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私はこんな人。生い立ち編。#3

私はこんな人。シリーズ。

略歴編。#1 
性格編。#2
生い立ち編。#3 今日はここ。
好き嫌い編。#4
すったもんだ編。#5

生い立ち 〕
群馬県前橋市生まれ。主に千葉県流山市で育つ。幼少期から高校生までアメリカと日本を行ったり来たり。

長女。弟がひとり。父は学者。ジャーナリスト。母は元キャビンアテンダント。英語の先生。

私が0歳のとき、両親が国籍法についての裁判を起こす。

当時は、父がアメリカ人で母が日本人のハーフの子どもは「アメリカ人」とされていた。

たとえ日本人の血が入っていたとしても、母が日本人である以上、「 日本人になれなかった」のだそう。

今となっては二重国籍が当たり前とされているけど、それは、この裁判で10年間の戦いの末、国籍法が改正された結果。ながい道のりだったらしい。

思い返すと、大勢の新聞記者がズラーっと目の前に並ぶようすや、カメラのフラッシュを浴びるシーンはうっすら記憶に残っている。(手を引かれて東京地方裁判所に入るのが私)

よく両親のインタビューのときにマイクを口に入れて緊迫した会場を沸かせていたのだとか(笑)

誹謗中傷もあったらしく、家の窓ガラスが割られたり。道すがらに罵声を浴びせられたり。脅迫電話がかかってきたり。辛辣な言葉で綴られた手紙が届いたりしていた。

何かを変えたいなら、行動したらいいだけじゃない?とシンプルな私の思考も、誰にどう思われているとか気にならないのも、両親の毅然とした背中を見て育ったことで身についたのかも知れない。

しかーし!なんと、裁判のあと両親が離婚。私は10歳かな。ある日、学校から帰ってきたら父が消えていた(笑)

とはいえ父も母も私に何かを隠したりごまかしたりしなかったためか、そんなに寂しい気持ちはなく。父の家にも自由に行き来できていてオープンな関係。

むしろ仕事をする母を手伝うという名目で料理をするきっかけになり、楽しくて仕方なくて、あれこれ料理実験の日々。

おかげで自炊した料理食べ過ぎて、小学校高学年から急激に太りだし、中学時代はブクブクMAX。

当時はメガネもかけていたので「外人デブメガネ」というあだ名もあったな(笑)

そうそう、10歳くらいから劇団に通い始めて演劇やバレエや日本舞踊やピアノなどお稽古もりだくさん。

教師びんびん物語というドラマに出たりしてたけど、中学生になったときにやめた。

小学校高学年は体操部。中学時代は美術部で、絵画や切り絵に没頭。高校生活はバトン部とジョギング部を少し。すぐ飽きて帰宅部。

女子高だったので、通学途中に男子を見つけては外からキャーキャー言う微笑ましい日常(笑)

大学受験では弁護士の祖父に影響をうけてなんとなく勉強するも、ことごとく狙った法学部に落ちて明海大学に入学。なぜか、経済学部。

大学時代はイベントサークルに入りつつ、サッカー部のマネージャーを兼務。怪我をしたときのテーピング技術に感動してハマる。今でもテーピングは得意。

そういえば、大学はたまたま首席通過し、入学式では1,000人以上の前で宣誓。教授たちにやたら期待されたことで気が滅入り、むしろ全く勉強しなくなる。

勉強の代わりに、アルバイトざんまいの日々。ディズニーランド、キャンペンガール、パン屋さん、家庭教師や単発の短期バイトを掛け持ち。いま振り返ると、かなり稼いでいた(笑)

18歳にアルバイト経験をしたパン屋さんがきっかけでパンづくりにハマり2008年から今に至るまでおうちパン教室を開催。

(↑2018年パン教室開催のようす)

バイトが休みのときは、ボード系スポーツにハマる。冬はスノボのために山籠り。春は海でボディボード。夏は湖でウェイクボード。この時に足腰を鍛えられたのか、未だに腰痛とか経験なし。

バイトと遊びが楽しすぎて、就職活動はやる気なく、案の定内定ゼロ。就職できない(笑)何するかなーと呆けていたら、そんな矢先に大好きな祖父が他界。

食べることが大好きだった祖父は、最期のほう、食べられずに亡くなった。食べたいものが食べれないなんて、どんな気持ちだったろう?

身近な人をこれっぽっちも助けられなかった自分に大きなショックを受け、無力感。

できることなら、祖父と同じような境遇の人の助けになりたい。と考えて調べた末にたどり着いた道は、管理栄養士。

どうやら管理栄養士になれば、色んな病院食や介護食のメニューを考えたりアレンジしたりして提供できるらしい。

もともと料理が大好きだから天職かもしれないと思い、大卒後に専門学校に通い、24歳で栄養士。(ちなみに、2年間の栄養士専門学校を卒業さえすれば誰でも無試験で栄養士免許を交付される)

栄養士取得後は、国家試験の受験資格に必要な実務経験を積みながら猛勉強。高倍率の中、1回で合格し26歳で管理栄養士に。

それからは、ひたすら病院での経験を積み、食事をより美味しくするために奮闘。挫折。奮闘の日々。

予算の壁や理事長との絡みもあったり、医療の闇を知ってしまったりと、なにもかも思いどおりにいかない。熱意だけではどうにもならなかった。

プライベートでは友人の依頼により料理教室を細々と開催。これも10年以上経った今でも続いている。初代ブログをスタートしたのも、この頃。

(↑2008年はじめて開催した料理教室。29歳。)

プライベートは順調だけど仕事では八方塞がりの中、ある病院で栄養指導により患者さんの鬱が改善したり、糖尿病の方が治ったり肥満解消されたりと実績を積みスキルをかわれてどんどん腕をあげていく。

病院で私の栄養指導を外来患者が指名することが増え(栄養指導の指名制度はなく、異例)医事課やドクターを騒がせていたらしい。

ある日、事務局長が私の元へきて「栄養指導件数が急激に伸びてるけど、どんな指導してるんだ?!」と聞いてきたときは、私の方が「へっ?」てなって驚いた。

確かに、当時から独自路線まっしぐら。栄養指導マニュアルどおりにしていなかったので、我ながら特殊な方法だったと思う。

そもそも「栄養指導」という言葉が好きではなく「指導」って何さまなの?と思っていたので、患者さんの愚痴や不満をただ聞いていた。

それが大ウケだったらしく。話を聞いてもらいたい患者さんが私を指名していたことを後から知る。

人って自分の話を聞いてもらえると、相手の話も聞こうかな?と、思うんだろね。

だから結果的に、私の話にも耳を傾けてくれて。そのとおりに実践された方が、どんどん改善されていった。(血液検査の数値ではっきりとした変化を確認できる)

そんな、確実に成果をあげてきたこれまでのノウハウをぎゅっと濃縮して一般向けに改良した栄養アドバイスが、今のフォト食事アドバイス

LINEグループファスティングにもつながっている。まさに本業。

栄養指導はとても興味深かった。本当は治りたくないと思っている患者さんもいて、衝撃を受ける。病気になる背景にはいろんな深層心理が隠されていることを知る。

11年の病院勤務の間、累計100名以上の患者さんの死に直面する日常は心身ともに過酷。

願い叶わず命を落とす患者さんも多く、いつしか病気になるまえの予防医学の分野に興味をもち、心理学や東洋医学をはじめとする代替医療を独学。

雇われながら、自分の思うことをするには限界があるのではないか?と思うようになり、理想をカタチにするために独立することを構想するようになる。

そんな矢先、娘を授かり保育園を探すも納得できる保育園がないことに愕然とする。大切な娘を預けてまで仕事を続けることへの葛藤。

考え抜いた結果、会社を辞めて独立し、理想とする食育と英語の保育園をつくることを決意。

35歳のとき(娘は0歳)に全財産投資プラス借金をして、Universal Childcare Akasakaを設立。今年でおかげさまで5年目。

独立したことで、これまで思い描いていたことをどんどんカタチにできる喜びや、ひとりでは出来ないことが沢山あることを知る。

セルフケア講座有機味噌づくりの会、かつおぶし削り器づくり教室、おうちパン教室、料理教室など食育系のイベント活動。

2018年は「世界中に生まれてくる子どもたちが幸せに暮らせる環境をつくりたい」を理念とした(株)食卓の設立。

これからは、ZOOMを使ったオンライン系の講座を充実させていく。

なんだか、本題からズレてきましたが、こんな感じです。

とにかく幼少期から今現在に至るまで、私が決めたことを、いつも両親がバックアップしてくれていました。ありがたい。

祖母の兄弟が13人ということもあり、多くの親戚とのつながりもあり。

弟はめっちゃ姉想いだし、私は弟のことを勝手に天才だと思っている(笑)私は長女だけど、弟はまるで兄のようにしっかりしてる。まー、姉がこんなだからかも知れない。

ちなみに家族仲良しといっても、喧嘩しないわけではなく。むしろ、言いたいことを言う。けど最終的には合理的な解決策を話し合う感じ。

そういえば、父方の家族も母方の家族も色々あるけど基本的には家族仲が良いなー。当たり前と思っていたけど、この関係性は貴重らしいことを最近知る。

腹を割る。ごまかさない。嘘つかない。コミュニケーションが大切。家族はひとりひとり我慢なく風通しがよいのが一番!と思うのでした。

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