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Stray Kidsドーム公演を終えて

人生というものは試練の連続で、私自身の人生も、もう全て投げ捨てて諦めて辞めてしまおうかと思うようなことが幾度となくあった。そうして諦めた人生の選択肢がいくつかあって、諦めた結果今の自分がある、だからこれを書いているわけだけれど。

Stray Kids 2nd World Tour "MANIAC" ENCORE in JAPAN 2月26日(日) 京セラドーム大阪

今日、参加してきたので、昂る感情をそのままに感想を書き連ねていく。参戦レポにすらならないけれど、よかったら読んでください。心が報われます。

Stray Kidsにとって、ドームの舞台に立つのは初めてではない。複数のアーティストが出演するMAMAという授賞式に2022年にも、同じ京セラドームで観客を沸かせた。

けれど、Stray Kidsの単独公演としてはこのアンコールツアーが初めてのものだった。幸運なことに、直接その"初めて"の舞台を目にすることが出来て、広大な会場の中央に立つ彼らを見届けた。

昨年6・7月に行われた代々木体育館でのライブ、先日行われたさいたまスーパーアリーナと異なり、収容人数も会場の広さも大幅に増した会場。注釈席まで満席となった会場は、隅から隅までSTAYで埋め尽くされていて。同じ色をしたペンライトが星空のようにきらきらと輝くのを見ると、日本中のありとあらゆる場所に居て、それぞれに生活を営んでいる人たちが、Stray Kidsのためだけに同じ場所に集まっているんだと実感して。同じ時間を共有している事実を考えた時、それだけで胸がいっぱいになった。

正直、広すぎる会場で、彼らの挙動のひとつひとつ見届けられたかというとそうではない。もっと近い席で顔を見れたら、ファンサービスを受け取ることが出来たらと、人を羨むような瞬間もあった。だけど会場に入ることが出来なかった、Stray Kidsを大好きな人たちは日本中に山ほど居るんだと思うと、そこに居て同じ音を共有していること自体、奇跡のようなものなのだと思う。

ツアー自体、昨年の4月29日ソウルでのコンサートを皮切りに、世界中で公演されているものなので、特別真新しいセットリストであったかというとそうではない。けれどむしろ、同じセットリストで公演をすることはもう二度と無くて、アルバム収録曲のいくつかはもう二度と生の演出で見ることが出来ないかもしれないと思うと、それだけで胸が熱くなってしまって。Stray Kidsのメンバーと一緒に歌を歌ったり、掛け声を出したりとしている瞬間が終わっていくたびに言いようのない寂しさに襲われた。

初のドーム公演を終え、メンバーたちひとりひとりが日本語で準備したコメントを話していく。日本語だけでは気持ちを十分に伝えきれないからと、母国語であふれ出る感情を吐露するメンバーもいて、この場に立つという事がどういう意味を持ってどういう重みを持つのか、どれほど特別だったのかという事が、その場に立ち会えたことがどれほど幸福だったかということが、一気に押し寄せて涙があふれた。

そして今回のドーム公演は、日本でのツアー最終日。STAYからメンバーに対して「ありがとう」を伝えるサプライズを実施した。

前回、代々木第一体育館での最終公演日にも「おかえり」を伝えるサプライズを行った。けれど当時、コロナの影響で声を出しての観賞は禁止されていた。メンバーに想いは伝わっただろうけれど、「声が聴きたいなあ」と悔しそうな表情をするメンバーたちにこちらまで悔しく、個人的には消化不良に終わってしまった。

Scarsという楽曲と共に映し出される彼らの軌跡を、しゃがみ込んで見つめるメンバーたち。企画されていないにも関わらず、会場に居るSTAYが自然発生的に、映し出された日本語歌詞をなぞって歌声が湧き上がって。あの日噛みしめたライブを開催できない、参加できない悔しさ、ライブが出来ても声を出せない悔しさと、簡単ではない道を歩いてきたStray Kidsというグループに感謝を込めながら、声が枯れるほどに歌って、会場中に綺麗な歌声が響き渡った。

サプライズ演出が終わると同時、映し出されたのは感極まって涙を流すリーダー、バンチャンの姿。それからひとりひとりの様子がモニター越しに映し出され、静かに頬に涙を流して立ち上がれなくなっているメンバーや、観客側をじっと見つめているメンバーが居て、それだけでSTAYの想いは十分伝わったんだなと分かって。美しいSTAYの声を噛みしめながら、もっともっとこんなものじゃ収まらないんだよ、大好きで感謝が止まらないんだよ、という気持ちを会場のSTAY全員と共有して、歌や歓声が沸き上がった。

私たちの声を、ありがとうを受け止めたメンバーたちは、ステージの中心で円陣を組んだ。そこで話したことは、彼らにしか分からないことだ。もしかしたら何も話さず、感情を噛みしめただけだったかもしれない。でもよかったね、嬉しかったね、頑張ったねだけのことではないことは痛いくらい分かった。練習生からの付き合いで、グループとなった彼らの途方もない冬の時代を、私が知っているわけでは無い。耐えがたい別れも数々あっただろうし、最たるものとしてメンバー脱退という形で彼らは経験している。全部が理想通りの道だったわけではきっと無い。したくないことをしなければならなかっただろうし、打ち明けたくない感情を打ち明ける必要だってきっとあった。着たくない衣装、したくないパフォーマンスがあったはずだ。

でもそれを選択して、受け止めて、ドームという舞台に立ったのはファンのおかげじゃない。彼ら自身の人生の犠牲があったからだ。時間を、生活を、人間関係を犠牲にして、それでも泥臭く夢にしがみついて、現実にさせたのは彼ら自身だ。

なのにハンは「皆さんのおかげでここまで来れました」と言うし、バンチャンは「こんなに幸せでいいのかな」と泣きながら語る。彼らが切り盛りした彼ら自身の人生を、受け取っているのは私たちなのに。マイクを通さない肉声で、8人声を揃えて「ありがとう」と叫んでまで、想いを受け止めてくれる。私の方こそ言いたいよ、「こんなに幸せでいいのかな」って。

メンバーのうちの一人、スンミンは「僕は野球選手になる夢があったから、その夢をかなえていたら、選手としてドームに立っていたのかな」と語っていた。数々の選択肢の中から、スンミンは歌手を選んでくれたから、Stray Kidsとして京セラドームの舞台に立って、パフォーマンスをくれる。その選択がひとつの奇跡で、8人分の奇跡があったから、今日を迎えられたんだと思うと、やっぱり感謝するのはSTAYのほうだと、確信を持って感じてしまう。自分で人生を選んで、正解にして、こんなに輝いてるという事実の尊さに、彼らはしっかりと気づいているといいな、と思った。

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