愛がなんだ

映画「愛がなんだ」鑑賞。愛やら好きやらの行く末にざわつかされる邦画快作。

観終わってまず、これが邦画の面白さか、、と思い知らされた。

正直何から書き出せば良いのやら。
評判を聞き先週末見に行ってきたが、
色々なことを考えさせられて容易にレビューすることができなかった。なんだろうこの消化不良感。
(とはいえこの感情は吐き出しておきたいので、とりとめなく、とりあえず思いつくことから書いてみることにする)

■あらすじ・キャスト
こちらのサイトより。

主演に岸井さん、共演に成田凌、深川麻衣、若葉竜也、江口のりこなど多彩な俳優を迎え、直木賞作家・角田光代の原作小説を新世代の恋愛映画の旗手と呼ばれる今泉監督が映画化した本作。昨年の第31回東京国際映画祭・コンペティション部門に、日本映画として『半世界』とともに出品されたことも話題となった。
28歳のOL・テルコ(岸井さん)は一目ぼれしたマモル(成田さん)に超絶なまでの片思いをしており、ひとたび電話がくればニヤニヤを隠しながら彼のもとに駆けつけ、朝まで飲みに付き合い、そのまま体を重ねる。自分のすべてをマモルに捧げるあまり、親友・葉子(深川さん)からは冷たい目で見られ、仕事も失う。その葉子は年下男子のナカハラ(若葉さん)を振り回す日々。さらにマモルは、個性的な年上の女性・すみれ(江口さん)に実らぬ思いを募らせている。

ちなみに確かに女性比率が高かった様に思うけども、
男性の自分でも、ものすごく面白いと感じたし、
共感できること、できないこと綯交ぜで楽しめたことは強調しておきたい。

まずあの本編全体を通じて揺蕩う空気感。
登場人物たちの距離感、に等しいだろうか。
どことなくはっきりとしない、白でも黒でもない、
かといってそれぞれに主張のある間

てることマモちゃん、
ナカハラくんと葉子、
マモちゃんとすみれさん、
それぞれの関係性。

パンフに書かれていた今泉監督の言葉を借りると、
海外コンペに出そうとしたのだが、英語だとLikeかLoveといった表現になってしまうのだが、そのどれでもない
と語られていた様に、単純に「好き」という言葉では
言い得ることができない数多の感情が錯綜する感じの映画
だった。

あの空気感を作り出せるって(それは監督も脚本も、
はたまた原作も演出も含めなきがするけど)すごいなと思う。
逆に言えば、ああした「言葉にならない間や空気感」が
感覚的にすっと入ってくる感覚こそが国民性というか、
同じ日本人ならでは
なのかなとも思い、
表面的なビジュアルや視覚的な美しさ、
などよりももっと複雑で模倣することが難しいからこそ、
こうした映画の妙がわかるのが、
邦画作品を鑑賞する醍醐味
なのかなあと感じた。

以後、なんとなく作品の場面展開を思い出しつつ、
各フェイズに思いを馳せてみようと思う。

各人の関係性を矢印とかシンボルで表してみると
→ 好意あり
⤵ 好意あり、だが難あり
↔ 対立
みたいな感じでざっくりと以下のような
流れだったような気がしている。(一部うろ覚え)

※これ以降ネタバレ要素入ってくるので気にされる方はご注意を。

■①てるこ → まもちゃん
痛い、痛いのだが、どこか愛らしい。
なんだこのひたむきさは。もはや清々しいまでのレベル。
恋愛の盲目感ほど、罪に問えない罪はないよなと思わせつつも、
自分の過去をつい振り返ってしまう。
監督は「僕の映画は恋愛が順調でリア充な人たちには必要ない(笑)」と語っているのだが、そこを極めるってすごいなとw

■②てるこ →(←)まもちゃん
※まもちゃんからの←はないに等しいかも
居酒屋で朝まで飲んでからの自宅に呼ばれた時の
てるこの嬉々とした顔と動物園での会話が秀逸。

■②ナカハラ君 → 葉子
てるこの写し鏡となるナカハラ君。
おそらく本作で一番共感・応援したくなってしまうキャラなのだろう。。
がんばれ、、っと心の中でつぶやいてしまう、、

■③てるこ → まもちゃん → すみれさん
この映画のキーマンとも言えるすみれさん。
すみれさんがいなかったらもはやこの映画は成立しない。
江口のりこさんが超いい味出してる。

■④ナカハラ君 ⤵ 葉子
願った恋が成就しない時は、
誰だって勝手に自分が納得できる言い訳を作りたがるものだ。
それでいいのかナカハラ君、と問いながらも、
自分だったらと我に返る。
それはてるこも同じだ。
ナカハラ君への叱咤は、
そのままてるこ自身への激でもある
のだろう。

「幸せになりたいっすね〜」のナカハラ君の最後の一言が
ずしりとのしかかる深夜のコンビニ前。切ねえ。。。この後のてるこの「うるせぇばぁかっ」と唾を吐くナカハラ君の一連のやり取りがたまらない。

ちなみにここでは、
自分の感情を間接的に他者を通じて投影させる手法」みたいなものがつかわれてるきがしていて、それがとても効果的な感じがした。
このシーンもそうだし、軽井沢旅行のナカハラくんと
すみれさんの口論もまさにそう。すみれさんの指摘は
まるまるマモちゃんに跳ね返ってくる
感じ。
演出というより、脚本のストーリーがそうなってるのだろうな。こうした他者を通じた投影は、ボディーブローの様に、むしろ直接的な表現よりも、当事者の感情を掻き立てうる酔いに思う。

■⑤てるこ ↔ 葉子  
てるこの葉子への憤りがぶちまけられるシーン。
「寂しいって思ったことある?」というてるこの最後の問いが
象徴的だった。自分(たち)とあなたは違う。あなたのは愛じゃない、
って、必死になって自分を守ろうとしてる、ようにも見えた

■⑥てるこ (→) まもちゃん → すみれさん
まもちゃんの改めてのすみれさんへの気持ちの吐露と、
てることの決別への最大のカウンターとして、
「これでもか!」と言わんばかり絶妙な肩透かしからの
渾身のフックをマモちゃんにお見舞いするてるこ

まもちゃんと別れたくない、という感情が動機とはいえ、
その関係性を維持するために「お前のことは別に好きでもなんでもねーし」という、繰り出したら最早引くことはできないこのフックにぼくは涙が出そうになる様な感動と、それと同時に一縷の戦慄を覚えた(笑)

■⑦てるこ・・・・まもちゃん
※最早矢印では表現しようがないw
ナカハラ君と大晦日を過ごした夜にてるこがこぼした
「まもちゃんになりたい」という好きな人との同化欲求、
という最早恋愛感情を超越した発言が蘇った。
一歩間違えれば、ホラーすれすれなのだが、
僕はこれは最早哲学映画なのだと咀嚼した。
悟りの境地みたいな。

※パンフに書いてあったのだが、
映画のキービジュアルのコピーは
「でも私は彼の恋人じゃない」なのだが、
最後のてるこのナレーション、
どうしてだろう、いまだに私は田中マモルではない
っは最後の編集ギリギリで監督が入れ込んだアイディアのよう。
最早好きを超越し、行くところまでいったてるこ。
悲しみを通り越し、爽やかな後味さえ残していく

原作は読んだことはないけども、
「愛がなんだ」は、「愛」とは何かの解は明確に
提示してくれる訳ではないように思うのだが、
その感情が見え隠れする境界なき、不確かな境地を、
厭らしさ無く、憎めない愛らしさ一杯に、
描いている、
のではないだろうか。
ただ一方で、他のレビュアーさんが書かれていたが、明確に描いていないようでいて、
てるこの最後の決断とアクションは、
てるこにとっての絶対的な、唯一無二の愛の形なのかも、
ともとれなくもない
のかもしれないと思った。

それを成り立たせているのは、
主演の岸井ゆきのさん故
というところはやはりあると思う。
(成田凌のクズ男感というかだらしなさと適当な優しさの同居感もすごいけど)

原作者の角田光代さんが
「役者として持っているものがとても健全だと思うので、
あれくらいてるこという突き抜けた役を演じても説得力があるし、
かわいそうな子にならない。逆に「なんて強い子なんだろう!」って
思うんです。こんなに他者に自分を明け渡していても、
自分を失っていない様に見える強さ
」っておっしゃっており、
ほんとうにそうだな(特に最後、明け渡してるんだけど、強い所)
と思いました。さすがの表現だ。

本作の制作は主幹が名古屋テレビ(メ~テレ)みたいで、
改めて調べたらこれはテイストが似てるなーと思った
2年前の「勝手にふるえてろ」もおんなじだった。
あの作品も、完全にこじらせた男女の痛すぎる(でも愛らしい)
恋愛劇を描いていた
訳だが、一部時代に合った音楽を差し込んでくる
あたりの演出(前作はミュージカル風、本作はラップ)とか、
テーマといい、とても良い目の付け所だなあと感じた。
幻想を抱かせるリア充なスイーツ恋愛映画でなく、こうした多くの人の古傷を掻きむしる(笑)リアルな恋愛に共感する人も、世の中見渡せば一定層いる訳だし、
何より口にしたくなるのでSNSとの相性も良い気がする。

気がついたらそこそこ長くなってしまったが、、
いずれにしても、邦画の面白さを堪能できた快作だった。
たくさんの人に見てほしいものだ。

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