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36 蛭子能収・私はバスにのりたい

 先週、先々週と「太川陽介の妻、路線バス不倫」を元ネタにして、本連載は辿るべき轍を外れ、たけし軍団結成秘話へ寄り道した。 
 そもそも文春砲こと〝不倫摘発雑誌〟のスクープはテレビ東京『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』に準えた記事だった。
 そして、ボクが週刊誌ながら月を跨ぎ、月旦評として今回乗り継ぐのは「バス」ではなく、蛭子能収という「因果鉄道」だ。

 件の不倫報道に際して、誰もが聞きたいと思い浮かべたのは、当事者たちの謝罪よりも番組の共演者であり、日本一空気を読まない男のゲスなコメントではないだろうか。
 蛭子語録としてよく知られるものに「浮気をする人の気持ちが全くわかりません。性欲にお金をかけるくらいなら、俺は競艇やパチンコにつぎ込みます。風俗にお金を払って行く人も理解できません。だって、家に帰ればタダでできるんですよ」という一節があるが、蛭子ほど不倫から程遠い一穴主義者にして、共演者にすら手厳しい他罰主義者はいない。
 もしコメントを求められていたら、今回の一件に関しても容赦なく〝鉈〟でぶった切ったことであろう。

 ボクは思春期に、漫画界のヘタウマブームと共にデビューした蛭子能収の処女作『地獄に堕ちた教師ども』(1981年)と二作目『私はバカになりたい』(1982年)に大きな衝撃を受けた口だ。
 日常の暴力をテーマにシュールな切り口で新感覚を生み出す恐るべき四コマ漫画家だと、本人を知るまでは誤解していた。

 90年代に日本テレビ『スーパージョッキー』で共演者になって以来、実態を知れば知るほど、シュールな作風も単にストーリーを作る構成力がないだけであることがわかった。
 しかし、本人を目の前に、むしろ強い興味を抱き、蛭子族の生態を長年、定点観察を重ね、その後、テレビ朝日『虎の門』でも2001年から長く生放送のレギュラーを共にした。
 結果、近年の蛭子能収の不可思議をテレビで取り上げる番組には、ほぼ必ず専門家として呼ばれ、むしろ、自分が蛭子に寄生する芸人とすら思えるほどだった。

 2014年にTBS『水曜日のダウンタウン』で「蛭子能収を超えるクズ、そうそういない説」、フジ『時旅エレベーター』では「蛭子能収の66年間を掘り尽くす!」、2017年はAbemaTV『復活!虎の門』の「アニマル浜口VS蛭子能収」などに出演を果たした。
 拙著でも1999年出版の対談集『みんな悩んで大きくなった!』で、蛭子研究家の嚆矢、無冠の特殊漫画家の〝因果鉄道の父〟根本敬と共に「蛭子能収の呪いとは何か?」を深く論じている。

 蛭子能収──。
 1947年、長崎県出身。高校卒業後、看板店、ちりがみ交換、ダスキンの営業職などを経て、33歳の時、『ガロ』で漫画家デビュー。
 劇団「東京乾電池」のポスターを手掛けたことをきっかけにテレビ出演を果たすと、マイペースで特異なキャラクターがお茶の間で受けタレントや役者としても活躍。
 大のギャンブル好きで1998年には麻雀賭博の現行犯で逮捕されたが、その後も特に懲りた様子はない。
 テレビ東京の路線バス番組で高視聴率を連発し、完全復活。
 近年、出版界でもその飄々とした生き方が注目され、金言集や人生訓が次々とベストセラーになっている。

 2016年10月1日──。
 ボクは千駄ヶ谷の東京体育館で開催された「いとうせいこうフェス」に漫談家として出演した。
 音楽とお笑いの融合をテーマにした二日間に渡る巨大フェスだった。
 ボクら、お笑い組の楽屋は体育館のドンツキにあり、ドアの張り紙を見て、蛭子能収、勝俣州和、ユースケ・サンタマリアと同室と知った。
 ボクが一番乗りだった。
 ボクの出番はフェスの中でも最も華やかな岡村靖幸のステージの後。トリ前なので長い待ち時間へ突入した。しばらくして、蛭子能収が入ってきて楽屋で二人きりになった。

 話をするのは2年半ぶりだ。
 初めは金髪姿のボクに気が付かず、
「蛭子さん、お久しぶりです。水道橋です」とボクから出向いて挨拶したら「ああ! なんだぁ、よく見たら博士かぁ!」とようやく気が付いた。

 忙しすぎるのだろう。この日も、会場の場所も何をやるかも全く聞いていないとぼやいた。ただ、マネージャーに連れてこられ楽屋に置き去りにされているのだ。
 ちょうど出版されたばかりの、浅草キッドの自叙伝である『キッドのもと』の文庫版をサインを付けて進呈した。
「読まなくてもいいから、最低限、ここで捨てたりしないでください」と何度も念押した。
 蛭子は「文字が小さいなぁ」と呟きながら老眼鏡を取り出し、いきなり後半から読み出すと、ふと顔を上げて「これ、なんでビートたけしって呼び捨てなの?」と聞いてきた。
 「普通、弟子は師匠をさん付けでは書かないでしょう」と答えると、蛭子はじっとボクを見つめて言った。
「えー!? 博士って、たけしさんの弟子だったのォ?」 
 蛭子発言には慣れっこのボクですら、さすがに衝撃的な一言だった。

 しばらくして本を閉じると、その本の表紙の上に飲みかけのペットボトルを置いた。嗚呼、ボクの人生は蛭子世界ではコースター代わりなのだ。
 やがて共演者の勝俣州和、ユースケ・サンタマリアも楽屋に合流。久方ぶりの邂逅で互いの蓄積した蛭子ネタが弾みだすと、蛭子は反論することもなく聞き流し、今度はそのまま「ナマケモノ」のようにスーッと寝入った……。

 改めて、こんな人のありがたいアドバイスに満ちた人生訓の本が売れているのだ。

 そして、蛭子の出番がやってきた。
 トークのコーナーでメンバーは勝俣州和、久本雅美、MEGUMI、スチャダラパー、そして、蛭子能収。
 司会のくりぃむしちゅー上田がジャブ、ストレート、フック、アッパーと多彩に打ち分ける突っ込みショーを展開。もちろん、勝俣、久本の受け身も的確。蛭子能収という大ボケの最大音が鳴る「置物」の配置が実に見事で、一万人の観衆が沸きに沸いた。

 出番を終えて楽屋に戻ってきた蛭子に「やっぱ、ウケ方が違いますねー」と言うと「イヤー。俺、もっと他人のことも知らんといかんねー」と反省したフリをして早々と帰宅の身支度を始めた。
 ペットボトルが置かれたままだった『キッドのもと』は、既に水滴で表紙がびしょ濡れで、案の丈、一瞥もくれずに立ち去ろうとしたので、さすがに声をかけた。
「蛭子さん、俺の本! 忘れてるよ! 捨てても良いけど、せめて家まで持って帰ってください!」
「エヘヘへへへへ」
 笑ってごまかす蛭子能収──。

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