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自分や身近な人の『死』について真剣に考える事で生きることが豊かになった

自分が生まれて子供を持つまでの30年間の間,
(29歳で第一子を出産です)
SUIは自分の “夢” を追う事だけを考えて、毎日の生活を送ってきた人間

社会の事とか福祉の事とか、人のため、誰かのために・・・な~んて、全く考えたことがなかった人間

子供の頃も、祖父母は若くフツウに元気で、近親者の“お葬式”というものに出た経験もないまま30歳までの人生を送っていた

唯一と言えば、高校1年生の時に阪神淡路大震災を経験し、学校休校や、ライフラインの停止で生活が大変だったり、救援物資の仕分けボランティア活動へも参加したけれど、子供の私にとって大人が受けていたほどの社会的な大変さはなかったように思う

そんなSUIが、子供を産んでから10年の間に

●自分のこどもの障害
●自分のこどもの障害を通して、多くの障害児とその子育てママと出会う経験
●自分の弟の、急な脳出血から重度障害者へ
●親しいママ友達の子の、急性白血病からの完治までの間、その兄弟児を預かり、その家族を見守る経験
●若いママ友達の、旦那さんの重病発覚からの死
●こどもの同級生の、急な不慮の事故死

・・・・という経験があり、SUIの人生観はぐっと変わった

「人生は、本当に今日終わるかもしれない」

映画やニュースでで目にするような急な不幸ごとは、自分や自分の身近な人に起こるかも知れない

ってことを、子供を持つ前の私は他人事としか考えられなかったけれど、今は肌感覚で意識するようになった

「今日、死ぬかもしれない。」
「私が死ななくても、大切な人が死ぬかもしれない」
「これで会えなくなるかもしれない」

「当たり前に、五体満足で普通に健康で生きていられること自体が、ものすごくありがたくて幸せなんだ」

この考え方がSUIの中の根底に根付いた

「未来のことも大事だけれど、今も大事だよ」

子育てをしていると、“子供が将来困らないように…”って、子供が小さいころから英語や公文など習い事をさせる家庭が多くて驚いた

それだけじゃなく、“子供にどんな才能があるか分からないし、特技が見つかればよいから”と、スイミングにピアノにダンスなど、様々な習い事を子供に受けさせて、親の思いを子供に託している家庭も多くて驚いた

子供が楽しく通っているのなら問題ないと思っているけれど
子供が本来子供らしく遊んだり、無邪気に過ごす時間を奪う行動に見えるときがある

人生100年と言われているのに。
大人の人生の方が圧倒的に長いのに。
たった10年しかない子供時代には、その時にしかできないコトや、本人がやりたいことをさせたいってSUIは考えている

貴重な子供時代に、親のエゴであれもさせなきゃ、これもさせなきゃって時間を使って、子供に万が一の事があった時、絶対に
「もっと本人が好きなことをさせてあげればよかった」
って親は後悔するんだよ

未来も大事。
でも、今も大事。
どちらも大事だから、折り合いをつけて子供と関わるように考え方を変えた

SUIの子供は中度の知的障害があるから、どうしたって、普通の人のようにできないコトがある
だから、勉強を一生懸命しなくたって人生楽しく生きる道があるという考え方で子育てをしているし、時代は答えのある勉強に意味がなくなっている

「人生には、遅かれ早かれ終わりがあることが当たり前」

健康が当たり前で大人になった人は(私も含めて)、若い子供が今日死ぬかも。なんて考える事はないでしょ

若い自分が、今日死ぬなんて考える事はないでしょ

順番から云うと、祖父母➡親➡子 だと思い込んでるでしょ

でも必ずしもそうではないって、あらかじめ覚悟をしていると、誰に対しても優しくなれるし、今大事なことと、未来のために大事なことを判断して決められるよ

いつ死んでも後悔はない。そのためには何をすれば自分は後悔はない?
って考えると、人生が豊かになったよ

「さよーなら、SUIでした」


「救い」


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