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『REZ』以降のテクノとクラブ 後編

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『REZ』以降のテクノとクラブ 前編  

95年1月〜95年5月


 「GIANT TAB」でそれまでのすべてのことを思い出し、すべてのことを忘れるように弾け飛んだ後、さて……、という所からこの年は始まった。DJは自分達のパーティーに力を入れ、受け手の方はといえば次第に自分も送り手になりたいという意識がでてきたのか、曲を作ったり、DJをやったり、イベントを始めたり、ミニコミを作ったりするようになる。ある意味では少しずつ細分化し始めたというか。
 音の方にもバラつきが見えてきて、主流な音に割って入ってきたのが、去年から話題だったシカゴ・ハウス。ロバート・アルマニ、アルマンド、グリーン・ベルベット、ポール・ジョンソン、DJスニークなどが人気で、レコードを買いに行っても〈Relief〉のものはいつも売り切れで、〈Dance Mania〉(……)しか買えなかった。
 ほかにはジャングルや、DJクラッシュ、DJシャドウがとにかくすごかった〈MO'WAX〉なども注目を集める。曲ではウインクの「DON'T LAUGH」やサブヴォイスの「VAMPIRELLA」を挙げたいところだが、やっぱり『DRAGON EP.』の「恐竜戦車」と〈Frogman Records〉から出たコンピレーション・アルバム『PULSEMAN』でみせた卓球氏の仕事ぶりを外すわけにはいかないでしょう。冴えまくってた。

 来日DJで驚いたのはリッチー・ホーティン。DJプレイはもとより人の多さにビックリした。それ以外ではスヴェン、デリック、ガルニエと、再来日の人が目立った。新しいものを探したいのになかなか見つからないような時期だった。

 新しいものといえば、1月の終わりに「エレ・キング」が創刊されたのを忘れてはいけない。12インチサイズ(創刊号のみ)の雑誌という大胆な試みとドイツのラブパレードについての素晴らしい記事に誰もが飛びついた。
 それから3月には、この年の初めに起こった阪神大震災のチャリティーパーティーがいくつか行われ、沢山のクラヴァーが詰め掛けた。アレックス・ナイトもルーク・スレイターもグリッドもオウテカもグッドメンも来たけれど、いまいちおとなしかったこの時期。
 そこにタイミングよく発売された田中フミヤ氏のMIX CD『I am not a DJ』は、ソニーから出たこともあり反応が多く、力強くラフでありながらも展開力のある仕上がりで、沢山のテクノ・キッズを魅了させた。しかしそのフミヤ氏が卓球氏とともに始めることになった「CHAOS TAB DISCO」は出だし不調な印象だった。
 このゴールデン・ウィーク中にはDJスニークが来日したが、予定されていた「WITCH DOKTOR」のアルマンド・ヴァン・ヘルデンの来日は中止となる。

 なんだかあまりパッとしないことが続いたが、5月にやっと!セイバーズ・オブ・パラダイスが来日を果たしてくれたのが何より救いとなった。バンドゥルゥにテクノじゃないと言われたアンディは、テクノじゃなくてもいつも新しかった。
強烈な思い出もなかったほど、みんな自分のことで精一杯な時期だった。  

95年6月〜95年10月

 地味な雰囲気はまだ続く。梅雨時というのがまたシラケさせる(だってクラブに傘なんて持って行きたくないじゃん。盗まれるし。)。シカゴ・ハウスのK-アレクシなどは宣伝もわりと控えめだったので、来たことすら知らない人も多いのではないか。同じ6月に来日したDJヘルも場所が場所だったし(王子3D)、やっぱり「鯖」(関西発のミニコミ)の言う通り東京ではウケていなかったようだ。しかし夏になれば、晴れの続いた気候になれば、自然と活気も出てくるものです。
 まず〈Frogman Records〉が、ドイツのラブパレードのヒット曲を集めたコンピ『スパンキー・コーラス』をリリースし、同時にポール・ヴァン・ダイクを迎えて「ラブ・パレード前夜祭」を行い、ハッピー・テクノ・ファンを喜ばせる。このイベントは、直前になって予定していたイエローが風営法の影響で2ヶ月深夜営業停止になり、急遽リキッドルームに場所を変えるというトラブルが起きたり、このイベントについての論争が「エレ・キング」誌上で行われたり、いろいろあった。
 7月に入ると、アシッド王のティム・テイラーを迎えて、LOUD&リキッドルーム合同の一周年記念パーティーが行われた。

 さて、だんだん熱くなってまいりました。待ちに待った野外テクノ・イベント「ナチュラル・ハイ」が富士急ハイランドにて実現。天気はあまり良くなかったけれど、いつもはまったくクラブに行くことのできない若い人には特に思い出に残る出来事だったはず。
 8月はまるでクラブ・ヴィーナス月間だった。しかし来たのはリッチー、デリック、ジャスロバとお馴染みの人ばかり。リッチー・ホーティンはDJとともにプラスティックマンとしてライブも披露し、相変わらずの人気者だった。
 そして日本の人気者といえば、クラヴィーのレジデントDJになってからじわじわ人気が出てきていたYO-Cが、この夏一気に大ブレイク。日本独特のハッピーなノリが主導権を握るようになり、次第に地方へと広まっていった。それから常に人気者の電気グルーヴは、それぞれのソロ活動を集めたBOXセット『PARKING』を発表。ここでも卓球氏は絶好調。

 流行りの音といえば、もう、ハウス、ハウス、ハウス、ハ〜ウス!「I FEEL LOVE」なんてお決まりのようにいつもクラブでかかっていたし、途中でヒップホップになっちゃう「I'M READY」がヒットしていたジョシュ・ウインクまで来た。グリーン・ベルベットで有名なカジミエも来ていた。ちなみ来なかった人はケニー・ラーキン。
 次第に寒くなってきた10月の豪華な来日陣を並べると、ウエスト・バム、デヴィッド・ホームズ、半ばにはケミカル・ブラザーズの初来日のライブで爆発し、そして前年とまったく同じ日に同じ場所のリキッドルームで行われたジェフ・ミルズのプレイは、その5ヶ月後に「宇宙人DJ、出現!!」というキャッチコピーのもと、ソニーの『MIX UP』シリーズの大目玉として発売される。

95年11月〜

 11月に入った。5月の来日中止からここまでのあいだ、数々のリミックス・ワークでお騒がせだったアルマンド・ヴァン・ヘルデンがやっと来日。同じ日に西麻布では田中フミヤのパーティー「DISTORTION」のゲストとしてクリスチャン・ヴォーゲルがDJを行なっていた。他にも次々と豪華な外タレが……と書いてしまいそうだが、もうネタも尽きたのかこれといって何もなかった。
 そこで開催されたのが、東京タワーのすぐ側にあるラフォーレ飯倉を4つのフロアに改造した「MADE IN HEAVEN」。ローラン・ガルニエを呼び、外国風の雰囲気に仕立てたのは良かったが、盛り上がる要素はあまりなく、やはり「GIANT TAB」のようにはいかなかった。
12月に入ると、スヴェン・ヴァースが3度目の来日を果たすが、もうあまり誰も騒ぎはしなかった。

 ソニーの新しい企画「MIX UP」シリーズの第1弾で卓球氏のMIX CDが発売されたのは喜ばしいことだが、その卓球氏は「DISCO」を月イチ開催から「年に何回かのイベント」に変えてしまう。そしてこの頃、クラブではケン・イシイの「EXTRA」がかかるとフロアは大盛り上がり大会でした。
 なんともいえない気分のまま、95年も終わりに近づく。すべての関心は「デトロイト・スペシャル」でのDBXことダニエル・ベルの来日……ではなく、恒例の年越しイベントに集中していたが、残念ながら結局は「やるやる」のまま自然消滅。警察の見張りが厳しかったというのも悲しい理由だけれど、その年の総決算であり新しい幕開けであるべきことが「何もない」なんてあまりにも皮肉な話だ。

 おとなしすぎる96年の始まりはジャングルと共にやってきた。LTJブケムがREMIXの招きで来日する。それからいいタイミングで来てくれたアンディ・ウェザーオールは、オーガナイザーの念願叶ってクラブ・ヴィーナスでDJを行なった。同じ2月にはクロード・ヤングも来日。MIXだらけのプレイは面白かったが、ちょっと踊りにくいという声も(私なんですが)。
 そしてテクノを伝授しすぎて低速気味に見えた卓球氏は、前年からイエローで行っていた自分のパーティーを改名し、新たに「LOOPA」として第4木曜に定着させる。これ、平日なのに人が入ってます。
 3月には自分の曲ばかりの「MIX UP VOL.2」の発売に合わせてジェフ・ミルズが3度目の来日をし、またまたフロアを盛り上げた。
 以後は5月にハードフロアーの再来日と一緒に、プラネット・オブ・ドラムス、フレディ・フレッシュ、そして日本のながいえりを呼んで「プラネット・オブ・アシッド」を開催。アレック・エンパイア、ローラン・ガルニエ、リッチー・ホーティンも来日。

 7月にはサンジェルマンもやってくる。あとはYO-C&平田知昌氏の「X-TRA」の異常人気が気になるところ。この夏は日本ランドで行なわれる「RAINBOW 2000」と、青海の「ナチュラル・ハイ'96」が予定されている。

 しかし、今のところ特筆すべき点もさほどない96年は果たしてどうなるか、あまり想像がつかない。派手なところはより派手に、地味なところは地味派手に、それが無理なくいい感じに発展し、変ないざこざのないフツーのクラブ・ライフが根付くことを何より望みたいと私は思いますが。  

(SUGERSWEET第8号 1996年7月)  

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