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【書評】『とんがって平気』 加賀まりこ


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「還暦記念」のこの著書を読んでいるうちに、俺が加賀まりこさんを初めて見た目を思い出した──。

 それは、もう20年近く前のこと、TBS緑山スタジオの『風雲!たけし城』の楽屋に加賀さんが椅子に一人腰掛け、殿(ビートたけし)が仕事を終わるのを待っていらっしゃった。加賀さんの持つ、その凛とした気高さ、その艶やかな停まいに19歳の時に見た、加賀まりこ主演映画の『泥の川』を脳裏に思い浮かべていた。

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 当時、殿が「俺よー、今、あの加賀まりこに口説かれちゃって大変なんだよぉ。しかも今日はデートだぜぇ!」と自慢気に俺たちに語っていた。
 昭和22年生まれの殿の世代の男性にとって加賀まりこが、どれほど時代の最先端であり憧れの女性像であったか、その彼女にデートに誘われることが、どれほど男として誇らしい気分になるのか、この本を読んで、殿の得意気な顔を得心できたのである。

  加賀まりこの「とんがり人生」は、少女の時から突出する。
  神田生まれの〝都合っ子〟で、神保町の古本屋に通い詰め小学校のときから澁澤龍彦訳の『マルキ・ド・サド選集』を愛読し、映画で見たヘップバーンの髪型にするため一人で美容院に行くような早熟ぶり。
 そして10代で〝真夜中の教室〟と呼ぶ飯倉の「キャンティ」に出入りを始める。

 なにしろ、当時の加賀さんの周囲には、
「『キャンティ』のすぐそばには雑誌『anan』の仕事で仲良くなった立木義浩夫妻のお宅があって。そのサロンのような立木家に『話の特集』の矢崎泰久さん、小さいころから見知ってた和田誠っチャンや仕事仲間が出入りし……。矢崎さんたちと銀座のバー『まり花』や、吉行淳之介さんがよく麻雀をしてらした文壇御用達の旅館・赤坂の『乃なみ』に行けば、阿川弘之さんや近藤啓太郎さん、それに芦田伸介さんもいらした。時には黒鉄ヒロシさんや小沢昭一さんも顔を見せ、私は〝言行さん人脈〝と〝話の特集人脈〟を行き来しながら麻雀のメンバーに加えてもらったりしていたんである」というマセすぎた交友ぶりなのである。

  当時からマスコミには「六本木族」「小悪魔」と名づけられ、黛敏郎、丹下健三などの文化サロンのやり取りを眺める生活を送る。
  もともと女優になったのも父親は映画会社のプロデューサーであったが、そのコネに頼ったわけではなく、17歳の時に寺山修司と篠田正浩に偶然、路上でスカウトされてデビューすることになったのだから、当然、こまっしゃくれていた。
   撮影現場でもスタッフを待たせる新珠三千代に「アンタ、何様のつもりなのっ!? こんな寒空にみんなを待たせておいて!」と、その生意気さを発揮。
  20歳、売れっ子アイドルであったにもかかわらず「もう女優業とはおさらばしたい」と半年先までのスケジュールをキャンセルしてパリに渡る。
  20歳の女の子には大金過ぎる、今まで稼いだあぶく銭を散財する決意で一人暮らしを始め、毛皮を買い漁る豪遊の傍ら、サンローランやトリュフォー、ゴダールやサガンと交友を重ねる。
  一文無しになって帰国してから劇団四季の舞台で主役を演じ女優に開眼、その後、川端康成原作の映画で主役を演ずることになり、川端康成と会食をすることとなる。そのときのことを振り返り、
 「2度目の朝食の時、『そのスカート、もうちょっとあげてごらん』と先生が言った。一歩間違えりゃセクハラ行為よね。(略)私は味わったことのない感覚の中で、『ああ、この空気、なんとなく好きだあ』私は、その時〝とっても清澄なる官能〟とでもいったものを味わっていた」と書いている。

  10代、20代で、これほどまでの体験を持つ加賀まりこ──。

  その存在は、本のなかで友人に評されている言葉を借りれば、「〝都会的〟なんてひとことじゃ括れない、すごくトッポくてカッコよくてキラキラし不良性を持ってる女の子だったよねえ」
「あのフツーじゃなさ加減、際立ってたよ。大衆に支持される〝よき少女〟というより、その対極にある〝精神の不良性〟みたいなものを体現してた」
 つまり、時代のミューズ(女神)であったのだ。
  当然、私生活も奔放、御自分では「男なんて選り取り見取り、もてるように見られて、その実、一番もてないのが女優だと私は思ってる」だとか「私のように惚れて追いかけるタイプにとって、女優という職業は障壁だらけだった」と言いながらも、当然、その恋多き人生も半端じゃない。

 14歳の頃の追っかけだった、ドラマーの田辺昭知と、その7年後に恋に落ちたり、大物俳優、大物歌手との恋や、夫の愛人騒ぎが頻発する結婚生活と離婚を経験、さらに世間を賑わす大事件が勃発。
 「『シングルマザー』という言葉もなかった時代、世間のバッシングの凄まじさは私の覚悟の域を遥かに超えていた。〝未婚の母〟になるという、それだけで罪人のごとく取り沙汰され、反社会的行為のように書き立てられる。でも私自身に罪の意識はかけらもなかった」
 という人生の選択も、出産7時間後に子供が死産に至る。
「産後4日日に『加賀まりこ〝勇気ある出産〟の悲しい結末』と報じられた記事を手渡された。私はそれを読んで、病室にあった電話機を力任せに床に投げつけ、一人で声を放って泣いた。悔しかった。でも死んじゃったものはもう取り返せない。ただ、母親が縫ってくれていた白いちっちゃな産着が……やっぱりコタえた」

 江戸っ子で他人に弱みを見せず、泣き言を言わない彼女の生き方のなかで、この経験だけは、「人生には、どんなに頑張ってもどうにもならないことがある。私にとって初めての挫折だったのかもしれない」と振り返る。

 この人生遍歴は並みのドラマではない。
 その後も、50歳のときの26歳年下の俳優志願の付き人との恋愛遍歴もまるで包み隠さない。
 しかも、子供を欲しがった彼に「だからこそ、私はこの恋に刻限を決めなければと思った」とスパッと自ら別れる。
 そして「私の信条はね、一分一秒、過去のこと」と言い切る潔さ。
 27歳の時に撮影した、当時としては革新的なヘアヌード写真集を、今、眺めて、
 「若き日の自分の写真って敵手(ライバル)だよね」なんて咳呵も一々素晴らしい。
 「横っ跳びしてでも捕まえたいよな」、若々しくビビッドな言葉の数々で語られる、この文章の端々に「コンサバな生き方はバカを作ると思ってた」という本音と自分に対して恥ずかしい「野暮」はしない、女の「粋」な生き方が滲み出ている。

 最近は女性誌でも「男前女」の特集が組まれるが「好き嫌いを貫いて生きている」「求めすぎない幸せ」を知る「神田生まれで喧嘩っ早い」加賀まりこは、男前の上に、江戸前、まさに女のハードボイルドというべき存在なのである。

 最初に話を戻せば、その日、殿と加賀まりこさんのデートは、カラオケ大会と化し、殿に随行したガダルカナル・タカさんが泥酔し、あの加賀さんの頭にチンチンを乗せ「チョンマゲ!」とのギャグをかましたところ、事も無げに、「可愛いわねぇ」と言われたとのこと。
 そして、一晩中、ゴージャスなる大宴会は続いたが……この恋が実を結ぶことはなかったそうだ。
 いやはや、殿が〝とんがって本気〟にならなくて良かった。

        (日経エンターテイメント 2004年6月号より)

現在は、本書は改題し、講談社文庫へ。

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        (講談社文庫 2008/8/12)

その後の話

  その後の加賀まりこさんは、女性誌に、55歳のTBS社員と〝事実婚〟を報じられ、「5年越しにアプローチしてやっと振り向いてくれた男性、これが最後の恋だと思ってる」とコメント、今なお、衰えぬ現役の〝とんがって本気〟ぶりを世間に見せつけた。


『藝人春秋Diary』へ続く。

https://note.com/suidou_hakase/n/nc57be64e7fa4

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