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死と死後と文化と歴史と

年末スマホゲームのCMでメメント・モリってのがあって
子供たちからもどういう意味?と聞かれたので、

「死ぬことを知る」
「自分がいつか必ず死ぬ事を忘れるな」
って意味だと伝えましたがいい機会だと生死感のお勉強

Cotenラジオの内容に自分で加筆してメモ

各宗教がどう「死ぬこと」を説明してきたか。

時の知恵者・権力者に人は問う。「なんでうちの人が死んだの」
「なんで私たちを残して死んだの?」「死んでどうなるの」
「私も死んだら会えるの?」

昔これらを説明することが宗教になっていったと習った。

死、死後という誰にもわからないことをどう定義して
心を落ち着かせるか。

伊佐敷隆弘は研究の中で6つに分類。
人間は死ぬと、
1.他の動物に生まれ変わる
2.別の世界で永遠に生きる
3.すぐ側で子孫を見守る
4.子孫の命の中に生きる
5.自然の中に溶け込む
6.完全に消滅する

各宗教は概ねこんな感じ

セム一神教は、死の概念がなく、いずれ復活するという
考え方。本質的な死というものはなく、別の世界で生きる。
神が別に任意に復活できる。人間は、神様が自らの手で作ったもの。
サーバーの管理者(神)とアクティブアカウント(生者)と
休止中アカウント(死者)の関係。
終末を待ちながら生きる。終末になると最後の審判が開かれ、
裁かれ残った人が緑園に行ける。
終末とは、世界をなくして人間だけにする神の王国の状態(緑園) 

インド哲学・宗教観は因果論がベース。
宇宙は因果関係のネットワークできている。全ては「自然」
人間もその「自然」ただの因果関係の連鎖に過ぎない。
人間は死なない、だってそもそも生まれてもいないから。
たまたま自然に意識のある状態になっているだけ。
この宇宙の法則が体現できれば人の生死はあまり関係ない。
生き物でもないのに人間は生き物だと思いこんでいるから「煩悩」がでる。
その「生老病死」の苦悩煩悩を「気の毒だなぁ」と思うのが「慈悲」

インド哲学は全ての事象を関係の中、原因と結果の中で説明する
因果が分かってないのものが「無明」
梵我一如 の基本観念。
梵 ブラフマン 宇宙の法則(自然の摂理)
我 アートマン 私達の本当の自己(この法則上の在り方・生き方)

この基本観念の悟りの具合が聖者・覚者のレベルとなり、
相互に序列が理解できる。これがカーストの根本。
言葉では分からないが、悟ったら悟った人はわかる。

仏教徒とは、本来はゴーダマシッタールダが悟ったと信じてる人の集団。
インド哲学の梵我一如を悟った人(ブッダ)に教えを乞う団体。

儒教は、現実主義、スピリチュアルな言及で人を惑わしてはいけないとあり、
いかに政治的リーダーや血縁リーダーに従順に忠孝を表すかが重要であって
死や死後に関してはあまり深く関与しない立ち位置。
各国地域民族を配慮して踏み込まず社会の組織論としての教え。
死んだ後もリーダーに服従すること、家の先祖を崇拝をすることが
今の生活の繁栄につながる。死後は無関心。生きてる今か肉か。
目上・年長者を敬う力量・忠義を示す派手な葬儀に。安堵信心ではない。

道教は反して過分にスピリチュアル。
死者の国がある。死ぬとその死者の国にいく。
死者の国にはその官僚機構がありそこに帰属して生活をする。
生きてる世界は半分。死ぬとは折り返すプロセス。
葬儀にお金をかける意味合いが薄い。死後に使う冥銭が大事。

日本は、本来アニミズムの上に多くの民族が流入。
自然に帰る。守護霊になる。物に宿る。黄泉の国。などいろんな考え方が
各地域ごと、複雑にバランスをとって存在していた。
大和朝廷の頃に、人民を束ねるフレームワークとして仏教をインストール。
それまでの自由に生きる生活から、だらだら生きてはいけない文化になる。
禅宗をもとにした仏教が布教されることで、悟るには努力が必要との認知に。
ダラダラ生きれない。死者をいじめる地獄に落ちたくないよね
とダラダラさせない、働き者・思いやり教育に使われていく。

本来の仏教は「輪廻」の考えがあって地獄も通り道という認識だが
日本は古来からの黄泉の国の考えがあり、黄泉へは行くものでそこから戻ると
認知がなく(戻ればイザナミ・怨霊や悪霊)輪廻感は輪廻がささっておらず
日本では輪廻的な祭事より、地獄にいかない。極楽浄土にいく為に。
といった祭祀をすることが増える。

神道的黄泉の国は描かれ方が少なく、解像度高く表現された地獄絵図、
極楽浄土の方がビジュアライズされており流布。
逆に仏教は「国のはじまり」を描けないので、

モノの始まりは神道。基本は恨み、怨霊、祟りを避ける。黒魔術的
モノの終わりは仏教。救済・どう死後苦しまないか。プロテクション。白魔術的
となっていく。

さらに、江戸幕府からの寺請制度が行われ、全ての人がいずれかの寺院に
所属(檀家)するようになる。寺が市役所・銀行・学校をしていくことに。

そこで、「仏様は・・・」と教育・相談されることが増えより寺の役割が
増え、身近になっていく。出家していない在家の者を教えていく為、
修行して悟るという面から、「人間は死ぬと仏になる」という簡単な説明になり
死ぬと仏になってブッダの弟子になる。なのでブッダの弟子としての
ニックネームとして戒名をつける。あの世で裁判のステップを手助けする為に
初七日や四十九日を行うといった日本の葬式仏教がより進んでいく。

この様にそもそものインドの哲学やブッダの教えと日本の仏教は全く違う
ものに変化している部分が多い。

江戸時代、外国の存在を認知する中で、逆に日本とは何だろうと
研究が進んだのが国学。本居宣長が日本て何だろうと古事記の研究を
軸に進んでいく。

江戸時代は一般的には朱子学(儒教一派)を学んでいた。
しかし儒教では、死後を取り扱わない。先祖崇拝せよとだけ。
崇拝したくても、仏教は死後極楽で仏をやっている、道教は
死者の国で別の生活をしている。唯一マッチングするのが
国学だった。

ここで国学と朱子学がミックスされていく
日本の先祖崇拝と忠孝の観念から日本の始祖、神武天皇崇拝から
尊皇攘夷という考え方が出てきて幕末のイデオロギーとなる。

国学者の平田篤胤がキリスト教の霊に注目、「死んだら見えない霊になる」
明治維新の戦死者、国の為に死んだ者を「英霊」とすることを発明。
国学・仏教・キリシタンにも受け入れやすかった。

その考え方を政府が活用し尊王攘夷論に接続される。

明治維新で多くの人が死ぬ。寺請制度で仏教式の葬儀は上げるものの、
国として何も報いることができないと、平田篤胤の英霊の概念を
尊王攘夷に接続し使う。
皇の為に死ぬ。御国の為に死ぬと英霊となり英雄視される。
政府が全国の英霊の招魂祭を行い讃え労う。
その祭りをしていたのが東京招魂社→今の靖國神社

それは大正・昭和も日本の宗教観・根っこの考えとして
続いて行く。

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