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歌集『滑走路』荻原慎一郎(角川書店)、選と感想

真夜中の暗い部屋からこころからきみはもう一度走り出せばいい

まだ早い、まだ早いんだ 焦りたる心は言うことを聞かない犬だ

空だって泣きたいときもあるだろう葡萄のような大粒の雨

ノートには青春時代の悩み事ぎっしり詰まって柘榴のごとし

ぼくたちは他者を完全否定する権利などなく ナイフで刺すな

デモ隊の列途切れるな 途切れないことでやがては川になるのだ

牛丼屋頑張っているきみがいてきみの頑張り時給以上だ

きみの手に置きたいものがあるんだよ。このCD聞いてごらんと

今日という日を懸命に生きてゆく蟻であっても僕であっても

夜明けとはぼくにとっては残酷だ 朝になったら下っ端だから

だだだだだ 階段を駆けあがるのだ だだだだ、だだだ 駆けあがるのだ

ひるやすみカレーうどんを食べながら愛のない暮らしなどはうんざり

ずたずたとなってしまったミキサーのなかの人参みたいなのです

なにひとつ考えなしに居酒屋で焼鳥食べているわけじゃない

 萩原さんは、進学校の野球部に入っていじめを受け、精神的な不調をきたしながらも大学を卒業し、アルバイトや契約社員として働いていたという。そのことは、彼が亡くなった後に知った。掲示板時代のネットの発言から私が萩原さんに持っていた印象は、物言いの柔らかな青年といった感じだった。お互いに短歌誌に投稿したり、ネットの歌会や題詠に参加していた頃だと思う。

 不本意な日々を送りながら、海の沖で丸太につかまるように短歌を作っていたのだろう。でも、そんなことに全然気づけなかった。歌人の枡野浩一さんの発言だったと思うが、死んでから売れるより、生きているうちに売れますように、といった主旨の言葉があって、亡くなってから褒めるより、生きているうちに褒めなければと思うし、なによりも、荻原さんを不調に追いやった、いじめが憎い。もういいかげん、いじめという言葉をやめて、精神的傷害事件と呼んだほうがいい。

 好不調の波が本人の意思とは関係なくあったろうと思われるが、すごいと思うのは他の誰かを励ます歌が多いということだ。誰かを励ますことで、自分にも力が湧いてくるということは確かにあるけど、根底には、いつも優しさを持っておられたことだろう。その良さを早いとこ誰かが気づいて、支えたり支えあったりということがあったならと、いまさら仕方がないことも考えたりしてしまう。

真夜中の暗い部屋からこころからきみはもう一度走り出せばいい

 この歌がいちばん好きだ。

#短歌 #コンテンツ会議 #とは

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