20歳の時初めて親元を離れ、東京の離島のスナックで2週間働いたらどこでも生きていけると思った話

私は旅が好きだ。

旅をどう定義づけるかは自由だとは思うが、私は現在17カ国への渡航歴があり、そのほとんどが海に潜ることを目的とし、かつ1人で行っている。

1人で海、旅という形で国内外問わず行くようになったきっかけが、タイトルにある、東京の離島のスナックで働いた経験だった。

離島のスナックバイトを経て、「どこでも、何をしても生きていける」と自分の世界が広がったことと、単純に「海サイコー!」と感じてしまったことが旅を始めるきっかけとなったのだ。

これから綴ることは、旅をしたい人、離島に行ってみたい人、そしてちょっと人生に悩んでいる人の参考になればと思う。

離島のスナックで働くことにした理由
とにかく家から逃げ出したかった

私が成人するかしないかという頃、母が弟を連れて家から出て行った。
父はまともに働かず、妹と私の共同の部屋には妹の彼氏が入り浸っていた。当然そんな家に帰る気も起きず、飲み歩くか当時付き合っていた男の家に行くかの生活が続いていた。

しかしその彼との交際も長く続かず、家に帰らないと行けなくなってしまった。
当時の私は大学生で、大学に通わないといけないけど今すぐ家を離れたい、でもあまり遠くに行く勇気、ましてやそのお金もない・・!
という状態だったので、家を離れてお金を稼げる国内離島での短期リゾートバイトはぴったりだったのである。

「大学の夏休みでリゾートバイトをしに行った」といえば聞こえはいいが、私の中では現状を変える(といっても逃げただけなのだが)大きな手段だったのである。

車で簡単に1周できてしまう離島
青い海と空、虹がお出迎え

初めてのリゾートバイト先に選んだのは東京から飛行機一本で行ける離島だった。
都会からそんなに離れていない気がするのに全く別世界だった。

到着した日に同じ寮の女の子に車で島を案内してもらったのだが、高い建物やビルはなく、空が広かったことが一番初めに驚かされたことだった。
照りつける太陽の光も何倍も強く感じられた。
空の青さ、沿道に並ぶソテツの葉の緑と赤いハイビスカスのコントラストが目に鮮やかだった。

見たことない生物の登場にもいちいち驚かされた。
歩道脇の空き地では、500円玉より一回りほど大きいカナブンが、タマムシのような色を放ちながらブンブン飛んでいた。防波堤から海を眺めているとウミガメが息継ぎに水面に上がって来た。それも1頭でなく、何頭も。日本で、東京で、こんな光景がみられるとは思ってもみなかった。

夕方には大雨が降り、湿った植物の匂いが島全体に立ち込める。
生活範囲内で触れる自然がとにかく多い。

しかし外を歩いている人はほとんどおらず、コンビニもない。
本当にここで生活できるのだろうかと不安になっていたところ、雨が止み、晴れ間の出た空に二重の虹がかかった。

「島に歓迎されてるね」

島を案内してくれた女の子がそう言った。
単純な私はその一言でたちまち島が好きになってしまった。

島で生活する人との出会い
学生の夏休みで働きにきている人はいなかった

私がリゾートバイトに行ったのは9月末。
もう大学生は夏休みも終わる間際で、私のように短期リゾートバイトで来ている女の子はいなかった。

当時そのお店にいた女の子は私を入れて5人。
私以外は何年もそこで働いている人や、定期的にこのスナックに働きにくる人だった。

学生ばかりだと思っていた私には非常に衝撃的だったのだが、リゾートバイトでいろんな離島を転々として生活している女の子はよくいるらしい。
さらに驚いたのが、島にはスナックやガールズバーが何軒もあり、繁盛しているということ。そしてお客さんはほとんど地元の人間か、出張で島で働いてる人で、観光客はほとんどいないということ。

親友になった、家出少女Mちゃん

私が「どこでも生きていける」と思った理由の一つとしては、島で出会った人たちの人生が、あまりに私の歩んで来た人生と違ったことだ。
そう思わせてくれたうちの1人が、同じスナックで働いていたMちゃんだった。

Mちゃんは私の一つ年上で、初めて離島に来てスナックで働く私に、1~10まで教えてくれた恩人である。
何年も経った今でも連絡を取り合うくらいで、私は勝手に親友だと思っている。

Mちゃんは高校はおろか中学にもあまり行かずに家を出て、歌舞伎町で生活をしていたらしい。
その後、同じく歌舞伎町でホストをしていた兄がトラブルを起こし、兄と離れるために他の離島のリゾートバイトを経て、この離島で生活をしているとのことだった。

真面目に学校に通ってストレートな人生を歩んで来た私と異なりすぎて衝撃を受けた。
私は10代前半の頃なんて親の保護下、監視下でしか生きられないと思っていたのに。自分の力で居場所を確立し、生きている彼女の強さに心を打たれたことはいうまでもない。

さらに彼女は歌舞伎町での経験もあってか、スナックで働くということを、お客さんと一緒に楽しくお酒を飲んでればいいというものではないと教えてくれた。お客さんへの接し方(タバコの火の付け方、座り方、お酒の出し方など)やプロ意識(お客さんを楽しませる、お店への貢献)など、私が向き合うべきことをきちんと言葉と背中で語ってくれたのだった。

その後Mちゃんは島で既婚者と付き合ったり、別の人にストーカーにあったりと波乱万丈な恋愛をしていたのだが、今は別のリゾート先で出会った本当に素敵な人と結婚して幸せに暮らしている。

「今からすぐにいけるところのチケットをください」
で離島に移住したT氏

T氏もMちゃんと同様、今でも連絡を取り、定期的に会ううちの1人だ。

T氏は私がリゾートバイトに行った当時、島でタクシーの運転手とスナック経営(ボーイズバーと言っていたが)をしていた。

彼は10代の頃は地元の繁華街でホストをし、20代になり離島に来る前までは、東京で水商売のお店を経営していたらしい。
そのお店が摘発され、一度警察のお世話になったという、これまた私の人生では想像できなかった経歴の持ち主であった。

彼は警察のお世話になった後、空港に行き「今からすぐにいけるところのチケットください」とカウンターで伝えてこの離島に来たとのことだった。

そこからその島でタクシー運転手として稼ぎまくり、自分のお店を出すまでに地元での地位を確立していったのである。私にとっては島に遊びに行くたびに案内してくれるよきアニキである。

どこでも、何をしても生きていけると思った

その他に出会った人は、20代で親の家業を継ぎ漁師として働いている男の子(給料袋が立つくらい稼いでいた)、私と同様リゾートバイトでバーテンダーをしている同級生の男の子(彼はその後お金を貯めて北欧に留学したらしい)、家を建てて晩年の生活を島で送っているご夫婦など、多種多様だった。

いかに自分が狭い範囲の世界で、同じような人種の人たちと関わってこなかったかがよくわかった。
普通に高校を出て、4年制大学を卒業し、就職して働くことが普通の人生で、それ以外のことを私は全く想像していなかったのだ。

もっと根本的に「生きる」とはどういうことなのか?自分は「生きる」上で何をしていきたいのか、自分に問われているような気がした。

結果として今、私は先に定義した普通の人生を送っている。

ただ本当にこれでいいのか?私は自分の人生を「生きる」ことにおいて迷うことは何度もある。
そんな時、旅に出る。
そしてこの離島のスナックで働いた時のことを思い出して、自分の人生をまた見つめ直すのだ。

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海と旅を愛するアラサー女。セックスをもっと楽しく、女性の性に対しての意識をもっと高めたい。
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