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新章劇場版公開 神アニメ「コードギアス」に見る感動のフォーミュラ

「コードギアス」というアニメをご存知だろうか?

2006年に「コードギアス 反逆のルルーシュ」としてアニメ放送が開始し、2008年「コードギアス 反逆のルルーシュ R2」の主に2シーズンに渡り、人気を博したアニメである。当初の展開から既に10年以上が経過しているが未だに根強いコアファンが存在している(まさに自分のような)。例えばタレントさんで言うと、元TBSの宇垣アナはリミッターを外して「コードギアスは人生!」と声高に叫ぶほどのファンでまじで最高だったりする。

話は戻るが、当時は自分がちょうど大学生を過ごしていた時期であるが留学していたという理由もあり、リアルタイムに日本での人気にのっかれた訳ではなかった。むしろアニメに詳しい親友から紹介され放送が終わってから52話をイッキ見したのを今でも覚えている。

衝撃だった。

ガンダムもジブリも深夜アニメ(多少)もある程度嗜んできた身だったが、この作品には何故か段違いに引き込まれた。本日2月9日(土)より、映画版での「新章」が公開となるが、その予習も含め年末年始に改めて全話を見返し、この作品の何がそこまで心を揺り動かすのかと一考してみた。

以降、もしこの作品に興味を持っていて、前情報などなしに楽しみたい方はページを閉じることを心からおすすめしたい。既に作品を見たことがある方は、あくまで1つの作品の見方としてご覧頂ければ幸いである。(一番最後には新劇場版のレビューも簡単にしているため、読まれる場合は、最後の箇所は要注意でお読みいただきたい)

ざっくりあらすじは以下wikipediaより拝借。

現実とは異なる歴史を辿った架空の世界において、世界の3分の1を支配する超大国「神聖ブリタニア帝国」に対し、一人の少年が野望を抱き戦いを起こす物語である。舞台は、神聖ブリタニア帝国の植民地とされ、呼称が「日本」から「エリア11」に、「日本人」から「イレヴン」と変わった近未来の日本となっている。主人公であるルルーシュは、母の復讐と妹の未来のため、いかなる手段を使っても帝国への反逆を遂行する。これまでのアニメ作品ではあまり無い、主人公の立ち位置が悪役側となるアンチヒーローであり、その敵役となるのは「正しい力でもって中から帝国を変えたい」とブリタニア軍に所属する、ルルーシュの親友である枢木スザクである。 主人公と敵役の信念や戦い方がよくある物語の構造と逆転しており、悪役側に立つルルーシュ視点から世界を見ることで、単純な正義と悪の話ではないことが分かる。

一言加えるとすると、主人公ルルーシュは、いかなる相手にも瞳を見つめることで一度だけ絶対遵守の命令をかけることができる「ギアス」という特殊能力を獲得し、その能力を物語の中で使い果たしていく、ということである。

さて、個人的にこの作品を一言で言うならば、

「憎しみに支配された一人の青年が、その憎しみを解放するまでの物語」

と言えるのではないかと思う。

正直魅力的な所は山程ある。

CLAMPさんの描くキャラクター(ビジュアルだけでなくルルーシュの徹底的なヒールっぷりと反転する優しさのギャップ、つんデレミステリアスなCC、アイデンティティーに悩む天才ロボ使いのヒロインカレン、無骨な知将藤堂、忠義の騎士ギルフォード、イケメン智将星刻、などほんの一部)、ガンダムとは一味違う個性的なロボデザイン(紅蓮弐式やらランスロット、神虎)、それらロボが激しくやり合うエキサイティングなバトルシーンと、「ここからどうすんだよ」と思わせてからのあっと驚く戦略的展開、シーンにどんぴしゃな楽曲展開など。

ただ広げすぎるとキリないので、改めて見て感じた、このアニメの言うなれば「感動のフォーミュラ(公式)」とでも言うべき構造について考えてみたい。おそらくこうした構造は他作品でも見られるとは思うが、好きな作品だからこそこの際抽象化して捉えてみる。あくまで私見。

感動のフォーミュラ「相対矛盾の構造」

この作品が際立っていると思うのはここである。物語においてキャラが葛藤し自己の課題を解決し、成長する過程にこそ、見るものは共感し、作品世界に惹き込まれるていくものであると思われるが、この作品はリニアなストーリー展開の中で増幅するキャラクターの自己矛盾を、それぞれのキャラクターと相対的に描きながら表現している所が、とても、とても上手なのではないか、と感じる。

どういうことか。代表的なシーンを見ていきたい。

まず前提としてこの作品の中心となるは、大国ブリタニアの正統皇位継承候補ルルーシュと、彼の幼き頃からの親友であり、日本国首相枢木玄武の息子枢木スザクである。彼らは幼き頃からの親友であるが、進む道は異なる。ルルーシュは母親を殺害した犯人を突き止めるべく進む中、ブリタニアを征服することに全てを賭け、”黒の騎士団”という外圧として邁進する。一方スザクは日本国を、日本人を守るために、ブリタニアの中から自身のポジションを獲得し、内から世界を変えようとしていく。

そんな中二人が相対するシーンがまずこれ。
エピソード13「シャーリーと銃口」でのバトルシーン。

ルルーシュ=ゼロをリーダーとする黒の騎士団がブリタニア軍を苦しめると必ず現れ戦況を一変させる白兜のロボ、ランスロット。これを操るのはルルーシュの親友スザクである。度々この白兜の出現により苦しめられるルルーシュの怒りが爆発する。

そしてそれは、勝利のためなら手段を選ばず人を切るゼロのやり方に真っ向から対立するスザクも同じ。

根本的な思想の対立が、両者の怒りの、憎悪の溝を更に深めていく。

この一連の流れの中で、まずもって二人は幼いときからの大親友でありこの時点ではそれぞれが敵方のキーマンであることを知らない。親友として、守るべき、愛すべき相手であるはずなのに、お互いの立場故に、思想の異なる敵対すべき者として、憎しみを互いに増大させていく。ここに、自己完結でない、相対的な矛盾構造があるのではと感じた。

まとめるとこんな感じだろうか。
(本当は図式化したいので後で変更するかも)
※あくまでここでの「感動」とは見るものの心を突き動かすという意味で使っており、「泣かせる」という一義的な意味であるわけではないことは書き留めておきたい。

ルルーシュの憎しみを絶対的なものとしてまずは描いていくだけでなく、同じレベルの憎しみを持ち敵として相対するスザクとの対比により、憎しみを相対化させることで、その激しさがより際立ちわかりやすくなっていると感じる。その憎しみが激しいほどに、どうその憎悪が帰結するのか見ないわけにはいかなくなるのだ。

ただ、この作品で最もその構造が生かされているのが次の展開である。

最早この作品を語る上で、触れないわけには行かない衝撃のエピソード22「血染めのユフィ」と 23「せめて哀しみと共に」。

ざっとしたここでの展開を補足すると、このシーンではルルーシュの異母兄妹であり数少ない幼馴染、ブリタニアの正統皇位継承候補でもあるユーフェミアが、その真っ直ぐで純粋に平和を願う気持ちから日本人とブリタニアとの共同行政特区の発足を提唱し、ゼロに参加を呼びかけるという流れとなる。ゼロとしては自分が生み出し勢力を拡大させてきた”黒の騎士団”という組織の絶対性がある種弱体化される(ブリタニアが同国内に自ら日本人と共存する思想が実現化すれば、ルルーシュ自身のブリタニアを倒す大義が揺らぐため)この予想外の手段に戸惑いつつも、ユーフェミアとの対話に答えを見出そうとする。そしてユフィの決断の真意は、ルルーシュが願う唯一の望み=妹のナナリーを思っての行動と知り、ルルーシュはユフィの提案を受け入れ、行政特区を活かす形で今後を考えることに同意するのである。

が、ここであろうことかギアスが暴走し、「日本人を殺せ」という命令がユフィにかかってしまうのである。

「日本人を殺す」。それはブリタニアと日本との調和、更にはナナリーが平和に暮らせる世界を望むユフィーの願いとは対極に位置する行動である。ギアスにかけられても、ユフィは最大限に必死に抵抗しようとする。それは彼女にとっても最も許せない行動だからである。

しかし、ユフィの抵抗も虚しくユフィはギアスにかかり。。。

あまりに胸が痛む展開である。。

ルルーシュはこうなった以上、この結果を最大限に利用する。「黒の騎士団”はだまし討ちにあった。行政特区は、日本人をおびき寄せる罠だったのだ!」と。そして黒の騎士団に、ブリタニアへの反撃を、悲しみを押し殺し宣言する。

そして。。


自らの手で、初恋相手でもあるユフィへの始末をつけるのである。。これ以上に、悲しい展開があるだろうか。。。


ここで、改めて構造をまとめてみる。
ユフィーも、ルルーシュも、それぞれに最も望む形と正反対のベクトルの元に位置する対極行動をとっている。(ex. 日本人を愛するのに虐殺する、守りたいはずの初恋相手を撃つ)その矛盾行動の発露には、尋常でない覚悟が共存していなければいけないのである。

ちなみにだが、ここでのユフィの矛盾行動はあくまで「ギアス」というある種ファンタジーと言うか現実に起きうることではない強制的なものであるため、本人の遺志や覚悟は直接的には介在していないと思われるしかしながら、自分の皇位を返上してまで、純粋にナナリーを思っての行政特区の発案・行動自体にこそ、前提として彼女の強い思いが存在する。それゆえにギアスの結果であったとしても見るものの心を揺さぶる動機が既に存在しているのではないかと思う。

そして、ルルーシュに撃たれたユフィを狂気状態で救い出すスザク。
ユフィの命が少しずつ明滅する中での最後の二人の会話のシーン。ここははもう涙なしには見れない。

会話が始まる中で、日本人であるスザクを前にギアスが発動しかかるも、消えかかる命の中で必死に抵抗するユフィ。

ギアスに抗い打ち勝つユフィ。そして、最後の最後まで日本人のことを思う。スザクに、式典について問う。

スザクの、精一杯の優しい嘘。。もうこの時点で涙腺崩壊開始。。

そして一方、ルルーシュは事の顛末を最大限に利用する。
ユーフェミアは偽善の象徴”である、と。憎むべき相手である、と。

そして、最後にスザクに語りかけるユフィ。。。自分に尽くしてくれた一人の日本人のことを想い、言葉を振り絞る。。ああもう涙が


号泣。。。。。。。。。。。。。。。。。。


このシーンはもう楽曲といい、スザク、ユフィの声優、櫻井孝宏さんと南央美さんの演技といい、構造展開、演出といい、何度見ても本当にやばすぎる。。。

この一連の流れは最早、ルルーシュ、ユフィ、スザクの3人を中心に、更には状況を取り巻く日本人の民衆や黒の騎士団と、様々な者の思いがクロスオーバーする状態となる。

以下まとめるとこんなだろうか。

結果的に、日本のことを心から思って行政特区を発案したユフィが、日本人を裏切り、憎まれてしまうという、目を覆いたくなる展開となる。

視聴者が最も望まないようなこうした「トラウマを生み出す」ことが、見るものの心をある種(良くも悪くも)突き動かし、物語に更に引き込み、その強度を高める結果にもなっていると感じる。

振り返れば、人間の決断や行動はいつだって矛盾を孕むものだ。仕事でもプライベートでもいやだったり、やりたくないことを片付けるのには相当なエネルギーが要る。今作では、そんな自身の思いとは最も相対する対極の行動をキャラクターに負わせることで(ex. 最も愛すべき親友を敵とみなし憎む、守りたい日本の民を虐殺する、本当は救いたい初恋相手を撃つ)、その行動を乗り越える強い覚悟や思いに、感動を生み出すヒントが隠れているのではないかと感じた。

ただその矛盾を、一人の中で完結させるのでなく、キャラクターの相互関係の中に生み出している所が、この作品のすごいところなのではないかと、改めて見返して思った次第だ。

■コードギアスが提示した思想 民族、憎しみからの解放

「感動のフォーミュラ」と仰々しい言い方をしてしまったが、上記の構造的なところだけでなく、この作品について個人的に最も好きな所はむしろその「思想」だったりする。

一つ目は、ゼロ(ルルーシュ)が述べる「民族」(ここで言うつまりは”日本人”)とは何か、という問い。
以下は、自分がコードギアスで最も好きなセリフである。
※以下「スザク」→「スザ」

ゼロ「日本人とは、民族とは何だ?」
スザ「何?」
ゼロ「言語か、土地か、血の繋がりか」
スザ「違う。それは…心だ」
ゼロ「私もそう思う」
ゼロ「自覚・規範・矜持、つまり文化の根底たる心さえあれば、住む場所が異なろうとそれは日本人なのだ」

昨今こうした時代が本当に到来しているとすごく感じる。日本という国を考えたらこれからますます人口は減り、海外からやってくる人は増え、ネットを介しリアルタイムに様々な情報が更に入って来る様になる。全てが混ざり合う混沌の中できっと”民族”だったり、ひいては”国”という概念も長い目で見たらどんどん希薄化していくと思う。ただこの言葉には、何をもってそうたらしめるのかを気づかせてくれる、強烈な思想が込められていると感じるのだ。

そしてもう1つは、「どうすれば人は憎しみから解放されるのか?」というこの作品を貫くある種最大のテーマ(問い)である。鑑賞者は、ルルーシュを筆頭に、積み上げられ、繰り返される憎しみの連鎖を目のあたりにするわけだが、最後にルルーシュが提示した「全ての憎しみを自身に集め、それを終焉させる」という究極解に、自分自身気がついた時、言葉をなくし、最終話でその瞬間を目にした時、涙し、放心状態になったのを覚えている2001年の同時多発テロ以降、そうした憎しみの連鎖が世界規模で続いている中で、この作品が投げかけた(それが非現実的なものであっても)問いかけと1つの解の提示には、単純なアニメーションという枠に収まらない、人の心を突き動かすパワーがあるのではないかと心底感じた。

そういう意味では、民族やそれに基づく「国家」という概念、「憎しみ」の連鎖から人はどう解き放たれ得るのか、という所がこの作品が負っていた命題だったのではないかと、書きながら思った次第である。


ちなみにコードギアスは動画配信サービス「ネットフリックス」「アマゾンプライムビデオ」などで視聴可能だ。



最後に、本日から全国約120館、「コードギアス 復活のルルーシュ」が公開されている。自分は本日0時、品川T-JOYにて最速上映を鑑賞してきた。



さてネタバレする気はないが、劇場版レビューを見たくない方はここまでに。



正直な所、見終わった後、どう評価していいかわからなかった。

ストーリーとしては、自分が夢想していた、ここまで書いてきたような展開、シリーズの時のような満足感はフルには感じられなかった。(期待が高すぎたこともある)

だがしかし。

シリーズで登場してきた愛すべきキャラクター達と、あのキャラクターの真髄は十二分に発揮されている。最後のエンディングの展開も”これから”を大いに想像させる内容となっており、この作品の新たなる扉の幕開けを感じつつ、「コードギアス」の世界に浸れたことは、何よりも尊く、谷口監督・脚本の大河内氏を始め、この作品に思いを込めた全ての関係スタッフの方々に、心の底から感謝したい気持ちになった。連休中、もう一度見に行く予定だ。

以下関連情報を貼っておきたいと思う。

家入レオさんの楽曲も今作の世界観にめちゃくちゃはまっていてとても良いと思う。個人的にはオープニングでなく、エンディングの方が絶対に合っていと思うし、最後あのラストで余韻に浸りながら聞きたかった。

以上、長文お読み頂きありがとうございました。

最高ルートは、自分が書き連ねた2シーズンをすべて見てからの劇場版鑑賞をオススメするが、決して見ていない人でも間違いなく楽しめる劇場版になっている。

そして、既にアニメを見ていて、劇場版を見たいと思っている方々は、躊躇せず、見に行ってほしい。(それこそ、ギアスがかかったと思って)

完。

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