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#創作日誌5

7月11日
 朝、フェスティバルトーキョー2018の記者会見。初監督作品「Changes」をフェスティバルトーキョーで発表するのだ。会見は記者との質疑応答形式ではなくアーティストが各自持ち時間3分でプレゼンするという内容だった。こうした記者会見や取材の場に来てまで、作品のパブリシティもできないのならばそれはそれで問題だろうと、随分己にプレッシャーをかけた。うまくいったかはわからないが、終わりがけ関係者のみんながニコニコしてくれていたのでボタンをかけ間違えたわけではなかったのだろうと胸をなでおろした。
 その後ジョナサンデイトン監督の「バトル・オブ・ザ・セクシーズ」を観た。なんと言えばいいのだろう。いままでスタンスを明確にしたことはないが、おそらくどちらかといえば、僕はフェミニストだろう。というかフェミニストであるかないかという以前に、権威主義的な振る舞いをする男性がとてつもなく嫌いで、彼らを避けるように生きて来たがために、逃げついた寺がフェミニズムだったという具合だ。しかしながらフェミニズムの寺にさえ、権威主義的な振る舞いは間違いなく存在する。なぜならば男性的な権威に対抗しようと平等を謳う力もまた権威になりうるからである。なにせ僕自身、権威主義の抑圧から徹底して逃げ切ることを人生の命題としているので、この寺からしばし逃げ出すことも辞さない。したがって「どちらかといえば」とあくまで明記したうえでの僕はフェミニストになるわけなのだが、そんな曖昧なスタンスの僕自身をテニスボールに見立てて、価値観をあっちのコートからこっちのコートへと打ち返し跳ね返し揺さぶられるような、そういう映画ではなかった。「バトル・オブ・ザ・セクシーズ」が僕にとって退屈だったのは「作り手の中で答えが決まっていることを見せられている」ように感じたからだった。開始1分で「ああ最後にはこいつが勝つんでしょ」とわかってしまうヒーロー映画を見ているような感じがどうしても拭えなかった。そしてそれは実際にそうだったし、ヴィランであるはずのスティーブカレルはただの賑やかしに過ぎなかったのではと思えてしまうほど間抜けな存在として描かれてしまっている。たしかにフェミニストにとってスティーブカレルのような登場人物はマヌケに映るだろう。この映画は実話に基づいているから実際の人物が確かにそういうマヌケな人だったのかもしれない。でもそこにリスペクトはないのか。マヌケ愛みたいなものはないのか。見下し合戦みたいなことはもうやめにしないか。

7月16日
 渋谷で武田俊と打ち合わせ。とカレンダーには書いてあるが電話で済ませたように記憶している。武田俊は今作「#禁じられたた遊び」に編集というクレジットで関わってもらう。演劇作品にとって「編集」とはどういうことか。なにも映画のように溜まった演出をバラバラに切り貼りして再構築してもらおうというのではない。演劇における編集は文学における編集の役割に近い。作家が思い描くヴィジョンをどうやったら実現できるか、何をどのように調べればヴィジョンに近づけるか、作家に寄り添って少し外側の目線で作品をコントロールしていくのが編集だ(と僕は思っている)。乱暴な喩えをあえて持ち出すが、作家が犬とすればリードが編集である。じゃあリードを握る飼い主は誰かといえば変な話だが作家自身なのだ。作家がリードを必要としなければ、自分自身を放し飼いにすることすらできる。けれどもリードのない犬があっちいったりこっちいったり目的地に辿り着けなかったり場合によっては人に噛み付いて保健所送りになったりするのと同じように、編集的存在を持たない作家は獣道を進むしかない。現代は編集的存在が横にいないプロの作家というのは、ほとんどいないと思う。編集という名称さえ違えど、その役割は演劇の場合でいえばドラマトゥルクといわれたりするだろうし、ドラマトゥルクを持たない作家であろうと、パートナーや友人、あるいは俳優がその役割を担っていたりする。
 武田くんとはわりかし長い付き合いになる。彼は文字媒体の編集の経験も豊富だしなによりもクリエイターだ。お互いに立場や役職は違えど、根本のところで共通言語が多い。例えば少年野球をやっていたこととか、お酒が好きとか。彼からたくさんのことを教えてもらった。僕が彼に教えたのは「桃モッツァレラが美味い」ということぐらいだ。

7月17日
 渋谷ヒカリエで映画「Changes」の顔合わせ。ヒカリエは上の階に行けば行くほど渋谷という街の異常性をガラス越しに俯瞰できて好き。8階には川本喜八郎人形ギャラリーもある(しかしなぜヒカリエに?)。かつて川本氏の「死者の書」のDVDを観てやっと、折口信夫の「死者の書」のストーリーを理解することができたのを覚えている。

7月19日
 KAAT神奈川芸術劇場にて「不思議の国のアリス」のゲネプロを拝見。企画自体が親子で観れるとのことなので妻と娘の3人で。娘が劇場で舞台芸術を観たのは今作が初めてなはず。KAATは劇場の意志が宿る場所。
 全然関係のないところでとてつもなく嫌な思いをして、それのせいですべてを台無しにしかけた。

7月21日
 範宙の定例稽古。のちのラジオ収録。ゲストに埜本幸良。目で文章読んだり、耳で声を聴いたり、youtubeで映像見れたり、いよいよ劇場に観に来れたり、いわばすべてが伏線だし範宙遊泳というタイトルの物語だと考えている。
 その後、大田区京浜島BUCKLE COBOで行われた現代美術ヤミ市へ。カオス*ラウンジが主催したかくらかずきが参加しているというので埜本と一緒に。黒瀬陽平さんに挨拶。黒瀬さんに会うとどうしてかわからないのだがすごく照れてしまう自分がいる。なぜだかわからないが乙女の気分で接してしまっているのかもしれない。そしてなんだかわからないのだが、黒瀬さんは黒瀬さんで(おそらく僕とは別の理由で)なんだか照れているように感じる。お互いに照れ屋なのだということなのかもしれない。しかしこれは僕の勘違いかもしれない。そして黒瀬さんについてこんな思考を繰り返していること自体がなんだか少し乙女な、、もうこれ以上書くのはやめにしよう。

7月22日
 「#禁じられたた遊び」の顔合わせ。のちの懇親会。信頼関係は1日にしてならず。しかし崩れる時は一瞬。これから少しずつ、ゆっくりと、ちょっとやそっとのことでは崩れることのないものをつくっていく。ぞくぞくするよね。それって。

7月23日
 映画「Changes」撮影初日。とくに緊張することもなく、目指していたものに限りなく近い形で撮影ができた。実現力の高い座組でほんとに助かる。これから1年かけて撮っていく。今年のフェスティバルトーキョー2018でパート1を上映。来年パート2を上映。1年がけの映画だ。この日はむちゃくちゃ暑かった。来年の夏もそうなのだろうか。

7月26日
 夜、東京芸術劇場にてモダンスイマーズ「死ンデ、イル」を観劇。再演だそうだけど、僕は初見。観ながら今年書いた「N島アカリは大丈夫」のことを思い出した。「N島〜」の中で登場人物はいなくなった人に思いを巡らせたり、祈ったり、無力な己を恥じたりする。誰かのせい、といえば関係する全員のせいだし、かつ、誰のせいでもないはずなのだが、だからこそこの行き場のない怒りはどこへ向かえばいいのだ。大人は怒る者を子供だと言い切って目の色を失っていくが、子供はその鋭い瞳に炎を燃やし続ける。子供だ自分勝手だワガママだといわれようが、瞳の奥の炎だけは絶やすまい。
 「#禁じられたた遊び」に出演する野口卓磨さんが出演していた。が、用事があって挨拶できずに帰る。

7月28日
 山梨へリサーチ。武田俊とたかくらかずきと。石和温泉のとある宿舎に泊まってたらふく酒を飲み、喋り、寝た。こういう機会でもない限り、実家の傍にわざわざ宿を取ることなどないし、周辺を調べたりすることもないだろう。リサーチというのを口実に、知りたかったけどなかなか知れなかったこと、を知る旅ができたように思う。高校時代の同級生高野弘法さんとそのご家族に感謝。

7月29日
 ひきつづき山梨のリサーチ。双葉商事さんに感謝。昼飯をそこそこの味のカレー屋で食い、その後武田は離脱。たかくらと市川大門町(花火で有名なところ)を軽くリサーチ。日暮れそこそこの時間が来て解散。僕は実家へ。

7月30日
 ひきつづき山梨のリサーチ。この日の夕方に、飲み会嫌いの僕が珍しく行きたいと思える東京で行われる飲み会に(珍しく)誘われていて、そしてなんとしても行きたかったのだが、中央自動車道の渋滞に巻き込まれたり、娘の不機嫌なども相まって行けなくなってしまった。約束したことを守れなくて、とても落ち込んで、これを機に1週間近くネガティブな状態が続いていく、、、。

7月31日
 とは言っても撮影と打ち合わせがあるのだ。映画の。

8月2日
 表参道の交差点で黄色から赤に変わってしまう信号を渡ろうと、小走りになった。カメラをぶら下げていたのであまり揺さぶらないようにと変な走り方になってしまったのだろう、向かう側で信号を待つカップルがそんな僕を見て爆笑していて「あいつ走り方やべえよ」くらいのことを言っている。ものすごく腹が立ち、上記の通りとてもネガティブな状態が続いたのもあり不安定だったのだろうか思わず「おう見下せ見下せ!」と叫びながら走り去った。というのは嘘で、本当は心の中で「Fuck Offそうやってずっと人を見下してろ」と唱えていた。

8月3日
 心も体も疼くので皮膚科に行った。先生も優しかったし薬剤師の人も優しかった。

8月4日
 下北沢で諸用。そういえば昔、古書ビビビでよくVHSやらDVDやら本やらを買った。その帰りにディスクユニオンでCDを買って、なんなら王将で餃子を食ったりして、小田急線に乗って千歳船橋の自宅に着くまでずっとワクワクしていた。そんな20代前半があったなあと思うのであった。いまはもうほとんどAmazonで買ってしまうからな。まあそれはそれで別のワクワクがあるのだが。前者が着くワクワクであるならば、後者は待つワクワクだ。

8月5日
 ところでここまで、当然執筆もしているし銭湯にも行ってるしNetflixを見たり写真を撮ったり英語の勉強をしたりしているはずだし酒もけっこう飲んでるし、その他いろいろと、たとえば感動的な旨さのラーメンに出会ったりもしているのだが、カレンダーに書き込んでいないので零れ落ちてる。何かを書く、あるいは表出するということは、限定するということであり、現実の出来事を劇化する行為だ。ほんとうの現実はもっと書かれていないところにある。そのほんとうの現実を、ひとたび書いてしまったら、もうそれは劇化されるのだ。だからこそ沈黙したり、語らぬこと、ほんとうの現実を現実のままに、守り抜かねば。

8月6日
 朝、品川から新幹線で山口県の徳山駅へ。映画「Changes」の撮影。酒をたらふく飲み、そして、禁酒することにした。

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