絵解き東遊記表紙1

絵解き東遊記(3)

■絵解き東遊記 その5 李鉄拐と費長房

 青牛を放した罪で下界に下った李鉄拐は、老人の姿になり、名を隠し、背にひとつの瓢箪を背負って、汝南市で薬を施していた。薬を飲んだ病人で効果がなかった者はない。
 李鉄拐は店の前に壺をひとつ置いて、店じまいすると、その壺の中に跳び入るのだが、市井の人はだれもそれを見ることがなかった。

 かつて市の下役人であった費長房が、これを見つけて酒と肉を捧げて拝礼すると、老人は、「明日、また来い」と言う。
 翌日、再び訪れた費長房は、老人とともに壺の中に入り、すばらしい御殿で、酒と料理でもてなされる。飲食を終えて外に出ると、他言無用と釘を刺される。
 その後、老人から、自分は仙人で、過ちを犯したためにこんなことをしていたが、そろそろ帰ると言われる。費長房は、道を求める気持ちを抑えきれず、ついて行きたく思ったが、家族のことが気がかりであった。
 これを知り、老人が青竹を切って、費長房の背丈ほどにし、家の裏に懸けた。すると家人はこれを見て、費長房が縊死したとして葬り、費長房がそばにいても、誰も気がつかないのだった。
 費長房は老人に従って深山に入った。

 虎の群に放り込まれても、部屋で巨大な石を上につるされ、しかもその石をつるした綱を蛇たちがかじって落とそうとしても動じなかった費長房だったが、糞を食べろと言われ、しかもその中に三匹の汚くて臭い虫がいたのを嫌がると、ここまでだと言われ、帰されることになった。
 老人は費長房に一本の竹の杖を渡し、これにまたがれば行きたいところに行ける、到着したら杖は葛陂(竜竹)の中に投げるようにと言う。また、ひとつの符を作り、地上の鬼神の主(あるじ)になれると言った。

 十日ばかりのはずだったが、費長房が家に帰ると、十余年が過ぎていた。家人たちは、費長房は死んだはずだと言って信じなかったが、不審に思い、墓を暴くと、棺の中に、竹の杖がまだ残っていた。
 費長房は百鬼を従え、病気を治せるようになった。また、数千里もの遠くに一日で行き来したり、災いを予言して菊花酒を飲んで避けさせたりしたが、ある日、符をなくして、鬼たちに殺されたという。

■絵解き東遊記 その6 漢の大将・鍾離権

 鍾離は、名を権といい、燕台の人。後に改名して覚、字を寂道、号して和合子、または王陽子、または雲房先生とも。父は列侯であった。
 頭は丸く、額は広く、耳は厚く、眉は長く、目は深く、鼻は聳え、口は四角く、頬はふっくらとし、赤い顔をしていた。

 生まれたとき、不思議な光が数丈ものび、烈火のようで人々を驚かせたという。また、生まれてからは声も出さず泣きもせずものも食べず、七日後に突然、「身は紫府に遊び、名を玉冊に書す」と言った。

 成長すると漢に仕えて大将となった。当時、吐蕃三十余万の兵を率い、五十万と号して辺境を侵し、婦女をさらい民の財貨を奪っていた。これに対応するため、天子は鍾離権に五十万の兵を率いて敵を破れと勅命を下した。鍾離権は五十万の兵を八十万と号して、皆と別れ、すぐに出発した。

 規律厳しく兵を進め、奇水という川のあたりで吐蕃の兵と相対し、双方、陣営を築く。
 翌日、紅の袍、金の甲で鎗を使う鍾離権と、金の盔、銀の甲で古定刀を使う敵の大将の粘不聿が一騎打ちをする。
 鎗を提り刀を舞わせて戦うこと八十合余り、勝敗がつきがたいと見た粘不聿は隙を見せて馬を返し、追ってくる鍾離権に向かって矢を放つ。矢は鍾離権の耳の脇をかすめた。
 鍾離権は飛刀をひそかに取り出して、追ってくる粘不聿に投げる。粘不聿は顔にひとすじの傷を負って馬を返し、両軍は銅鑼を鳴らして引き上げた。

 多くの兵士たちが傷ついているのを見た鍾離権は、簡単には勝てないと思い、計略を使うことにする。
 夜間に二万の軽騎兵を四面に埋伏させ、連珠砲を合図に攻めかかるように手配した。

 粘不聿のほうも、漢軍の強さを思い、奇水の西に陣を布いて待ち受けることにした。

 翌早朝、粘不聿が布いた、整然と門戸を連ねた巧妙な陣を見て、鍾離権は驚く。
 よく見れば、八卦陣。破れなければ生けどりにされてしまう。鍾離権は、休・生・傷・杜・景・死・驚・開の八つの門のうち、生と開の二つの門から進めばよいと見破り、部下の馮己に、精兵三千を率いて、東南の青い旗から陣に攻め入り、東北の黒い旗へとぬけ、再び東北から攻め入って東南へとぬけるように指示する。

 鍾離権の指示通りに馮己は吐蕃の陣を破り、崩れる吐蕃軍を四面から攻めて、鍾離権率いる漢軍は大勝利を収めた。


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