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2022/04/04 香春神社

訪れる2日前かな、行こうとなったのは。

面白いのは、ナビ通りに進めず、相方は道を間違える。
たぶん"わざと"間違えさせられてる。

そのおかげで、3カ所ぐらい、池?沼?湖?を車の中から見ながら訪れることができた。
たぶん、そこにもいらっしゃるんでしょう。

延喜式神名帳に記載されている豊前国の神社は六座だが、その半分にあたる三座が香春神社にある。 (残りの三座はすべて宇佐神宮内)三座は、辛国息長大姫大目神社、忍骨神社、豊比咩神社で、もともと香春三山(一ノ岳・二ノ岳・三ノ岳)の山頂にあったとのこと。

和銅2年(709年)に山頂の三社を現在地に移設したのが、現在の香春神社。古来より宇佐神宮と共に豊前国を代表する大神社だった。 辛国息長大姫大目神社と忍骨神社に正一位の神階が与えられたのは、承和10年(843年)で、これは奈良の大神神社(859年)、石上神宮(868年)、大和神社(897年)が正一位になった年よりはるかに早いとのこと。

平安時代初期における香春神社の社格は非常に高く、現在豊前国の一宮は、一般的に宇佐神宮とされているが、古い資料の中には香春神社を一宮と記しているものもあるとのこと。
(以上、Wikipediaより)

前回同様、まず拝殿にて祝詞奉誦場所を確認しようとするも、すでに(あ、ここでしたほうが良いかも)と氣づく。

拝殿では、そのようにさせて頂きます、と御奉告と御玉串料を。

祝詞奉誦が必要な場所へ移動する。そして、想念で尋ねてみる。
(御神名はどうしましょうか)
《瀬織津姫で》

今年の節分から、祝詞奉誦する時は、自然と両手を拡げている。解放と全てを受け入れる感覚。

祝詞奉誦時は、真正面から太陽の光を浴びた。
奉誦が終わると、瀬織津姫が私の身体を使って泣き出す。うれし泣きだ。

体は泣いているのに、頭の中で、私は瀬織津姫に(もう大丈夫)と優しく励ましている。
なんとも不思議な感じだ。
一通り泣くと、スッと自分に戻る。

写真撮影すると光が入っていた。

この後、境内で別の所でも呼ばれ、祝詞奉誦し、ある御魂を解放した。

それについてはここには記さないけど、見た目ではわからない縛りをされているということがわかってきた。

解放は、色々な名前に変えられている瀬織津姫だけではないこともわかった。

なかなか不思議な展開になりつつも、やれることはやりたい。それが地球のため、しいては宇宙のためになるのならば。

神社を出発し、あるトンネルを通った時に、ナビでは大きな湖のようなものが表示されていて(ナビが古すぎる 笑)、相方が「昔、ここは池だか湖だったみたいだね」と言ったら、頭の中に《そうよ》と入ってきたので、相方に「そうだったんだって」と伝えたら、「え!笑」ってびっくりしていた。

たぶん、イスラだ。

いつもこうやってスッと頭に言葉をくれる。
物腰柔らかく、友だちのような感じ。
それぐらい私も軽くなり、受け入れられるようになった。

御神業が楽しい。ありがたいことだ。

#香春神社
#瀬織津姫
#天地和合
#天津祝詞と善言讃詞で解放と浄化
#たまにお連れすることになり自己浄霊で浄化させることもある
#縛りが強いんだろうな

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