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「本質」とはなんぞや  〜やっと腑に落ちる表現を悟った気がしたので記録しておく〜

「本質とは、一体なんだと思いますか?」と問われてあなたはどの様に答えますか?

ふと振り返れば、社会人になったばかりの頃、会社の導入研修やチームで取り組む演習などの議論でよく「本質」という言葉が頻出してきたことを思い出した。そしてその度に、「本質ってなんやねん一体・・」とよく参っていたことを思い出した。

自分は全くもって自身のことを頭が良いと思わないし、それこそわかりにくいことはまじで心底嫌いなので、この「本質」という、使うだけでなんか頭が良さそうに聞こえるワードが大変に好きではなかった。なんとなくの意味合いとして、対象となる事象において「最も大切なこと」「欠けてはならないこと」などという、大変平たい言葉に置き換えて考えてしまえば生きていく上では特段問題になるようなことはないと思う。

実際、ググってみて真っ先に出てくる意味は「そのものとして欠くことができない、最も大事な根本の性質・要素。」である。この言葉自体も表面的には理解できるのだが、それを自由自在に使いこなせるような踏み込んだ理解がずっとこれまでできていないような気がしていて、どことなくもやもやした感覚が常に付きまとっていた

なんとなくではあるが、この「本質」という言葉を本当に理解して使われている賢い方々がいらっしゃるケースと、とりあえず無作為に感覚で使ってしまっているケースが有るような気がしていて、後者のケースはあまりよろしくないように勝手に感じている。この言葉自体が抽象度が破壊的に高く、チームや個人の理解を必ずしも担保している訳ではないということが往々にしてあるのではないかと思うからである。(自分はそもそも理解が深くないので、基本一切使わないスタンスである 笑)まあ実態がどうなのかは知らないが。

と、これまで仕事を通じ、様々なプロジェクトに関わってきた中で、この「本質」という言葉そのものについて深く煮詰めるように考える機会も正直そんな多くなかったのだが(それもある意味問題なのかもとも思うが、必ずしもその言葉を使わずとも、結果的にそうしたエッセンスに出くわし・対処するといった機会はあったかもしれない)、改めてそう考える機会につい先日出くわした。

発表から既に一ヶ月程が経っているのだが、先日、ソフトバンクグループ会長の孫さんの第三四半期の決算発表動画をyoutubeで拝見した

中身としては、単なる決算発表というよりかは、ソフトバンクのビジネスを理解する上での株主価値や、ビジョンファンドが掲げる戦略などについて、孫さん自らが一時間以上もプレゼンをするというものである。(こんな動画がただで見られるってほんとありがたい時代だ・・・)

ソフトバンクのこの手の発表は以前から気にはしていたが、こうした発表を丸っと記事などでなく、動画としてすべて拝見するのは初めてだったのだが、もう、あまりの1つ1つの説明のシンプルさに驚嘆してしまった。例えばだが、ソフトバンク・ビジョンファンドが完全に数多のユニコーンはじめ対象とする各社の完全持株会社となったという下りの説明や、その価値を説明する際に、余計なものを一旦省き極力シンプルに説明する下り(例えばだが、企業の持つ設備投資等は理解を複雑化するのでシンプルに有価証券=株の価値でのみ勘案するという説明)などである。
※ソフトバンクグループの決算内容自体の議論は主題でないので割愛する。

単純にプレゼンのお手本としても、冒頭の問いの提示(つかみ)、非常に聞きやすいスピードでの説明、緩急(強調するところはビシッとする)、相手の気持ちの代弁、などなど、色々な所がほんとうに素晴らしいなあ、と思って聞き入ってしまった。

そしてここ数日、孫さんの無駄を排したとにかくシンプルに理路整然と話す様と内容を反芻していた中で、なるほどこういうことが「本質的」ということなのか、という感覚が自然と浮かび上がってきたのだ。「本質」とは「必要最小限で、最大の効果を発揮する要素や概念」なのではないかなと、やっと自分なりに腑に落ちた表現が見つかった気がしたのだ。おそらく解釈は人それぞれだとは思う。かつ改めて考えれば、まあそうだろ、そんなのなんとなくそんな感じでいたかもな、という気もするのだが、個人的な表現として腑に落ち感が非常にある感じがする。

例えばで言えば「インターネットがもたらしたインパクトは何だったのか」という問に対して、孫さんは「ネットが変えたものは広告市場とECであるとずばりと言い切ってしまう。当然ながら、インパクトを与えられた市場はそれ以外にも無数に存在するはずである。とはいえそうしたマイナーな対象については、言葉を借りれば「誤差」だと言い切り、最も肝要な所だけを抽出してしまうのである。思考を何百、何千回と巡らしているからこそ、そこにたどり着いたのか、はたまたそうした解に無駄なく到達できるのかはわからないが。イメージで言えば、刀匠が刀を研ぎ、表面の無駄なものが削ぎ落とされて残ったモノ(=一番切れ味良い状態)こそが、「本質」のイメージと言えるかもしれない。

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この「誤差」に目をつむれる力、言い換えればすなわち「肝要を抑える力」こそが「本質」を抑える力と言えるのだろうし、そうした要素をおそらく瞬時に切り取れるからこそ、様々なユニコーン企業への投資においても将来性(=ビジョン)を違わず見抜けたのではないのだろうか、と想像した次第である。

若干脱線するが、この話は、「シンプルに物事を捉える」ことにも限りなくリンクする話だと思うが、以前結構前にTwitter経由で読んだ「シンプルであることの大切さ」をこれでもか、と思い知らせてくれる投稿も最後に載せておきたいと思う。こちらも大変勉強になった。

と、こんだけ「本質」という言葉について自分なりに理解し、今後多様する様な雰囲気で書いてしまったが、大事なことは別にこの言葉を特段用いずとも、様々な事象において、それを把握・理解し、言い得ることだと思うので、言葉として必ずしも使う必要はないという前提で、精進し、生きていきたいと思う。

以上。

追記:ふと思い出したが、この話はとあるコピーライターの方がコピーを書く際に話されていた「コピーは針を刺すイメージだ」という所にも通じると思った。針の先端は面積が小さい分、大きな圧力がかかる訳でそれゆえ効果も大きい。本質的な課題解決とはすなわち、必要最小限の力で最大限の効果を発揮する(とある要素を解決すれば、そこがてことなり自然と様々な課題を解決することにつながるものであるべきなのだろう)ものであるべきなのだろう。

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