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堅田殺人事件そして一休宗純

これは私という人間の妄想と考えて読んでほしいのですが、私の過去生の一つは、どうやら一休さんらしいです。今、別の何人かと複雑に絡み合った過去生の糸を解くミッションの真っ最中でして、その中で分かってきたことでもあります。時間軸は前後しますが、先に書けるところから纏めてしまおうと言うことで、まずこの一休さんのお話しをしましょう。

一休宗純といえば、誰しも京の都で生きたイメージを持つのではないでしょうか。でも実際は滋賀が拠点で京都だけでなく大阪にも足を伸ばし、かなりの広範囲を移動する人生を送りました。そんな一休さんが関わったある事件の顛末が分かったというお話しです。

https://www.shigaliving.co.jp/odekake/go_out/25388.html


その事件には、上のブログ記事にある様に蓮如上人と漁師さんが登場します。簡単にいうと、蓮如さんが戦火を避けて親鸞上人の御真影(肖像画)を三井寺に預けていたのですが、戦が落ち着いたので返してもらおうと三井寺を尋ねていったところ、その御真影の人気で沢山の人が訪れて潤い始めていた寺が返したくなくて「首を二つ持ってくれば返してやる」という無理難題を吹っ掛けて蓮如さんを大変困らせました。何しろ殺生を禁じられている僧侶への条件としてはとんでもない内容です。ましてや人間の首ですから、すっかり頭を抱えてしまいました。それを聞きつけた信心篤い漁師の源右衛門さんは「それじゃあオレが」と息子と自分の首を条件に真影を返してもらおうと、まず倅に事情を話します。すると倅の源兵衛さんは、信仰のためならばと自分の首を差し出すことを了承します。かくして、倅の首を討ち取った源右衛門さんは三井寺へ単身乗り込んで「おれと倅の首を二つくれてやる!これで首二つだ。真影を返してもらおう」と僧侶に詰め寄ります。
まさかそんなことをするはずがないと鷹を括っていた三井寺の僧侶たちは度肝を抜かれ、すぐさま御真影を返却したのでした。

というのが、地元に伝わっている伝説です。殉教の美談ですね。
このお話に一休さんは全く出てきていません。

この話には色々と変なところがありまして、まずこの事件の中心にいたはずの蓮如上人が、これほどの事件なのにノーコメントなんです。
ありがとうの一言もない。当事者なのに実際に関わった形跡がないのです。
歴史上の事件には、時として矛盾があるものです。所詮誰かが口伝したものを文書に記録したものだったりしてあやふやなものですから、そういうことはよくありますよね。そんな一つの事件ですが、自分が過去生で当事者として関わっていた、などというぶっ飛んだことが分かったので、内容はヘヴィであるものの….気楽に読んでいただければ幸いです。


近江八景 堅田


むかしむかし、近江の堅田というところに、源右衛門さんと言う漁師がいました。ちょっと白髪の入った初老のおっさん。彼は漁師としても優秀でしたが商売も上手くて、琵琶湖の湖上交通の要衝だった堅田の地で手広く
魚(とと)屋を経営して割と裕福な生活を送っておりました。漁師なだけに、がっしりと逞しい体格と厳つい風貌でしたが、大変に信心深く優しい性格の持ち主でした。

一方、青年時代から堅田の地で修行するうちに地元の漁師たちとも親しくなった一休さんは、折に触れてその漁師さんの一人である源右衛門さんとも親しく交流する様になり、時々家に呼ばれて話をするほど仲が良くなりました。

ある時、一休さんはいつもの様にボロボロの僧衣のまま、片手に長い竹の杖を持って源右衛門さんの家を目指して歩いていました。私のビジョンはここから始まりました。

源右衛門には倅が一人いました。奥方は早くに亡くなり、倅と二人暮らし。倅は、働きもので才覚のある源右衛門には全く似つかない、いつも家にいて寝てばかりいる怠け者です。名前は源兵衛。時々父親に金をせびっては遊んで歩く始末。一休は、源右衛門からそんな倅の愚痴をよく聞いていました。
ちょうどそんな倅との関係を考えながら源右衛門の家の前に着きます。

源右衛門の家は、商才に長けているだけのことはあってなかなか立派な構えをしています。数段の階段を上がったところに門があって、いくつも座敷がある所謂お屋敷です。同じ敷地内には採ってきた魚を捌く小屋があったりして、大勢の人が立ち働いています。一休は何かとこちらに呼ばれてはお茶を戴いたり、時には酒を飲んだりしていました。まあ、そういうお坊さんでしたからね笑

この時も用事があって源右衛門に会おうと、家を訪れたのでした。

「御免。源右衛門さん、いるかね」

門は開いていて玄関から声を掛けるも、誰も出てきません。でも奥で誰か泣いている様な様子。不審に思った一休は「勝手に上がるよ」と一言発して構わず座敷に上がってしまいました。廊下を行くと、一番奥の内庭に面した部屋の板襖が開いていて、背中を丸めた半白髪の男が見えます。
一休が板襖の前に立つと、半白髪の髷を乱した源右衛門が泣いています。部屋の中は障子が破れ、箪笥が倒れたりして激しく乱れていました。そして傍には若い男が横になっていて、首には荒縄が巻き付き、紫色になった顔には飛び出さんばかりに見開かれた目が天井を睨んだまま事切れておりました。驚いた一休は源右衛門に駆け寄り「何があった」と肩を揺すります。

ようやく口を開いたところでは、いつも通り縁側で縄をなっていると倅がやってきて金を無心してきます。それで毎度の口喧嘩が始まりましたが、この時は倅の方が昼間から酒を飲んでいたようで、頭にきた倅が源右衛門に飛びかかって乱闘になったそうでした。初老とはいえ、漁師として力もあった源右衛門。当然そんな倅の行動に反撃しました。バランスを崩して箪笥にぶつかった倅は縁側に倒れ込み、そこにあった荒縄を掴んであろうことか父親の首を縛ろうとします。激しく抵抗する源右衛門は、揉み合った末に逆に倅の首を絞めてしまい、気がつくと倅は死んでしまっていました。

「自分も死んでしまいたい!」と泣き叫ぶ源右衛門。この異常な状況に、一考を案じた一休は号泣する源右衛門を諭して納屋へ行ってナタを持ってくる様に言い含めました。
部屋に誰もいなくなると、一休は源兵衛の遺体を引き摺って縁側まで行きます。程なく戻ってきた源右衛門からナタを受け取ると、僧衣を脱いで腰紐で襷掛けをします。

「倅をおさえとれ」

そう言うと、一休はナタを鞘から抜き放ち、念仏を唱えながら源兵衛の遺骸の首に一閃を加えたのでした。


…首というものは、そう簡単に切れるものではなく、この時何度もナタを振るってだいぶ苦戦しながらようやく斬り落としました。縁側から転げ落ちた首は、庭に落ちて土で汚れてしまいました。

この時の痕跡が実際に骨に残っているそうであります。銅像などでは刀であるかのように描写されていますが、ナタだったんですね…

大量の血飛沫が縁側を汚し、自分…一休の手も血でべっとりと濡れそぼり、それはそれは凄惨な風景でした。あまりの凄惨さに、源右衛門は途中で顔面蒼白になって泡を吹いて倒れてしまいました。無理もありません。
ただ…一休は淡々と何の感情も抱くことなく庭に下りて井戸の傍まで行くと、釣瓶を落として水を汲み上げ、腕まで染まった血を洗い流したのでした。それが終わると、傍にあったたらいに再び水を張って座敷に戻ると、今度は源右衛門を寝かせて散乱していた座布団を拾い上げて枕に充てがうと、手ぬぐいで顔を拭いてやり、額に手ぬぐいを置いたのでした。
そして、再び庭に下りると首を拾い上げて井戸の傍に向かい、そこで首についた泥と血を洗い流したのでした。


その間ずっと念仏を唱え続けて。


縁側猟奇的殺人事件


しばらくすると源右衛門は目を醒しました。
一休は、あまりのことに呆然とする源右衛門に語りかけます。

「よいか。このようなことをしたのは全て考えあってのこと。源右衛門殿を守るためぞ。これから園城寺へ行く。倅の首を持って共に行くのだ」

涙と鼻水でボロボロの源右衛門をよそに、勝手知ったる他人の家とばかりに奥の間から刀を一振り持ってくると、鞘から抜き放って畳に突き立てます。

「ひゃあああ」

すっかり腰が抜けている源右衛門。そして一休は横倒しになった箪笥から木綿のサラシを引っ張り出すと、洗っておいた首を包んで源右衛門に渡します。

「さあ、サラシをしっかり首に掛けて首を持て!立って自分で歩くのだ!」

半ば強引に源右衛門を立たせた一休は、突き立てておいた刀を掲げて玄関から表へ飛び出しました。訳もわからないまま源右衛門は後を追いかけます。
旅支度など何もないまま、堅田の街から首だけを持って出立したのでした。

堅田は当時、琵琶湖の湖上交通の要衝で、多くの船が行き交い人もまた多い場所でした。地元ではしれた顔の一休と源右衛門が街の目貫通りを二人して闊歩する姿は途方もなく異様でした。
何しろ一休は抜き身の刀を顔の前に掲げてずんずん歩いていて、源右衛門は首に掛けた血まみれのサラシに首のようなものを抱えて青い顔で歩いている訳ですから、街中が大騒ぎになりました。

道ゆく人々も、あまりの光景に次々に道を空け、街道沿いの街でもこの異様な姿に様々な噂が立ちました。
途中、野宿をしながら食うや食わずで園城寺に近づくと、ゆるく長い坂の上に砦のような門が見えてきます。これが名高い天台宗の古刹園城寺です。

この時代、園城寺は武装して俗世の権力と対等に渡り合っていました。
そういう訳で、寺とはいえ半ば砦の様な構えで坊主の大半が僧兵として詰めている、そんな場所でした。

「開門!開門!わしは一休宗純じゃ!僧正殿に取り次いでもらいたい!」

大声で人を呼ばわると、ガタイのいい何人かの僧兵が慌てて門をあけて外へ出てきたのでした。

「これは宗純様。お久しゅうございます。どうぞこちらへ」

そう言われて境内に入り、かなり歩いてから庫裡の大広間に通されると、源右衛門は空腹の故か気が抜けたか、座り込むと同時に失神してしまいました。

「これっこれっしっかりせえ!」

一休が源右衛門が抱えていた首を傍に退けて頬を叩いて介抱していると、一人の老僧が広間に現れました。

一休「僧正殿、久しいの」
僧正「いやまったく。それが突然どうなされた」

僧正と呼ばれた老人は、源右衛門の横に転がっている包みを一瞥して
「ふむ」と一言発すると、一休と向かい合って座りました。

「何ぞ相談事ありとみたが、如何かな」
「左様。いかにも相談事ありて参ったのよ」

それから一頻り事の顛末を語ると、老僧は顎髭を撫でつつ少し考えた後、

「なるほどのぅ…承知した。それではな、こういう趣向はどうじゃ」

と言い、ゆっくりと立ち上がると広間の奥にある違い棚の方へ行って豪奢な漆塗りの細長い箱を持って戻ってきたのでした。

「これはな、其方も存じおる蓮如殿より預かりしもの。親鸞上人様のご真影である。これを楯にな、我ら園城寺衆より法外な難題を浴びせかけられたというようなことにして、やむなく倅を殺めた、というのはどうじゃ」

一休、その提案を受けて曰く
「ふむ、そうよの。それであれば法に殉じた話となり、ことの次第は誰にも分からぬ。それがよかろ…」
言いかけて顎に手をやると、僧正に視線を投げかける。
「じゃがの、それで園城寺衆は良いのか。それでは寺の評判に障りがあろう」

僧正曰く
「ふん。なに、寺の評判なぞどうでも良きことよ。これもまた人助けではないか。坊主が人を助くるにつべこべ言う必要などあるまいに」
そう言ってカカと高笑いしたのだった。
そうして僧正は箱を差し出すと
「それではな、この親鸞上人の御真影は宗純殿から蓮如殿へお渡し願いたい。それで確かに返した事の証、と言うことになろうて」

僧正の提案を受けて一休は応える。
「確かに承った。それとな…これなる源右衛門じゃが、暫しの間こちらに逗留させてやってはくれぬか」

まだ白目を向いている源右衛門を見て苦笑いしながら

「うむ。心得た。」

と返した僧正でした。


園城寺(三井寺)参道


この事件から暫く経って、一休宗純である自分は源右衛門宅に何度か足を運んだ。源右衛門はすっかり覇気がなくなって老け込んでしまい、髪も真っ白になって鬱状態に陥ってしまっていた。それでもやっと少し話ができる様になると怯えた様子で
「夜になると倅が枕元にやって来て、恨めしそうにワシを罵るんです」
「目を瞑ると倅の姿が見えて眠れない」
と切々と訴えてくるので、話を聞いているのが大変だった。

そんなある日、一休は胸騒ぎを感じて寝床から飛び起きた。
まだ夜も開け始めたばかりの朝ぼらけの中、ぞうりの紐も結えずに源右衛門宅へ走り、眠そうな丁稚小僧を押しのけて家に押し入ると、奥の部屋に首を切って自害して果てている源右衛門の遺骸を見つけた。その場所は、倅源兵衛を手にかけたのと同じ部屋。
遺骸の手には、自分が園城寺まで掲げていったあの刀が握られていた。

一休は、自害を止められなかった自分に強い無力感を感じ、涙した。

その日は地元名士の壮絶な死に、朝から街中が騒ぎとなったが、町衆の協力で遺骸は清められ、家も片付けられ、源右衛門の葬儀は一休が導師を務めたのでした。


以上が一休さんが巻き込まれたミステリーでした。
なんでこんな史実にもないバッドエンドな話を書いたのかというと、ここに出て来る源右衛門父子と僧正と呼ばれた人物が、今生の自分の近くにいることが分かったからなのです。姿や顔は違うのですが、不思議と分かるんです。

源右衛門さんは仮にK.K.氏としておきますが、数年前に不思議な縁で知り合った自分と同じ大学の9年後輩の人物です。
僧正さんはこの後輩K.K.氏の高校の同期で仲のいい友人。仮にF氏とします。
数年前、この二人はある共通の友人の交通事故死をきっかけに知り合いました。ほんの僅かな偶然から繋がり、新たな縁となったのです。
そして、今日のこのミッションで、私と二人が過去生で縁があったことが分かりました。

さて、私がミッションと呼んでいるこの手法は、元々別の方が始めていたもので、自分と周囲の人々との関係を過去生に遡って紐解き、魂の滞りを開放するのが目的です。何人かメンバーがいて、もっと複雑なことをやっていますが、端的に表現すればこういうことです。
人間とは厄介なもので、転生を繰り返すうちに時々「思い残し」や「執着」あるいは「呪い」など強烈な感情を接着剤にして負のループに陥ることがあります。つまり、何度転生しても同じ過ちを繰り返して先に進めなくなると言うことです。これが起きると、例えば鬱病になったり、実際に体に変調として現れてしまうことがあります。
そんなことを止めにする。そういうミッションです。

この堅田の事件では、源右衛門と源兵衛と言う父子が争って、息子が父に殺されました。この関係性が今生ではどうなっているのかというと、二人は兄弟として転生して来ました。自害した源右衛門さんはK.K.氏、殺された源兵衛さんはK.K.氏の弟として。
今、K.K.氏の弟は20年ほど自宅に引き篭もってしまっています。殺されて祟りを成した結果、転生しても影響が出てしまうのです。また、その弟の精神疾患の治療に要する膨大な治療費と浪費癖を兄であるK.K.氏が経済的に賄っている状況にあります。彼もまた鬱病に陥りやすい性格で、過去生の影響を受けています。お金の流れも過去生と全く変わっていませんね。

こうした過去生から続く状況の打開のためには、当時の詳細な情報、特に感情を思い出す必要があります。催眠術を応用した前世療法などでも同じですが、追体験をすることで解放が起きて劇的に現実の状況が改善することがあるのです。今までの経験から、直接の当事者ではない私が追体験したことで他の二人に影響が出ることも分かっていますので、近々実際に何か変化が起きると思います。
またそれが分かってきたら続編を書いてみようかな。


最近はこんなことをやっています。
人間、笑顔でいられるのが一番ですよね♫

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