バカリズム『屋上』のはなし。【完全版】

 升野英知のソロプロジェクトになってからの活躍ぶりがあまりにも目覚ましいため、ついついコンビ時代のバカリズムのことを忘れてしまいがちだが、当時から既に彼(もとい「彼ら」)は才能に満ち溢れていた。実在しない仕事の数々をショートコント形式で紹介する『影の仕事』、同窓会に誘われなかったことを知らされた男がおもむろにワンピースへ着替え始めて……『ワンピース』、人間が挫折する姿をラジオ体操風に披露する『ラジオ挫折』などのように、他に類を見ない独創的なコントを生み出し続け、一部のお笑いファンから一目置かれていた。

 そんな彼らのコントの中でも、僕が大好きだったネタが『屋上』だ。2003年12月31日から2004年1月4日にかけて、これまでに開催された「爆笑オンエアバトル」チャンピオン大会の決勝戦が再放送されたのだが(ゼロ年代のお笑いブームが最初の盛り上がりを見せ始めた時期とはいえ、日本放送協会もなかなか思い切ったことをしたものだと今になって思う)、そこで初めて『屋上』を鑑賞した。バカリズムは「第一回チャンピオン大会」に出場、10組5位という決して芳しくない結果で終わってしまった。だが、言葉のニュアンスを上手く笑いに転換している『屋上』に、当時の僕は完全に目を奪われてしまった。

『屋上』は、ビルの屋上から飛び降りようとしている松下を偶然にも発見した升野が、なんとか説得して自殺を踏みとどまらせようとするコントである。日常ではなかなかお目にかかることはないが、ドラマやアニメの世界ではよく目にするようなフィクションにありがちなシチュエーションに、独創性の強いバカリズムらしからぬ印象を受けるかもしれない。だが、ありがちなシチュエーションであるからこそ、その独自性を浮き彫りにしやすいともいえる。

『屋上』の面白さを理解するためには、どうしても作中のやりとりを抜粋する必要がある。まず初めに、屋上から飛び降りようとしている松下を、升野が発見して呼び止めるシーン。

升野「君、まさか死のうとしているんじゃないだろうね? 死のうとしているのかね?」
松下「ああ、そうだよ! 死のうとしているんだよ、ジャマしないでくれ!」
升野「何があったかは分からないが、とりあえず落ち着きなさい! 死のうとするのはやめなさい!」
松下「うるさい! あんたに何が分かる。もう死のうとさせてくれ!」

 この時点では、ごくごく普通のやりとりが行われている。ただ、こうしてテキストに起こしてみると、やたらと「死のうとしている」という言い回しを多用していることに気付かされる。ただ、観客に意識させたくはないのか、その多くは二言目以降に持ち出している。意図を覚られないように、しかし後の流れが不自然にならないように、ここで地盤を固めているわけだ。

 これを踏まえて、次のやりとりがやってくる。

升野「死のうとしてなんになる! 頭を冷やそうとするんだ! 待ってなさい、今そっちに行こうとするから……」
松下「来ようとするな! ……もう俺のことなんかほっとこうとしてくれ。俺なんか、死のうとしちまえばいいんだ」
升野「甘ったれようとするんじゃない!」

 ここで違和感がじんわりと表出し始める。その違和感の正体は、二人がやたらと口にしている「○○しようとしている」という言い回しだ。

 例えば、「頭を冷やそうとするんだ!」という台詞は、「頭を冷やすんだ!」でも成立する。むしろ、そちらの方がスマートな表現だ。「そっちに行こうとするから……」も、「そっちに行くから……」と直した方が伝わりやすい。それなのに、どちらも「○○しようとしている」という、ちょっと不自然に遠回しな印象の言い回しを採用しているのである。観客は、その違和感に気が付いて、思わず笑ってしまう。

 とはいえ、これらの言い方が間違っているのかというと、必ずしもそうとはいえない。「○○しようとしている」という表現は【近未来】を表しており、これから起きようとしている(起こそうとしている)出来事に対して用いたとしても何ら支障はない。例え、そこに違和感が生じていたとしても。

 続いては、松下が自殺しようとしている理由を告白するシーンである。

松下「十年以上も勤めようとしている会社が倒産しようとしている。そして、多額の借金を抱えようとしている社長が、夜逃げしようとしているんだ」
升野「そうか……そんなことがあったっぽいのか……」
松下「それだけじゃない。今度はその借金を俺が背負わされ気味なんだ。息子は学校でいじめられているような雰囲気を醸し出しているし、妻は家を出て行く予感!」
升野「だからといって、死のうとするのは良くなさそうなにおいがする。噂だけど。人間、死のうとする気で頑張ろうとすれば、乗り越えようと出来ない壁はない! いや、なさげ! よさげ!

 先程から多用されていた「○○しようとしている」という言い回しが、ここでも使用されている。しかし途中から、その表現が変わっていることが分かるだろう。「背負わされ気味」「雰囲気を醸し出している」「出て行く予感!」の部分である。この急な変化に些か唐突な印象を受けるかもしれない。だが、これらの表現もまた、これから起こるかもしれない出来事……【近未来】を指し示している。類語とまではいかないにしても、「○○しようとしている」という言葉を別の言い回しに置き換えているのである。

 そんな松下に対して、升野の表現の幅が大きく広がっている点に注目したい。これまでは二人とも【近未来】を示した言葉をあえて採用することによって生じる違和感を笑いの肝にしていたが、この場面から升野は従来の意味よりも言葉の面白味を重視するスタンスへとシフトチェンジしている。結果、升野は【近未来】もへったくれもない、自由奔放で捉えどころのない言葉の表現で松下の説得を試みるのであった。

升野「私は幼い頃、両親と死に別れ、親戚中をたらい回しにされる感じに育ってきた人に似てた。そっくりだった。クリソツだった。……目元が
松下「……」
升野「世間からは後ろ指を差されてみたり、差してみたり。三流大学という名の一流大学を卒業し、まるで坂道を転げ落ちるように一流企業に入社。もう、それは目を背けたくなるようなエリートコースで、毎月毎月多額の給料を浴びせられ、何度死のうと考えたか分からない。全然分からない。知らない。見たこともない。誰だお前は!
松下「……それでもあんたは、死のうとしなかったのか」
升野「ああ、死のうとしなかった。死のうとしなかったと思うよ。思うよん

 ここが『屋上』のベストシーンだ。ありがちな説得の言葉に余計な言葉を付け加えることで、まったく逆の意味にしてしまっている。なんともボキャブラリー溢れる面白いくだりなのだが、残念なことに、畳み掛けるように繰り広げられるため、観客が聞き流してしまっているところがある。しかし、「しょうもない話でも説得力があればなんとなくそれらしく聞こえてしまう」ことへの皮肉も掛かっているのだろうか、とも。

 ちなみに私が一番好きなのは、この直後の

升野「君はまだ若いんだ、三つの意味で! これから幾らでもやり直しがきくじゃないか、四つの意味で!

というくだりである。どうせ何も意味はないくせに、ここで妙に意味を匂わそうとする無意味さが実にたまらない。

 そしてコントは、不条理な台詞とともに終わりを告げる。

『屋上』というコントは二部構成になっている。前半はオーソドックスなシチュエーションにありがちな会話の中に「○○しようとしている」という曖昧模糊としたニュアンスの表現を加えることで生まれる、従来の会話とのギャップによる笑い。そして後半は、前半を踏み台にして繰り広げられる、不条理な言葉遊びによる笑い。あえてツッコミを持ち込ませずに、言葉のニュアンスだけで勝負するストイックさに改めてシビれてしまう。

 最後に余談だが……ピン芸人になってからのバカリズムのネタに『野球官能小説』というものがある。淫靡で猥褻な表現の部分が野球用語に置き換えられている官能小説を読み上げるというとてもバカバカしいネタなのだが、オーソドックスでありがちな内容にまったく無関係な言葉を付け加えるというスタイルに、『屋上』との共通点を感じなくもない。

 今回は以上。

『バカリズム ~フルーツ~』収録。

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