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城下町ロケット

城下町のある大手企業が時代に合わせて経営体制をガラッと変えたのが何とも明治維新に似てるなと感じたので書いてみる。個人の想像の範囲ですので、名前も適度に偽名、内容も真偽のほどは適度です。

その歴史
 1930年 佃準次が大阪で創業
   海外製のバルブ取りから、国産バルブ生産にも傾注。
   販売会社、製造会社ともに日本の高度成長の波に乗っていく
 1957年 創業者急逝
   学生闘争華やかかりし頃政府も五輪開催に向け所得倍増計画を掲げ
   さらに経済発展が加速しだす頃に佃準次が急逝し、夫人の佃敏が
   相続を受け社長就任。創業期から30年近く支えて来たとはいえ
   技術も商売も門外漢な二代目社長の彼女を支えたのは、
   生え抜き社員の山崎兄弟であった。
 
 1973年 通産大臣より高圧ガス設備試験製造認定工場の認定をうける
   東京オリンピックの発展、鉄道の高速化、オイルショックや
   公害対策、大阪万博など追い風、逆風を「特殊バルブ」への研鑽を
   繰り返すことで発展。1976年にはとうとう宇宙開発用機材の
   生産にも漕ぎ着ける。

 1979年 大崎兄弟の時代
  二代目社長の佃敏が会長職となり、実質会社を発展成長させてきた
  大崎兄弟の兄、大崎修平が代表取締役に。
  ここからはフィールドを世界に変えていく。社名も親しみやすい
  身近な愛称をで言われていた社名に変え、日本全国、世界各国へ
  開発拠点、販売拠点を展開していく。

 1992年
  変わり種としてはチョウザメの養殖、人工孵化に成功。
  チョウザメとキャビアを良質に作るには徹底したデータ収集と
  検査が必要。そこからITやライフサイエンス事業など経営が多角化。

 2004年 4代目
  3代目の大崎修平が急逝し、弟の大崎洋史が4代目代表取締役に。
  海外展開をさらに広げ、技術研修生の受け入れと海外の工場拡大。
  また下町からロケットを作る企業への発展を描いた小説の題材に
  されるなど(2011年にドラマ化)メディア展開も華やかに。

 2010年 5代目
  大崎兄弟の信任を受けて生え抜きの立花新也が代表取締役に。
  ただ方針は大崎兄弟の頃と変わらず、モチーフの「だるま」
  瓦煎餅に巨大壁掛けカレンダー、扇子に干支置物と
  過ぎるくらいの昭和スタイルを維持。
  宇宙開発とエコ化、自動化の流れを受けて製品も拡大。
  ドラマの影響を受けて知名度、株価ともに大きく広がっていく。

 2022年 6代目の陰に
  どの企業でも、創業家と経営陣との関係は根深くあるもの。
  企業が大きくなればなるほど、その影響や確執も大きくなる。
  
  「君臨すれども統治せず」で大崎兄弟を中心に発展してきたが
  裏では創業家がイニシアチブを取れていないことの不満が募っていた。
 
  最高顧問として存在する佃徹哉は齢70にして動き出す。

  山崎兄弟の筋である立花新也が推進していた東南アジア事業を
  注力したいんだろと、現地支社長へと飛ばし、創業家派の江原久士を
  代表取締役に襲名。また7代目候補として創業家の佃賢亮を
  専務として立てる。実質創業者の孫が控える形。

  新体制では、旧来のど根性研修、昭和スタイルなノベルティ、
  だるまのキャラクターもポスターも一斉に中止、破棄して、
  新時代に向けた動きを整えている。

 2024年
 テレワーク、働き方改革、国内製造回帰、電動化、
 AI活用に自動化、年功序列型から若手重視へ
  大きな社会・経済・技術のうねりに企業が飲み込まれている中

  昭和のモノづくり体質を一新することで、さらに発展するのか
  中興の功労者達がいなくなることで、組織再立ち上げに
  時間を要するのか。

 再来年あたりで池井戸潤さんが小説家してくれるかもしれない



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