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ノベルジャムと再定義されたデザイナーと

●ノベルジャム2018参加記録 [最終回]

あれから1か月半が過ぎた。
ノベルジャムにおけるデザイナーの仕事は主に「創作物の顔としてのデザイン」だったけれど、終わってからの仕事は「コミュニケーションの担い手としてのデザイン」にシフトし、こちらも各所で活発に生み出されている。僕も多分にもれず色々とデザインさせていただいた。
出版自体が終わってのち、デザイナーとして送り出したものはざっと以下の通り。

・その話いつまでしてんだよ改稿版 表紙
・続編、この話いつまでするんだよ 表紙
・ペーパーバック版「ひつじと黄色い消しゴム」表紙
・雑誌「After Jam+C」クリエイティブ全般
・販促イベント「ノベルジャム屋台」マーク
・ノベルジャム屋台 全作紹介フライヤー
・ひつじオリジナルグッズ デザイン各種
・その話いつまでしてんだよ豆本

これらのものをイベントから1ヶ月ほどで制作した。販促活動なども含めてアワードが決するという今回のレギュレーションがそうさせたのだけど、こうしてアプリケーションされたデザインを送り出し、あの3日間の狂騒から生み出されたものが様々な可能性とともに展開していく様子は本当に気持ちがよく(大変だったけど)、原初的なデザイン衝動みたいなものを久々に味わった1ヶ月だった。

今回の挑戦で、作家の魂が宿ったものにデザインをつけるという行為に完全にハマったというか、デザイナーとしての喜びを感じてしまい、本業の傍らではあるけれど、どこかで文芸作品の表紙を作る仕事ができないものかと思っている。
そんなことを考えている所に森山さんから「過去の戯曲を電子化して出版したいので表紙を作って欲しい」とのオファーをいただき、早速チャレンジの第二歩目となりそうだ。
そんな書籍デザインへの目覚めは次なる自分への課題であるけれど、ノベルジャムへの参加は、では実際の仕事や生活にはどんな影響があったんだろうか。

影響①角度が違う提案の可能性が見えた

例えば。腐ってもみかんさんのラッププレゼンがあまりに強烈だったので、仕事に活かそうと思った。とあるメーカーのオープンキャンペーンで、ラップを使う提案を考えたのだ。オープンキャンペーンの目的は原則「名称の認知獲得」だ。だからラップの韻を踏むリリックは、やり方によって面白い相性になると考えた。結局ボツったが、ストリートカルチャーと親和性のある商品やサービスであったなら目があると思うので、覚えておきたい。
ラップは豪速球すぎるにしても、今回プレゼンテーションの方法について多くを学べたのは事実だ。出力したパワポの企画書をホチキス止めしてクライアントの前でそれを読む、という大変に手ぬるいプレゼンが界隈では横行しているので、打破すべきと思った。そのような意味ではプレゼンにおけるエモーショナルな手法の見本市のようで非常に勉強になった。

影響②コンペの勝率が上がった

当たり前のようだけど、広告作りやセールスプロモーションの設計とは、生活者に対して体験価値の予感を提供する事であって、それはとりもなおさず「物語の提供」に他ならない。生活者にどんなストーリーを提供するのか。じゃそのストーリーってどうあるべきなのか。
コピーライターはともあれ、「ストーリーを作る」ということに対し教科書的に知ってはいても腑に落ちているデザイナーは実は少ないんじゃないだろうか。そこが今回、作家たちと同じ速度で走りきることで強化された。身体化された、と言ってもいい。
おかげでその後競合コンペの勝率は高い。体験を物語として生活者にいかに届けるか、という視点を、今までも持ってはいたが、それらに対するシビアな基準を自分の中に作る事が出来たので、企画の体幹が強くなり、説得力が増しているのだと思われる。

影響③異なる文化への敬意がさらに深まった

商業デザイナーの視点は「1+1」を「2」ではなく「X」や「*」や「?」にすることであり、その仕事の多くは「既知A」と「既知B」とを繋いで「未知X」を提示し、それを持って価値の本質である商品・サービスと生活者とを結ぶ事だ。
だけど、ともすればそれは「今こんなの流行ってますよ」的なチープな発想や、コラボレーションの名のもとに対象の本質から目をそらすイージーな企画になったりする。そこに敬意や愛がなければ、伝わらない。
「異なる文化への敬意を忘れない」という至極当然な心持ちは、今回ノベルジャムで改めて自分に銘じた事でもある。様々な個性と文化的背景を持ったクリエイターが32人も集まり、ほとんど初対面から2泊3日で作品を都合16本作り上げるという、良い意味で乱暴な企画ゆえ、理解と敬意を持ちながらしかも妥協しない、という高度な心の有り様を短期間で作り上げる事を要求された。
それがデザイナーの「異なる価値をつなげて未知を作る仕事」に活きないはずがない。

そのようなわけで、今後参加されるかもしれない次世代ノベルジャムデザイナーの皆さんにちょっとだけ、お伝えしたい。
デザイナーとして生きるなら、対象をみつめ導いた答えを世に出し、選ばれなくてはならないが、ノベルジャムの場合はどうだろうか。
創作からデザインへ渡されたものを吟味し、何をどのように伝えるのか、そのための課題と解決への仮説を作り、実際に執筆と並走してフィニッシュまで持ち込む。これをごく短期間で行い、その後もPR活動含め、作品の価値を上げるためのデザインワークは次々とあり、そして最後は売上という形で裁定される。この間わずか1ヶ月半。経験の圧縮具合が半端ではない。少しでも興味のあるデザイナーはチャレンジした方がいい、というかしてください。

今回デザイナーの応募は少なかったと聞いた。もちろん主役は作家だが、作家を名乗る人間よりデザイナーを名乗る人間の方が日本には遥かに多いのだから(多分そうだろうと)、次回は選考が難しくなるくらい集まって欲しいなと思う。
「デザイナーと言っても出版は畑が違う」など消極的な向きもあるかもしれない。しかし課題を解決し、体験の質を上げ、見えないものを現し、人と何かをつなぎ、そうして人間と社会に幸福と平和をもたらす。大げさではなくそれがデザインという仕事の芯なので、ジャンルはさほど問題にならない。実際あまり関係ない分野の、しかも管理職に片足突っ込んだような僕にできたのだから、特に現役の若い人であればずっと素晴らしいものができるに決まっているのだ。

ノベルジャムは出版を再定義する。
その理想に向け、今日も様々な人々がそれぞれの持ち場で戦っているであろうけれど、個人的なレベルで言うと、このイベントで僕自身はしっかり「デザイナーとして再定義された」。確信的にそう思っています。

というわけで長々と書きました。お読みいただき感謝です。
この極端で面白くて刺激的なイベントに参加できて幸せだったと、心底そう思っています。関係各位の皆様方、本当にありがとうございました。

sugiura.s (2018.3.26 アワードの前に記す

 

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そして最終回のはずが

アワードで「その話いつまでしてんだよ」がデザインと装丁の賞でもある山田章博賞を受賞、と言うまさかのびっくりサプライズが巻き起こってしまったので、その辺り含めも少し続きを書きます。

(と言うわけでもうちょっとだけ続きます)

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