして」なんて、自分に記号をつけなくていい。

だけど家族として、しばらく一緒にやっていく仲間として「弟によくしてやりたい」「お父ちゃんやお母ちゃんを助けてあげたい」と自然に思ってくれたなら、それはすごくうれしい。
「兄だからやる」「家族だからやらなくちゃ」という肩書きを背負わず、天然で「この人たちを助けたり支えてあげたいな」と思えるような人間関係が、家庭のなかにできていったらいいなと思う。

もちろんそのために、子どもたちよりすこし経験値の高い私たち夫婦としては、できるだけ力を尽くしてコミュニケーションをとっていきたい。無償の愛がないとは言わないけれど、やっぱり親しき仲にも礼儀あり。「家族」「親子」「兄弟」「夫婦」に甘えないで、努力して築く人間関係を、ずっと大切にしていきたいと思う。



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