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2023年1月2日(火曜)★入院2日目。体調良好。食事解禁。死と隣り合わせの3次救急について。あっさり退院決定。『新根室プロレス物語』をリモート試写。プロレス万歳!!

4時には目覚めるが二度寝。

5時、院内起床。

体調、むしろ良好。

町山智浩さんに返信。

部屋を出て看護師に付き添われ、
カルテ用に身長体重を計る。

160・2センチ。

おお、ここ5年で自己最高記録だ!!
早朝だからだろう。

体重、66・6キロ。

悪魔の子、ダミアン!!

昨日の日記を何時もより丁寧に書く。

正月から緊急搬送されているバカなのだ。
各種、記事にならないはずはない。
こたつ記事に引用しやすいように、
5W1Hを考えながら。

また医療用語解説も入れて。

(最初のバージョンに入れていた、
トイレの鮮血写真は、
かみさんに消されていた。
かみさんに
「血の色は、病気の判定に重要なのに!」
と抗議したが、「駄目に決まってるだろ!」
と却下に合う)

看護師の検診。

体温。酸素濃度、血圧。
バイタルデータ、全て正常。

「今日は何をやるんですか?」
「点滴を5時間分」

もうほとんど左腕は曲げられない。

そして血液が凝固しないように
ヘパリンロックを打つ。

10時に、かみさん、お見舞いに来訪。

高層階から新宿の風景をみやり、
ふたりで思い出話。

救急隊が家にやってきた時に、
ママに対して、
「娘さんですか?」
「違います妻です!」
と答えた話を子どもたちに、
盗み聞きされており、
「あの時、ママのテンションが
完全にあがっていた!」
とからかわれるという
ベタな話で笑い合う。

前回の入院も同じ東京医科大学病院だったので、
その時の話などなど。

回診の主治医とお話。

「三次緊急って何ですか?」とボクが質問。

「死に瀕している患者さんの医療です。」

正確に引用しておくと──。

三次救急とは、一次救急や二次救急では対応が難しい
生命に関わる重症患者に対応する救急医療(体制)です。

救急医療の最後のとりでとして、
重症患者、複数の診療科に
わたる症状がある重篤(じゅうとく)な患者を、
原則24時間体制で必ず受け入れることになっています。

重篤な患者に対応できる高い専門性と十分な人員を
確保する必要があり、
医学生や看護学生などへの
救急医療の臨床教育を担う役割もあります。

昨日、元旦にもかかわらず、
若い子が多かったはずだ。

三次救急は救命救急センターや、
地域救命救急センターにおいて提供されます。
そのため三次救急=救命救急センター
と捉えてよいでしょう。

救命救急センターの設置にあたっては、
施設、設備、人員体制に関する要件が定められています。

救急医療は一次(初期)、二次、三次と
重症度・緊急性に応じて段階的に対応する体制が
確立されています。

参考:厚生労働省「救命救急センター及び二次救急医療機関の現状

改めて、自分が日本の高度な緊急医療体制に、
命を助けていただいたことを、
感謝しなければならない。

それにしても、昨日は元旦なのに。

「死」の予告も一切なく、
突如、死神が舞い降りた。

そして、家にひとりだったら、
確実に死んでいただろう。

この齢になると「死」が、
日常の隣り合わせにいるのだ。

そして明日の朝の退院が、
すんなりと決まる。

本をじっくり読みたいのだが、
寝転んで読むスタイルだと
点滴が邪魔になる。

暇なのでついついXを読み、
随時、ポストする一日。

入院二日目。
点滴が続いているのですが意識はバッチリですね。
改めて昨日は「死」の手前だったようです。
家族が迅速に119番してくれて良かった。

そして原因を最初の病院の「医療ミス」のように
思うような人もいるようですが違います。

ボクが厳禁されている飲酒を
年末にしていたのが原因です。

あと意外なことに最近は「キムチ納豆」にハマって
毎日作って腸活に成功、
毎朝硬い一本糞で快便になっていたのも
直腸ポリープの除去の傷跡には
良くなかったというわけです。

まさに「禍福は糾える縄の如し」なのです。
あ、病名が「下部消化管出血」、
傷跡の縫い後だけに
「下部は糾える糸の如し」ですかね。

さらに付記しておくと、
フィジカルだけでなく
鬱明けにも貢献してくれていた
Uber Eatsの配達員のお仕事も
肛門近辺の直腸の傷跡をサドルが圧迫していて
ケツして良くなったようですね。

ケツ果的に、
ケツ圧が上がって、
血圧を下げていたようです。

まさに「前門のトラ、肛門の狼」
の故事成語そのままです。

もちろん、Xには、
「コイツは自業自得!」と非難殺到だった。

正直に自己申告したのだけれどもなー。

待ちに待った昼食。

美味かった!!
今まで数々の病院食を食べてきたが、
過去一ではないだろうか。大満足。

予定していた、
じっくり読書の時間は叶わず、
TVもバラエティを見る気がしない。

刻々と伝わる、能登半島地震の被害の模様、
Xの信頼すべき情報筋をRTしたりする。

一日中、ベッドの中で
X(旧Twitter)のなかにいると、
陰謀論、暴論の多さに辟易とする。
また言葉遣いの汚さにも閉口、
古谷経衡さんの「シニア右翼」を読んだばかりなので、
書いている人たちの顔を年齢を想像してしまう。

改めて、ヘイトを繰り返し、
それをプロフにも公言して平気な人たちが、
これほどまでにいるのか。と驚く。

また、Xに書き込んでいるだけなのに、
「安静にしてください!」
とたしなめられる。

いつもの如く、
「周りの人が止めてください」となると、
もはやどういう立場のおっせっかいか──。
と思ってしまう。

夕方、かみさんと次男と娘が来訪。
3人で英語でボクの悪口を言い合うという遊び。
もちろん、ボクもそこに加わる。
家族と一緒に、
自虐ほど楽しいものもない。

3人は、お食事へ。

残されたボクだって、
めちゃ美味い、薄口ディナーが待っている。

松村邦洋くんが帰省した山口から電話。
「何も変わったことのない正月ですよ」
と言うと、
「それでいいんですよ。健康だったらいいんです」
と返してくるので、案の定、今のボクの状態を
何も知らないままのトンチンカントークだった。


信じられない飛行機事故に釘付けになる。
こんな正月があるだろうか。
大地震と飛行機事故が続くと、
正月のバラエティ番組が流れていることが
不思議になってくる。

もちろん、
そんな書き込みはしないのだけれども。

そして待ちに待った夕食。

完食。嗚呼、美味かった!!

部屋の入り口に鏡があるのに
さっきまで気が付いていなかった。

こんな姿で過ごしていたのだなー。
自分のオシメすら意識していなかった。

ドレッシングルームで長い凶器を手にした
老レスラーのようにも見える。

61歳、病人ダンディだ。

『劇場版新根室プロレス』
オンライン試写で病床で拝見。

ボクは出演者のひとり、
元・TVディレクターのレフリー
「ロス三浦」とずっと懇意だ。
彼が「浅草橋ヤング洋品店」でディレクターデビューした際の
メインの出演者だった。
ADの頃に苦楽を共にした。
その頃は、彼も俺たちも若かったからこそ前途洋々で意気投合した。
彼が地元の根室に戻ると言われた時には衝撃を受けた。
なぜならボクも岡山からの上京組だったからだ。
その後、根室で漫才の興行を主催して僕らは呼ばれた。
盆暮れには必ず地元の名産品を送ってくれ、折々に再会した。
30年にも及ぶ友情があるから特別な感慨がある。

花の都のテレビディレクターだったわけだから、
どこか都落ちした影があったのだが、
そんな彼が生き生きとし始めたのは、
新根室プロレスに加わってからだ。

『プロレスは人生の縮図』だと10代の時から思っていた。
年を経て、プロレスが人生に寄せたのか、レスラーの人生がプロレスを体現するのか、60歳を超えても考えることがある。

プロレスラーの人生に引退はなく、死ぬまでプロレスラーであるのは芸人にも似ている。
ボクは若い頃はガチガチの猪木信者で新日本支持者だったが、
もはやプロレスというジャンルにはもうメジャーもインディもない。
中央も地方もないことが今はよくわかるようになった。

小さくて稚拙でも貧しくてもリングの上で
一生懸命に楽しんでいることがただただ愛らしいのだ。

れいわの候補者として選挙を通じて日本中を回って、
ますますその思いは確信になった。
そこが過疎地であればあるほど。
この作品はカリスマ団体経営者が
定められた死期に向かって勇敢に立ち向かう物語だ。
一人の非凡な英雄の死が、
後進の仲間の平凡な生を再生させていく。
若き日からプロレス者だった侘しさを
これほど肯定してくれる作品もないだろう。

このささやかな人生にも
プロレスは優しく寄り添ってくれるのだ。
Netflixの大傑作ドキュメンタリー『セイント・オブ・セカンドチャンス』と通奏低音は同じだ。
劇場で見るならハンカチは必須だ。

プロレス万歳!!

(2日からポレポレ東中野で公開中)


最後の点滴を絞りきり、
看護士さんに、腕に巻かれた、
精神的手錠を解錠してもらう。

24時ごろ、就寝。

明日は退院だ。
拾った命で見れるのだから、
街の風景も日常もリセットできるはず。
何度でも生き直しだ。


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