見出し画像

アカデミー賞作品賞「グリーンブック」に見るプロット・デベロップメント

本作公開週末の土曜に今年度アカデミー賞作品賞、助演男優賞、脚本賞の3冠に輝いた映画「グリーン・ブック」を見てきた。この作品、ラストが本当に幸せな気持ちになる感動を呼ぶのだが、そこに至るまでのストーリーの発展のさせ方(実話を元にしたと言えど)がとてつもなく上手だなあとめっちゃ感じたのだ。

自分は脚本を書いた経験など無いのだが、近年やはり「ストーリーを自ら生み出せるというスキル・能力の価値は高まっている様な気がしていて、そうしたことにも興味を持つ中付け焼刃的に読んだ書籍で得たうろ覚え知識を参考にしながら、この作品のどこがそんなに良かったのか、構造を踏まえつつ振り返ってみたいと思う。あらすじ、キャストなどは他の数多ある解説に譲るとする。
※ちなみに拝読したのは「結婚できない男」の尾崎将也さん著の「3年でプロになる脚本術」と、「SAVE THE CATの法則 本当に売れる脚本術」の2冊。

以下、がっつりネタバレしてるので事前情報なしで鑑賞したい方はご注意下さい。

■この映画の見事なポイント
人の数だけ感じ方があるとは思うのだが、個人的には以下の3点に本作の素晴らしさは集約される様に思った。(②と③は意味合い的には近いのだが)

①これまでの人種差別を題材にした映画に無い「白人と黒人の主従逆転」の設定

②ラストの感動に持っていくお手本のような起承転結

③多様なシーンを盛り込んだ飽きさせない場面展開

一つずつ見ていきたい。

①これまでの人種差別を題材にした映画に無い「白人と黒人の主従逆転」の設定

まず大前提ではあるが、この映画のテーマは個人的には「差別」というよりも、「勇気」だったり「(ポジティブな)変化」「新しいもの、自分と違うものを受け入れ変わることの意義」みたいな所なのだと思う。

とはいえ、表面的にはこのテーマを語る上で、黒人と白人の人種間の問題を切り取っているのは確か。その点でまずこれまでの作品と本作が一味違うなと思ったのは(あくまで自分が見てきた映画で思いつく作品の中ではだが)、白人と黒人の人種間の対立構造をテーマにしながらも、黒人が白人を雇うという主従逆転の設定が新しく感じられた所だ。この作品自体は、実在の人物の関係性を基にした話ではあるが、同様のテーマを扱う通常の人種間対立の作品では、社会の体制側の白人に対して抑圧される黒人達が立ち向かうという対立構造を見ることがほとんどだった。1960年代というそうした差別が社会の仕組みとして成立していた時代に、そうした逆転の関係性が成立していたという所に、ストーリーとしてまず見るものに興味を持たせる力があると思う。もちろんトランプ政権下、政治的な人種の分断がより一層危惧されていることも今回の受賞に少なからず影響はしているとは思うが、そうした背景もありつつも、事実が基とはいえ、結果としてこれまであまり描かれていないが故のこの企画の持つ斬新さに、制作陣(プロデューサーである本作の主人公トニー・リップのご子息ニック・ヴァレロンガや監督のピーター・ファレリー)は人々を足止めする力を感じたのではないのだろうか、と思った次第だ。

②ラストの感動へ持っていくお手本のような起承転結構造

物語を語る上ではよく「起承転結」という言葉が登場する。言うまでもなくこれはストーリーの流れ、構造を表す言葉だと言えるのではと思う。思い返せば自分が初めてこの言葉を習ったのは確か高校時代の国語の授業だった気がする。ざくっとした概念(それぞれの役割)はおそらくこんな感じだろうか。

■起
・物語のテーマ(問い)の提示。
・人物の背景やキャラクター(特徴)の説明
■承
・ストーリーの発展。様々なアクションが起こることで物語が発展する
■転
・ストーリーの転換。「大ピンチ」などはわかりやすいだろうか。
(ピンチに限らずで言うとストーリー展開の角度が変わるシーンと言えばよいだろうか)
■結
・結末。オチ。要は「起」のテーマ(問い)に対する答えの提示


と言った感じか。

他の数多ある作品もこの展開は踏襲しているのだろうけど、なぜか本作はこの構造をほんと王道的にわかりやすく踏襲していた様に感じた。(ので解剖しているわけだが)イメージでは以下。

■起:南部への旅立ち(=N.Y.を旅立つまで)
ニックとはどんな人物か、シャーリーはどんな人物か、の大まかな説明。二人が出会い、旅に出るまで、が描かれ物語が動き出す。

■承:旅路の前半
車中やランチ、宿泊先での二人の関係性の描写。(全体的に大きなトラブルというトラブルはなく、トンマナも明るい)

■転:旅路の後半
理不尽なまでの黒人への不当な差別の数々が露見する。1つの大ピンチを描くというより、こうした差別が様々な角度から描かれていた所がこの問題の根深さを炙り出していた印象。

■結:N.Y.への帰路とクリスマスイブ
③で詳述するが、二人が固い絆で結ばれたことを物語ったN.Y.への帰路と、勇気をもって一歩を踏み出したドクへの最高のプレゼントが見る者に最高の笑顔をもたらすラストシーン。

という感じだろうか。③ではこの構造を更に細かく分解してみようと思う。

③多様な視点が盛り込まれる全く飽きさせない場面展開

②の展開が見事な所はこの③があってこそ成立しているからかもしれない。この作品のすごい所は、ロードムービーという旅をしながら様々なイベントが起こるジャンル映画であり、似たような風景が登場してしまいやすく極めて単調な印象に陥りやすいジャンル(イメージだが)でありながら、非常にこまめに場面が展開されていくために、決して飽きることなく、スクリーンから目が話せない状態が続くのである。

特に物語の大部分を占める南部(Deep South)への旅路のシーンは
①道中の運転シーン(翡翠色のキャデラック車中での二人のやり取り)
②道中の非運転シーン(休憩したり、警察に止められたり)
③ドクのコンサート会場でのシーン
④宿泊エリア(コンサート会場以外の街や宿)のシーン

と、大別するとパターンはこのくらいしかない様に思われる。

ただし、この限られたパターンの中でも、様々に場面が展開するのである。
順不同で考えてもざくっとこんな感じだ。

①道中の運転シーン
I. 出発直後の社内のやり取り。ニックの言葉遣いや吸うタバコへの嫌悪。無用な会話も拒むドク。
II. 運転途中で小便をするために、立ち止まり社外へ出るニック。ドクのほうが自分よりもっぱら高給取りであると理解しながらも、財布をわざわざ車内に取りに戻る。黒人はそういうものだ、という差別意識が露見される
III. ラジオから流れてきた黒人ミュージックについてニックがドクに教える
IV. ケンタッキー州にて購入したフライドチキンを二人で頬張る(このシーンがほんとにマジ最高)
V. 警察から開放されるも車内の会話が口論に発展。黒人社会にも白人社会
にも居場所を見いだせない孤独を打ち明けるドク
VI. 疲労困憊のニックに変わりハンドルを握りN.Y.を目指すドク。

②道中の非運転シーン
I. ニックが地面に落ちていた翡翠色のストーンを店のかごに戻さずくすね、ドクの演奏仲間(=トリオ)メンバーがドクにちくり、ニックを諭す(→ニックは激高)
II. N.Y.を旅立つ際に手紙を書くように言われていていたニックが、立ち寄るお店や休憩所で手紙を書き、ドクがウィットに富む語彙で助ける
III. 道中車がガス欠に。ガスを補充するニックをよそに、周りの農場で働く
貧しい黒人達の視線を一斉に浴びるドク 
IV. 雨の中、警官に止められ、職質でニックが警官を殴ってしまう

③ドクのコンサート会場でのシーン
I. ドクの演奏中に周りの黒人ドライバー達とギャンブルに興じるニック
II. 初めてドクの演奏を直に聞くニック。素直に感動しドクの才能を認める
III.とある会場でスタインウェイのピアノが準備されておらず、守る気がない地元の業者にニックが正拳をお見舞いする(金のためなら職務をまっとう)
IV.  ピアニストとしてはもてなされるが、林の中のトイレを使用する様不当な扱いをドクが受ける
V. 演奏会の前に、ニックが正式に来賓に紹介される演奏前のパーティー
VI. 演奏前の控室では物置小屋に通され、演奏を控えるVIPゲストにも関わらずレストランでは入店を拒まれる不当な扱いを受ける

④コンサート会場以外の非ドライブシーン(宿、バー、など)
I. お店?ホテルでの食事をしながらの会話のシーン。料理に対するニックのコメントにドクがツッコミを入れる
II.トリオのメンバーが白人女性と仲良く話すのを、カティサークを一人孤独に飲むドクを見つめるニック
III. 黒人専用のモーテルで一人孤独に酒を飲むドク。周りの黒人達に絡まれるも拒否。
IV. ドクが一人で飲むバーで白人連中にボコられ、ニックが救出する 
V. スーツ店でドクがスーツの試着を拒否される
VI. 白人男性と一緒にいた為だけに刑務所(YMCAだったかも)に勾留される
VII.  職質後、刑務所に勾留される二人。「尊厳こそが勝利する」とドクがスタンスを表明(ドクがケネディー司法長官へ電話することで開放される)
VIII. レストランでの演奏拒否後、ローカルの安バーで2つのカティサークを注文し、ドクが演奏を披露。他の黒人プレイヤーとのセッションを楽しむ

今回の旅路は1地点から1地点へ移動するために、移動→コンサート会場→宿→移動、というのが大まかな流れにはなるが、時間帯、スポット、登場人物、人物間でのやり取り(会話や、キャラクターの変化)、映像の見せ方の変化、がどれも一様でなく、結果として、連続的な変化の積み上げが、最終的なお互いのキャラクターの変化へとつながっていて、まったくもって飽きないのである。例えばで言えば、コンサート会場の邸宅の色合いや会場内のシーンの描き分け、何度か登場するドクのピアノ演奏のシーンについても、いずれも撮り方がかぶらない様になっていたりと非常に注意深く計算されている様に感じた。

このあと最後に、上記のそれぞれのシークエンスを映画の流れに置き換えてまとめておきたいと思う。(書き上げられずなので別途加筆)

とにかくちょおおいい映画なのでたくさんの人に見てほしい!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?